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そうはならんやろ学概論 (前編)


これは designing plus nine Advent Calendar 2023 の22日目の記事です。
                          だった気がします。

はじめまして。本年度dp9に入会させていただいたGhantarxと申します。本記事は筆者のnote初投稿であり、また筆者はネットにあげるための文章をほとんど書いたことがありません。そのため読みにくい点が多くあることとは思いますが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。


注意:本記事はネタ記事です。

本記事は前編です。「もう見た」という方は[こちら]から後編へどうぞ。

はじめに 〜そうはならんやろの基本〜

 この記事は、みんなが普段ノリで使っている言葉「そうはならんやろ」に焦点を当てて探求する「そうはならんやろ学」である。

 早速だが、みなさんは「そうはならんやろ」という言葉をご存知だろうか。「いきなり何言ってんだコイツ」「知ってるけどだからなんだよ」と思われた方もいるかもしれないが、今回はこの言葉を中心にいろいろ語っていきたいと思うので悪しからず。「そうはならんやろ」は私のようなオタクにとっての「インターネット」では呼吸をするように用いられている言葉であり、また一般的な言葉だと言い張ることもギリギリ出来そうではあるのだが、この記事を読んでいる全員にとって馴染み深い言葉とは限らないため、ここで解説しておこう。とは言ったものの私も「ツッコミに用いる言葉である」ということ以外はあまり自信がないので、とりあえず、この手のことに詳しいそうなpixiv大百科さんの記事を引用してみた。

そうはならんやろ
ツッコミに用いられる定型文の一つ。
ネットでは『ポプテピピック』で用いられて以降、ミームとして広まった。

pixivでは「いや、そのりくつはおかしい」や「どういうことなの・・・」などに近いニュアンスの感想タグとして用いられており、前提条件やそれまでの展開から明らかにおかしい状態が描かれている作品にタグとしてよく付けられている…

『ポプテピピック』では反論、というか合いの手として「なっとるやろがい」が使われており、セットで見かけることも多い。

R-18やそれに類する作品でも、導入があまりに雑n

https://dic.pixiv.net

おっと失礼、ここら辺でやめておいたほうがよさそうだ(手遅れ)。ここで言われていることをざっくりまとめると、「そうはならんやろ」は物事のつながりや前後関係が文脈的に明らかにおかしい時に用いられるツッコミためのフレーズ、ということになる。ちなみに記事中でも言及されている『ポプテピピック』の1シーンは、まさしくそんな「そうはならんやろ」なシチュエーションが表現されている。


なんかもう何もかもおかしい
大川ぶくぶ『ポプテピピック』竹書房(2015)1巻102話より

なぜか縦方向に回転しているポプ子(1コマ目)。ピピ美(2コマ目右側)がなぜそうなったのかを尋ると、ポプ子は「急に床がどっか行った」と真顔で答えるのである。それに対しピピ美は「そうはならんやろ」と冷静に一言。ポプ子は「なっとるやろがい!!」と自らの陥った状況を再度主張するところで四コマが終わる。

 ポプ子の「床がどっか行ったから身体が空中で回転している」という理屈はどう考えてもロジックとして成り立っておらず、聞いたものの頭を激しくバグらせる。ここでの「そうはならんやろ」は「物事のつながりや前後関係がおかしい」状況へツッコミを入れる好例と言える。(回転しなくても床がどっか行く時点で既にイレギュラーだろと思われる方もいるだろうが、「動く床」そのものはアドベンチャーゲーム等創作の世界であるあるの部類なので、なんとか目を瞑っていただきたい。)

 また、私がピクシブ大百科を閲覧した際には、関連イラストとして頭にどら焼きを乗せたままどら焼きを探している女の子のイラストが表示されていた。こちらも、「どら焼きを頭に乗せる」という意図的にやろうと思わないとできない状態と「どら焼きを探す」という行動のミスマッチに対し「そうはならんやろ」とツッコみたくなってしまうだろう(床がどっか行って身体が回転する、はあまりにシチュエーションが異常すぎたが、これくらいスケールが小さい話でも「そうはならんやろ」は使えるのである)。

「そうはならんやろ」を具体的に定義してみる

 ここまで説明してみて「そうはならんやろ」が前後関係がおかしい時のツッコミであることは理解できたが、「そうはならんやろ」を「定義する」上ではもう少し他の要素による特徴づけが必要であるように思えてきた。そこで私なりに「そうはならんやろ」が喚起される条件を考え、定義に追加してみたいと思う。

本人は真面目であること

 先ほどの四コマ漫画で、ポプ子は「床がどっか行ったから、体が回転した」という因果関係の存在をガチトーンで主張している考えられる。文脈的に全くつながりのない二つの物事が、つながりを持っていると信じて疑わない相手に出会したときにこそ、一歩引いた冷静な「そうはならんやろ」が引き出されるのではないだろうか。
 そのため「そうはならんやろ」と相手に言わせたい時は、本人はそれが冗談であることを自覚しているようなそぶりを見せてはいけないのである。自らの語る異常な前後関係や因果関係が、あたかも当然のものであるかのように振る舞わねばならないのである。

<会話例1>
A「髪切った?」
B「なんか朝起きたらこうなってた」
A「そうはならんやろ」

<会話例2>
A「ごめん待ち合わせ遅れそう」
B「了解。寝坊?」
A「いや、家出た瞬間急に馬に囲まれちゃってさ」
B「そうはならんやろ」

https://news.mynavi.jp/article/20231031-2807677/

上記は、マイナビニュースに載っていた「そうはならんやろ」の使用例である。
さすがマイナビと言うべきか、使用例が比較的平和である。しかし、本当に相手から「そうはならんやろ」を引き出したいならば、これらを発言するときも、不用意に冗談めかしたりせず「そうなるのが当然」というトーンで話さねばならない。「朝起きたらこれくらいの髪型になるのは当然」「家の周りに馬が集まるのはよくあること」と自己暗示をかけながら言ってみよう。

