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「ものづくり」の端っこをちょっとだけ掴んだ


はちゃめちゃに久しぶりなnote、である。

ありがたいことに、留守にしている間にもどうやら覗いてくれた人、いいね!をしてくれた人がいて勇気づけられたりまた書こうかな、と思ったりしていたのだった。

そんな「書こうかな」の波はもう第何波だかわからないくらいなのだけど、
今回なんとなく開いて自分の過去の文を読んでみる。

ええやん。

とか思うくらいには昔の文章である。他人事である。

そのまま下にスクロールしていくと、
「このクリエイターの人気記事」という分が目に留まった。

おおお。私、クリエイターなのか。

ちょっとむずがゆく感じるのは「クリエイター」という単語のかっこよさと
自分の拙い文章がつながっていないからだろう。

クリエイターやものづくり、と言うワードにはちょっと気負ってしまう自分がいる。かっこいいというか。仰々しいというか。

きっと私の中には「ものをつくる」ことへの苦手意識と
その裏返しかもしれない、憧れみたいなものが同居している。

だから「すごいなー」と見ていたクリエイターという人たちの肩書きを
いきなりくっつけられて嬉しくもびっくりしたのだが、
同時に仰々しくしていたのは私かも、という気持ちにもなったのだった。

(おそらく、noteにぽーんっと返ってこられないのもその仰々しさのせいかもしれない)

クリエイター、ものづくりへの憧れとそれゆえの気後れに思いを巡らせていると、そういえば...と最近の似たような体験が頭に浮かんだ。

せっかくだから言語化しておきたいと思う。


カレンダーがほしいと思った。
壁掛けの、大きくて予定をいろいろ書き込めるやつ。

完全に思いつきなのだけど、
こういう自分の小さな「ほしい」をいかに大切にするかが
私のここ何年かの課題でもある。

否定はしたくない。
買うにしろ買わないにしろ、検討したい。
あわよくば、その「ほしい」を叶えたい。

それで他用で文房具店に入ったとき、
なんとはなしに探してみた。

めちゃめちゃある。カレンダーコーナーさえできている。
そんな中、なかなかステキなカレンダーに会った。

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ミドリの 「余白」を愉しむカレンダー である。

シンプルだし書き込める。
MDペーパーシリーズも書きやすくて結構好きだ。
余白に何を書こうか、何を貼ろうか考えるのも楽しい。

これ、いい!

となって問題に気づいた。

これは来年、2022年のカレンダーなのだった。
それはそうだ。
今年の分のカレンダーが今、コーナー設置してまで売られているわけはない。

しかもどうやら今年の分は全部返品してしまって無いらしい。
ネットにも見当たらない。

頭を抱える。

だいたいまだ8月なのに。
私なんか、まだ半年もある!とわくわく夏休みの計画を立てようとしているところなのに。

生き急ぎ過ぎなんじゃないか、人間。なんてところまで話は飛躍する。
小学生だった頃、一番長かった2学期の存在がまるまる無視されてるじゃないか!ねえ!
と友だちに言ったら「うちは2学期制だったから...」と困惑されてしまった。むむ。

憤っていても仕方ない。
社会に文句を言うのは諦めて、自分に問うてみることにする。

来年のならあるけど、どうする?

(でも「ほしい!」って、思いついたばっかだからなぁ...)

心は自信なさげだ。

(1月になってもまだほしいかわからないし...)

そりゃそうである。
いま欲しいのだ。
いま手に入れて、書き込んで、飾りたいのだ。


帰宅後もやっぱりカレンダーは欲しかったし、
他のカレンダープリントサービスやらネット上で作るオリジナルカレンダーやらを探してもしっくり来るものが見つからなかったので

よし、つくろう!
と思い立った。

いい!となったミドリのカレンダーはシンプルだし、
デザインも真似できそうな気がする。
紙は今回、コピー用紙で妥協だ。

コピー用紙と鉛筆と定規を用意して、
均等に真っ直ぐに線を引く。
すべてアナログでやるので、この「均等に真っ直ぐ」がなかなか面倒くさい。
A4の大きさから、7曜日あるから、一つの枠の大きさは...
と計算して、それぞれ端から測って印をつけ、定規で線を引く。
線が長い部分は小さい定規では届かないので雑誌を引っ張り出してきて代用する。
せっかくオリジナルで作るんだから下に日付、上に好きなイラストでも印刷してつなげよう。
試行錯誤してつくったカレンダーは、コピー用紙だと流石に薄っぺらいので包装に使われていた厚紙で補強する。

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画像3

(参考までに。画像は割愛)

そうして無事に出来上がったカレンダーは、なかなか満足の行くものになっていた。
とはいえ1〜2時間位を費やしたのは予想外。

軽い気持ちで始めたのに作るのだいぶ時間かかったな、と振り返る。

そのとき引っかかったのは「つくる」という言葉だった。
そうか。私、これを、つくったんだ!

それは思いがけない感動だった。

ないからつくる、という日常の発想と
ものづくり、という仰々しい言葉がつながった瞬間。

ものをつくるのって楽しいことだな、と改めて感じてみる
(ちなみに私的ハイライトは、コピー用紙のペラペラカレンダーを補強するに良い素材として、枕を買ったときに包んでいた厚紙を発見したこと。工夫するって楽しい)

その感慨をもって手元のカレンダーをもう一度眺め、達成感に浸る。
壁に貼ってみる。最高だ。
しばらくは目に入ったときにむふふってなれる気がする。


クリエイト。ものづくり。

絵を書くことや音楽、料理は「レシピ通りに」から脱却できない私にとって
一番身近な「じぶんでつくる」のは書くこと、だと思う。

一方で、ものづくりの「仰々しさ」はときどき書くことにもかぶさってくる。
始めたからには継続しなきゃ、とか
こんなことを書いて誰が読みたいんだろう、とか
発表するにはまだ十分にまとまっていない、とか。

だからね。

カレンダーを作ったように

この文を書き始めたように

気軽に楽しく書きたいなあ。


「書きたいときに書きたいように書く(改)」

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