母が苦手。文章を書くことが苦手。

私は文章を書くのが苦手だ。

  • 「日記」がトラウマ

小学校低学年のころ、宿題に「日記」があった。毎日ではなかったけど、連休があったときとかに「休日何をしていたか」を日記帳に書いて提出していた記憶がある。それを学校に提出する前に何故か母に毎回見せていた。
私が書いた内容は大体「○○に行った。楽しかったです。」「○○を食べました。美味しかったです。」だった。それが母的には気に食わなかったのかぼろくそに言われた記憶がある。「なんでこれしか感想が無いの?」「こんなにあなたのためにいろんな場所に行って美味しいものを食べさせて経験をさせてあげているのに。」みたいな。父からは、からかわれた記憶がある。母に日記を見せると声に出して読まれて「また同じことを書いているよ」って怒鳴られているときに、私の声真似をして「○○でした。楽しかったです。」って笑われた。
その時はすごく恥ずかしかったし、できなくてごめんなさいって思っていた。毎回日記を見せては怒られるから宿題の中で「日記」が一番嫌いだった。
母は世間体を物凄く気にする人だったから、自分が変なことを書かれていないかを心配するために日記を確認し始めたんだと思う。見た結果、変なことは書かれていないにしても「自分が尽くしたよりも子どもは何も感じていないのか」「私が母の期待よりも稚拙すぎた」から目くじら立てて怒っていたのかもしれない。

  • 文章を書くのが怖くなった

それがきっかけで「読書感想文」も嫌いだった。これも母に見せては怒られるから。印象に残った場面とその感想を書いただけなのに「なんでこんな書き方なの?」「もっとこうしないと読みにくいじゃない」「面白かっただけじゃなくてもっと他に言い方ないの」とか。小学校は自分の気持ちを文章にする場面が多かったから嫌だった。中学、高校は作文はないし、問題に対する答えだけで自分の気持ちはいらないから、気楽だった。
今でも「私は文章を書くのが下手だ」とこびりついているくらいトラウマ体験だった。誰かに寄せ書きとか一言メッセージとか、咄嗟に文章を書かなければいけない場面になった時「私は文章は下手だから」の声が頭に振ってくる。

  • では何故文章を書いているのか

もともと、苦手だけど嫌いじゃないんだと思う。
加えて、うつ病になってから「日記」を書くといいと聞いたので、目ぼしいノートを買って書いていた。けど、毎回ノートを開くのは面倒だし、文字を書くのも疲れるし、読み返しにくいしで続かなかった。かといって、iPhoneに書くのも味気なくて続かなかった。ただ自分の感情を書きなぐっていただけだから、せっかくかわいいノートやアプリを使っても愚痴の掃きだめ場となるので全然テンションが上がらなかった。
ここでは誰かに見られているかもしれないという思いから、ちょっとだけ背筋が伸びる。「分かりやすく読みやすく書こう」と思うと自然と自分の頭も心も交通整理ができるようになった。愚痴を書いてから「その時にどういう気持ちになったか」「なぜそう思ったのか」「他にこういう経験があったか」等、派生して思いを巡らせるので、掃きだめにならず思考が展開するようになった気がする。
今日だって「文章アレルギーがあるのになんでnote続いているんだろう」って思いから、自分の考えと向き合えた。それで分かったことは、「私は思ったよりも母との確執があるのかもしれない」「やっぱり自己肯定感低いな」ということ。

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