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詩との関係(1)

私の詩の始まりは中学生の時、詩って何?だった。もちろん小学生の時から教科書には宮沢賢治やら出てくる。天体が好きだったから、毎日星への想いをノートに綴っていた。でも、それは詩のような体裁ではあっても詩ではない。同級生のFちゃんとSF小説紛いの交換ノートをしていたのもこの頃。

Fちゃんは文学少女で、いつの間にか詩の詩祭に応募した詩が、最優秀賞を取っていた。新聞に出た作品は、空に矢が放たれ、ヤモリが張り付いている、みたいな衝撃的な詩だった。
詩って、凄いな、と思った。図書館の詩のコーナーの本を端からめくり、街の本屋でゲーテの「ミニヨンの歌」に出会いドキドキ胸を掴まれたのもこの頃。

高校生になり、天体(地学)クラブと、SFを書くべく文学クラブに入る。学園祭に文芸雑誌を発行していたが、先輩が詩が足りないから2篇書いて!急いで、と言われる。詩とはなんぞや、が再び始まる。蟻が炎天下に燃えそうになって歩いている、みたいな詩と、ライラックが出てくる歌詞みたいな詩を書いた覚えがある。2方向の根は、ここにあったと、Arim songsを作り出して、密かに思い当たった。
自分が書く詩は、詩だろうか。詩とは?の問いがずっと続くことになる。

大学入学当初は、朔太郎か芥川が命、、みたいな覚悟で国文科へ行ったのだが、その後大学では一切やらなかった。
現代詩アカデミーに週一通い、著名な現代詩人に単に憧れ、渋谷のポルト・パロール(池袋はポエム・パロール)に足を運び。
文芸評論家の教授武田友寿先生に顧問になって頂き、小説家志望の友達と文学クラブを作った。詩とは何か、の問いはずっと続き、SF小説よりも、詩書きになっていったのだった。私にとっては、SFの不思議と詩の不思議は似ていた。宇宙と詩と、言ってしまえばその後出会う仏教的禅的な思考も、同じ方向にあった。
卒論のために近代現代詩人を学んでいくうちに西脇順三郎に出会い、自分の中では、詩というものがどういうものであったらいいのか、一致してきた。

今思うと、詩と関わりながら、貴重な出会いばかり頂いて歩いてきたなと思う。
第一詩集「月がまるみをおびる地点まで」は、詩を捕まえたい、詩の場を、言葉によって現出したい、という果敢な実験のつもりであった。お陰様で先達詩人や美術関係の方々から好評を頂いた。

だが、第2詩集以降は、自分は全く違う方向を目指そうと思った。平明な言葉によって、人の心に届く詩を書きたいなと思うようになった。「ひかり」「永遠のポンプ」「青空のかけら」いずれも、普段あまり詩を読まない方にも、読んで頂けるそんな詩でありたいと思った。

詩は、いつも自分にとっては、実験です。平明な言葉であること。この基本は変わりません。詩というもの自体が、どんなにわかりやすく書いても、わからない角度を含みます。その角度を描くために、手法はいろいろあるのだと思うのです。毎回、それでいいと思っていないし、詩を捉えてみたいなと思っています。

ただ、詩は実験だと思っていますが、詩を書くために無理をしないで良くなったことは確かです。
それは年齢を重ねているせいかもしれないけれど、詩に、“…あなた誰?“て、毎回聞かなくてもよくなり。このことは、“…それでこれ、いいわよね、“って、知らない人に歩きながら話しかけられるようになったのと、ある種、似た位置に立てるようになったからかもしれません。
Arim

#詩 #現代詩 #エッセイ

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