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春は引越しの季節~?引越す可能性皆無だった家からの2度の引越し

#新生活をたのしく

わが家は、突然引越しが決まりました。
それも、江戸時代から、ず~っと住んでいた土地から。
しかも、引越しが決まった時には、まだ引越し先も決まってもいませんでした。

って、びっくりの出来事ではありましたが。
でも、今から思えば、最良の出来事だったのです。


義父が突然亡くなりまして。
そして、一人っ子の主人なので、相続手続きなどをする時に、土地のトラブルが発覚しました。

まわりを開発した業者と、義父のトラブルで、我が家は、道路が無い飛び地になっていたのでした。

道路が無い土地は、どんなに広くて、駅に近くても、建築許可が下りません。
なので、売るにも売れず、子どもたちが相続しても、分割したり、家を建て直す事もできません。
しかも、この土地は、むかしむかし、七重の塔があった埋蔵文化財がある土地でして、発掘調査もしないといけない土地で、発掘費用は地主なんだそうです。

しかも、夫は長年リストラから鬱状態になっており、無職で、収入も、貯金も底をついていました。
(くわしくはこちらから ↓↓)

そんな状況でしたが、そこから色々あって、義父が亡くなってから3年後に、突然、解決する事になったのでした。(上記の記事参照)

ただし、節分すぎに話が出て、4月1日更地渡しという期限が決まりましたので。
突然、要介護の義母を連れて、大学生の娘、専門学校と高校生の息子と夫の6人で、引越すことになったわけです。

棟続きの2世帯住宅だった家は、2軒分なので、更地にするにも2週間はかかるといわれて。
お彼岸を待たずに引越さないと、間に合いません。

認知症になっていた義母は、どんなに説明しても、「引越し」を理解する事はできませんでした。
「わかった」とは言うけど「わたしのものは何もいらないから」と言って、何故か自分の茶わんやお箸を捨ててしまうのです。
母なりの抵抗だったのかもしれません。

けれど、”義母が生活できる場所”(義母はすり足になっていて、階段上るのは、かなり厳しくなっていました)と、”できれば、娘が迷子にならない場所”(娘は、超方向音痴でした)という、宇宙へのオーダーをして。

そして、幸い、パソコンが得意で、家に居るので時間の余裕のある主人に「きっと亡くなったおじいちゃんが、上から絶対一軒は家を探してくれてあるはずだから、探して~!」とお願いしたのでした。

本当に、そのお陰で。
ピッタリな借家がみつかりました。
(詳しくは、以下を参照)

3月11日、東北の地震の1年後に、義母が懇意にしていたご近所のご夫婦に、義母をあずかっていただいている間に、借家へ引越しました。

ありがたかった事は、子供たちがほぼ大人に近いので、自分の荷物は自分で詰めてくれたし、色々協力してくれた事で、意外と早く荷造りができました。

引越しが決まったときに、どう考えても、今ある荷物を全部持って行くことができないことは、ハッキリしていました。
二世帯だし、義父が亡くなってからの荷物は、まったく処分していませんでしたし。
そもそも、義母たちが住んでいた離れには、わたしが開けたことのない収納場所が山ほどありました。
それに、庭にはなんと3棟も、何が入ってるか知らない物置がありました★

ご近所の方に、欲しいものがあったらもらって~!と、納戸や物置のものを見て持っていってもらったり。
料理教室に来てる方にも、引き取っていただいたりしました。

義母がむかしやっていた華道の道具、茶道の道具、水墨画の道具も色々ありましたが、何しろ、時間がありませんから、細かく調べたりしている余裕はありませんでした。

7割のものは、家とともに処分してもらう事になりました。
でも、これもとても有難かったことです。

引越しまでに時間があったならば、分別するのが大変すぎて、ダウンしていたかもしれません。

トラブル先の不動産業者との間に入ってくれた、友人のご主人の口ききで、解体業者もお願いしていたので、荷物も全部置いて行ってよいと言われたのです。
必要なものだけ、持ち出せばOKだから、という事です。


