消費者。

おはようございます。

いま、気付いたことをつらつら書いておきます。
人を傷つける内容を多分に含んでいると感じる…かもしれませんが、特定の誰かに向けて言ってはいない、ということだけ、しっかり伝えさせてください。

いま、ようやくジュニアアイドルが問題視されておりますが、そういう消費は昔から、本当にあったので…それは、気付きやすいというか。
比較じゃなく。そのどれもが無視されていいわけがないから、問題視されるようになったのは本当に、よかった…

でも、私はまだ自分の加害性を忘れている気がして、昨日の記事と併せて考えて、思ったのですが。

映画やドラマ、漫画で描かれる、女性性からみたらこんな女性おらんやろ…的な、マドンナ、ヒロイン、聖母…そういうのって、精神的なグラビア(ポルノ)だったんだな、と今気づきました。

キャラクターとして描かれているけど、そのキャラクターを通して実際に生きている女性が、見た目や体形を近づけていくように、精神的な部分も沿っていく。

なんか、そういう消費活動の一環を、しっかり担ってしまっていたな…と。
どこまでも、人でも命でも感情でも、なんでも消費し、消費され尽くされた社会のように感じてしまいました。

でも、それはメディア(他者)を通すからで、自分がそれに乗っかり続ける理由にはならないから、気付いたんだったらやめていこうと思います。

っていうことだけお伝えして出社します。
この国はいま、変わりつつあるのかな。どうなんだろう。たくさんの傷をかかえて。それすら見ないようにして走り続けて。見ないための「自分よりかわいそうな」生贄を差し出し続けている。それをみて安心している。
自分は「見る側」であることに。

そういうグロテスクさは、自分にもちゃんとあるなぁ、と思ったのです。
それは生きる上で必要としてきたのかもしれないし、でも、気付いて尚それをするなら、私は無知なのではなく加害への加担だと思う。

これに関しては、女性もしっかり乗っている部分だと思う。

身近な例でいうと、職場内で不倫をしまくる男性が実在して、その奥さんが毎回、浮気相手の女性に慰謝料を請求している。
女性は女性を敵視するようになっている。
ここがずっと、わからなかった。

でも、それは愛なんかじゃないなぁ、と改めて思いました。
男性の事を責めたくない、それは、責めたら自分の居場所が脅かされるから、というのもある。たぶん。多分に。

家父長制っていうと、こわいDVしそうな男性が仕切ってるような感じだけど、こういうマイルドな(?)家父長制はそこらじゅうに浸透していて、その家父の陰に、それを支える(支えさせられる)女性はずっといた。

被害者としてだけじゃなく、積極的にそうする女性もいる…
だからって女性性を責めたくないだけの…そこにはそこの、傷の層が何十年、何百年、ぶんの、傷が、あるように思えてしまう。
そこから目を背けないことが、もしかしたらフェミニズムなんだろうか。

私のように好き勝手に言えるような人間が出て来てまだそんなに年数は経っていない…
素人だから受け流されるのがせいぜいだとも思う。
でも、私は人間の「消費者」であることから、少しずつでも足を洗いたい。

そこから目を背けるための自己啓発はもういらない…
自己は逃げ場所じゃない。この人を育てないと、私は人と生きられない。
俺は自分のやるべきことをやっているんだ、は、もしかしたら強さじゃない。
そこにいつかの父を見る。
弱さとは呼ばないけれど、母を労われなかった父を強いとも思わなくていい。

母を消費してきた私へ。


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