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言葉しりとり『虹』→『演劇』#2

演劇が好き と言うと 
役者側なのか 観劇側なのか はたまた制作側なのかによって話題が違ったりします。

演劇が好き と言うと
人前で何かをすることが好きなんだなと思われがちです。

演劇が好き と言っても
劇場の規模だったり ミュージカル 伝統芸能など 好みによっては「へぇ〜」で終わることもあります(笑)。

わたしのばあい。

幼い頃は人見知りが激しく、幼稚園ですら逃げ帰っていました。
小学生の頃の通知表にも「殻から出られるといいですね」と書かれていました。

幼稚園の頃、日本舞踊を習い始めました。
“喋らなくていいから”だったようです。
お師匠さんのマネをして覚えてそれができれば褒められると言う 私的にも画期的な習い事だったのだと思います。
小学生に上がる頃には大きな舞台にも立ったけれど、人前で1人で踊ることには 全く抵抗はありませんでした。
それは、お稽古をたくさんして覚えた通りにすれば良いから です。

髪を結って 首までお化粧をして 着物を着て 時に傘や手拭いや扇子を持って
“人見知り”な自分ではない自分になる時間でした。

違う人になれる。

家の諸事情により小学校の高学年でお稽古辞めることになりました。
小学校のクラブ活動(全員必須)が始まった頃でした。
目立つことが好きではなかった私が選んだのは「演劇クラブ」でした。
その後中学でも必修クラブで演劇を、高校でも迷いなく演劇部に入部しました。

色々な役を演じたけれど 主役をやるまでの度胸はありませんでした。
ある時、“照明”を担当しました。これが驚くほど面白く、自分の匙加減で舞台の見え方が変わる事に快感を覚えました。高校を出てからもっぱら観劇三昧でしたが(とある劇団の公演を追いかけ回していました)、結婚して子供が生まれてからも舞台に立ったりはしていました。

ある時、オペラ公演の舞台監督を頼まれました。
その後何公演か関わったのですが 自分にはやっぱり“役者じゃない方”が性に合ってるのかもしれないと感じました。
味を占めて Jr.コーラスのミュージカルの舞台監督、劇団の制作スタッフなどに続いて行きました。

そんな母親の元で育った我が子たちは、少なからず影響を受けていきました。
気が付いたら小劇場で観劇をするようになって、演劇や舞台 に関わる事をし始めていました。
オペラやミュージカルの舞台の立ったりもしていたし、ステマネや音響、音楽にも関わっていきました。

私はと言うと、“演劇”を引き金にいろんな事をしていました。
その中の一つに『育児サークル』があります。

そんな訳で次回は『育児サークル』で繋ぎます。

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