今となれば、ああ~、あれは昔の家にはあったのだけど!と思うモノも無いわけではありませんが。
どちらにしても、かなりな断捨離になりました。


そして、あらたな新生活がはじまりました。
義母とは、完全同居になって、認知症にもなっていたので、ビックリする出来事もありましたが。

それでも、新しい場所で、やっと介護認定などもしてもらう事もできました。
ディサービスには「絶対あんなところには行かない」と言って行きませんでしたが、訪問のリハビリを受けることが出来ました。


そして現在の家の地鎮祭

1年間の借家生活を経て、現在の処が見つかって、丁度1年後の3月に、また引越しをしました。

この時も、義母を前回の知人にあずかってもらいました。

ところが、今の家に引越しした時は、同じ引越し業者で、二度目という事もあって、ちょっとこちらも油断した点がありました。
なんと、現在の家のまわりに、大型車を停めるスペースが無かったのです。

家の前には、車3台停めれるスペースがあったので、大丈夫だと思っていました。
それが、家の前まで来る途中の道路が狭くて、大型トラックが入れず。
かなり遠くに大型を停めて、小さなトラックでピストン輸送する、という事になってしまったようです。

それで二度目の引越しは、夜中までかかってしまいました。
引越し業者が、現地確認を怠った?という事になるとは思うのですが、こちらもそれを確認していませんでした。

3月といえども、夜は冷えます。
引越し中は、リビングの掃き出し窓もあけっぱなしで、エアコン工事もまだで、寒くて震えました。

そして、預かってもらっていた義母も眠くなってしまうので、途中で迎えに行き。
引越し業者の方も大変だったと思いますが、なんとか夜中に終了しました。

もう引越しをする事は無いと思いますが、引越しをする時には、道路の確認もしないといけないという教訓も得ました。笑


現在の家での新生活は、本当に奇蹟的でした。
そもそも、現在の家が見つかったのも、奇蹟の連続のような出来事でした。
(上記の「宇宙にオーダー」の記事を参照)

そしてこちらには、↑↑ その上、テーブルセットや、太陽光発電なども、ドンピシャのタイミングで、上手くいった経験も、載せてあります★

現在の家に引越す時、市を変わるので、ケアマネさんも変わることになりました。
義母は、介護レンタルしていた、ベッドの手すりがないと起き上れなかったので、引越し当日から、レンタルが出来ないと困るのですが、市外のケアマネさんの紹介はしていただけませんでした。

「要介護」だと、ケアマネを自分で選べますよ、と言われたのですが、何処で?誰を?探せばよいのでしょう~?

でも、レンタル業者の方に、引越し先で使えるようにこちらの地域の手配をしていただき、同時に、こちらのケアマネさんを紹介してもらう事ができました。

そのお陰で、とても優秀な方を紹介していただいて。
引越してきてからは、嫌だと言っていたディサービスにも楽しく通うことができるようになりました。

なので、現在の家に引越してからの新生活は、実に快適なものとなりました。

何しろ、オール電化なので、光熱費が1/3~1/4くらい?になったでしょうか。(2軒分だから、もっとかな)
宇宙にオーダーした通りの、「吹付発砲断熱材」のお陰で、魔法瓶ハウスなので、暖かいですし。

(工事中、断熱材を写しました。ここは天井下の屋根裏部屋ですが、夏でも暑くありません~)

実家にも弟の家にも近いので、実家の介護も、弟宅の子守りも、回ってはきたけれど、それはそれで、ちゃんと上手くラッキーにまわりましたし。

来るものは拒まず、自分に回ってきたものは引き受ける、というスタンスで、色々やらせていただいているうちに、すべて丁度良いように上手くいきました。

ありがたい事ばかりです~。
コツは、「良かったことだけ、覚えて、数える」わけですけどネ。
長々と、読んでいただき、ありがとうございました!



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