事実そうなっていること

 ピピ美の「そうはならんやろ」に対しポプ子は「なっとるやろがい!」と迫真の返答をする。これは「お前にとってはおかしい状況であったとしても、実際にそうなっているんだから仕方ないじゃないか」という主張である。ここから考えるに「そうはならんやろ」で終わらせず「なっとるやろがい!」まで繋ぎたい場合は、ありえない前後関係、因果関係が実際に起こっていることが重要である。ここでの「実際に起こる」とは「漫画の中の世界で起こっている」等も含むことに留意いただきたい。
 「なっとるやろがい!」があることで、「そうはならんやろ」は一層輝くと私は考える。どう考えても、この出来事の結果がこうなるはずはないのに、実際にはそうなっている… そういう一種の理不尽さや、ツッコむ側がどう足掻いても介入することができない無力さを伴う「そうはならんやろ」は究極のドン引k…訳のわからなさとそれに対する笑いを生み出すのである。
 そのため、「そうはならんやろ」は意外と自然界や生物と相性がいい。野生動物の中には人間には理解不能な習性や行動理念を持ったもの、時と場合によって同一個体とは思えないほど見た目が変化するものが存在し、私たちの中の論理や常識や一貫性の認識を破壊してくるのである。そして、それらは全て進化の中で獲得された「現実」であり、私たちが何を言おうと変わることはないのである。ただ、そんな訳のわからなさゆえにヘンテコ動物たちが愛されていることもまた事実である。

ホッキョクウサギが立った後の姿が別人なのも、自然界の「そうはならんやろ」の一つだろう。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm22575706

少々脱線したが、まとめると「そうはならんやろ」は
①前後関係や物事のつながりが文脈的に明らかにおかしい時
②その前後関係があたかも当然のものであるかのように提示された時
③(なっとるやろがい!を伴うなら)そんな意味不明な前後関係が実際に起こっている時

に用いられるツッコミだと言える。

創作活動における「そうはならんやろ」

 先述した通り「そうはならんやろ」は物事のつながりが意味不明なのに、それを相手が大真面目に見せてくる状況で生じる感情である。そして漫画やアニメ、映画といった創作において、「そうはならんやろ」と思われることは好ましいことではなく、時に致命的ですらある。
 作者本人は意味の通じる・納得できるストーリーを作ったと思っていたのに、読者からすると「どうしてこの流れからこうなるのか」が理解できない展開だったり、ストーリー内で説明されているロジックが非現実的だった場合、余計なツッコミが生じてしまい、作者の思った通りに物語が解釈されない、作者が本当に注目して欲しかった部分が注目されないなど様々な弊害が生じる。その結果、『DEATH NOTE』屈指の名シーン「テレビ in ポテチ」のように、作者的には高度な頭脳戦を描いていたつもりが、読者からは「そうはならんやろ」されネタ扱いされてしまう、なんてことも起こりうるのである。(テレビ in ポテチを知らない方は以下の動画がとてもわかりやすいのでご覧いただきたい)

予想外の「そうはならんやろ」は創作者にとって天敵と言えるだろう。そのため、現実世界とはかけ離れた設定や理論を持ち出す時は、描写や世界観を充実させてカバーさせる必要があるのである。たとえば、人間とは思えないレベルの能力を持つ主人公を出すなら、その根拠となる厳しい修行シーンや、悪の組織に身体を改造されるシーンを出す。敵キャラが仲間になるなら雑に裏切らせるのではなく、主人公に感化されるきっかけを作る。といったところだろうか。

 一方でギャグ漫画やギャグアニメであれば「そうはならんやろ」を読者・視聴者へ積極的に見せていくことが大きな武器となる。『ポプテピピック』『ボボボーボ・ボーボボ』『ギャグマンガ日和』などはもはや論理的に正しい前後関係の方が少ないといっても過言ではないだろう。また、不幸にも「そうはならんやろ」扱いされてしまった一般漫画もネットミームとしては人気を獲得することがあるので、読者を面白がらせるという意味では成功できるかもしれない。
 心理学的には、変化の多い刺激や、周囲とは違う刺激ほど知覚されやすい、らしい。ならば「そうはならんやろ」を引き起こすような表現は「変化」や「差異」を超えて「飛躍」「破綻」しているため、最も脳を活性化させるのではないだろうか。
 兎にも角にも、「そうはならんやろ」とは杜撰な表現への批判だけではなく、状況次第では面白さの評価につながると言える。そんな「そうはならんやろ」を引き出す方法が、マンガやアニメ以外でも用いられていることを、次の項で紹介する。

「そうはならんやろ」を活かす

 さて、私がこれまで話してきたことをざっくりまとめると「『そうはならんやろ』が喚起されるのは、文脈的に明らかにおかしい前後関係が、あたかも当然のものであるかのように提示された状況である」「『そうはならんやろ』は創作において諸刃の剣であり、文脈をあえて無視することで笑いを起こすことができる」という二点である。ここからは、漫画やアニメの世界を離れ、現実社会で「そうはならんやろ」を生かした広告や商品を4点紹介したいと思う、のだが…

ここまで書いて、すでに本文が4000字以上あり、流石に記事を分割した方がいいと思ったので、続きは後編で。後編はちょっとデザインぽいことを話そうと思うので、とりあえず記事を開くだけ開いてみて、面白そうと思ったら読んでみてください。ではでは。

                            後編へ続く>


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