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信じがたかった
ホントは歌いたかったの?

涙がこみ上げるほど
全身が喜んでいる

あんなに歌うことが辛かったのに

小さい頃から大好きだった歌
絶対歌手になるとなぜか確信していて
ホントにデビューできたけど

お仕事にしてしまうと
歌が楽しくなくなって
だんだん辛くなって

嘘がつけないから
歌手をやめた

そこから長い間、歌えなかった

鼻歌さえでも

それから数年経って 南の島に移住し 
少しずつ気持ちが落ち着いて

カラオケに行けるくらいにはなってきたけど歌うことへの苦手意識は拭えなかった

どんなに褒められても
素直にありがとうと思えなかった

素晴らしいボイストレーナーの先生をみつけては
このトラウマ解放に挑んでみたりもしたけど
やっぱり人前に出る人の声質ですよと言われても
歌が辛い気持ちは癒えないまま

もう諦め半分、歌はないものにしていた

藤井風くんとか 好きな音楽を聴く専
音楽は好きだけど
自分はやろうと思えない
そんな立ち位置

なのに なんで合唱隊に入ることにしたんだろう
どうしても武道館に立ちたかった?

ママさんコーラスや ゴスペルも
必ず嫌いな曲があって
歌い方もちょっと苦手だったりして
体験してすぐやめた

今回はそのどちらでもない
私の好みを満たすポピュラーミュージックの世界

ソウルフルに歌う 踊る
言葉の意味を伝える
リーダーの物部彩花さんの歌唱法と
私の歌い方はかなり一致していて
みなさんに指導されることの8割くらい
私は最初から自然にそう歌っていた

合唱隊という一人じゃないところが魅力だったのはたしか
周りは自己陶酔?レベルにはっちゃけて歌っていらっしゃる
そんな中だからこそ
私も枠を外せたのかもしれない

かっこつけたり 綺麗に歌うこともやめ
お腹の底からメッセージを響かせている自分がいた

これってもう奇跡でしょ☆
何度も涙をこらえた

魂が歌うことを喜んでいた

そう表現したくなるほどの
深い感動

歌えるようになって嬉しいし
みんなと歌えて楽しい

歌の基本原則をバッチリ満たせた

ここから歌がある毎日でいいんだよ

歌が大好きでしかたなかった幼少期から10代
その後、歌が辛くなって、歌えなくなった時期が何十年も続き

ようやく
人生の第3章が始まったんだ

よかったね わたし
今まで気付かなくてごめんね
ホントは歌いたかっただんだね

ここからたくさんの歌とともに生きていこう

小学校の頃
器楽合奏部 兼合唱部の顧問だった
生田由美子先生にいただいた言葉を思い出す

手には楽器を
唇には歌を

あの頃のように
また楽器を奏で 歌をうたおう

そんな毎日を生きようと思う

Hello Again ☆


追伸

「先生、一体何屋さんなの?」
子どもたちは笑って質問してきます♪

先生なのに 絵本作家になったり
今度は武道館で歌うと言ったり・・・
子どもたちは???

そうでしょ(*^-^*)
どれもやってみたかったの
やりたいことは全部やっていいんだよ

夢とか仕事って 1つじゃなくていいんだよ
私は笑顔で堂々と伝える

子どもたちには かっこつけずに何でも話す主義

1年以上、なかなか絵本コンクールで賞がとれなかったこと
最初のお仕事、歌手は歌うことがつらくなってやめたこと

好きなことがダメだったから
一番嫌いなことを選んで働いたら
なんとそれが大好きだとわかったこと
表彰されるほど 結果がでたこと

南の島が大好き過ぎて移住してたこと
そこで先生になりたかったという2番目の夢を思い出し
そこから教員免許を取るために大学生になったこと

せっかく先生になったのに
教科書よりも大事なことがある!と
子どもたちがあらゆる芸術体験を楽しめるNPO法人を立ち上げ
代表理事として活動したこと
まだ小学校の先生に戻ったこと・・・

さぁ これからも本音で生き
子どもたちにそんな生き様を見てもらおう
私は生きてる教科書だから

大人になるって 面白そう
ぼくも わたしも 何かやってみたい!
そう思ってもらえたら最幸だ☆


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