思い込みの原点に振り返ってみた

「自分に自信を持つことが大事」「自分を好きになろう」頭では分かってはいるけれど実践できていない気がする。

この記事を読んで共感と気づきがあったのでまとめてみた。

昔は「変わらなきゃ、強くならなきゃ」と自分で自分を攻撃し2重のダメージを受けていたので、癒えるはずがなかったのです。

私は私を幸せにする方法を知ってるんだ

私も、自分が他の人と比べて劣っている点や平均より出来ていない点を見つけてはそれを「自分のダメなところ」とみなして、もっと頑張らなくては、直さなければと思い込んでいた。自分で自分を傷つけて否定して自信を無くしていった。

自分に優しくするのは、難しい。難しいけど、一番大事。

私は私を幸せにする方法を知ってるんだ

自分に厳しくすることが正しく生きることだと思い込んでいた。自分を律して「清く正しく美しく」いる状態を全ての人が行っていると思い込んでいた。少しでも正しい道から外れると怠けたことになる、取り返しがつかなくなると思い込んでいた。

一度それが誰の価値観なのか考えてみるべきかもしれません。

私は私を幸せにする方法を知ってるんだ

思い込みはどこから生まれたのか?
上記のような価値観は一朝一夕では生まれない。恐らく幼少期から芽生え始めたと思うが、はっきりとした原因は思い当たらない。
いくつか考えてみた。

①性格
素直で几帳面だと思う。
他人からの言葉は全て吸収しようとしていた。今でも「騙されやすそうだよね」とか言われるから(誉め言葉ではない)、傍から見ても疑うことを知らなさそうな人と思われている。思うに、教科書や童話や先生、両親からの話等は、子ども向きに修正された耳障りの良い言葉で教え諭されており、物事のA面しか触れられなかったのだと思う。物事のB面にあたる、ずる賢さや場合によっては嘘をつくこと等は「完全悪」だと解釈していたのだと思う。物事のB面を取り入れられなかった理由は「良い子でいよう」としていたからだと思う。他者から評価されるための最適解を出そうとしたときに、〇か✕かの二択の選択肢しかないと思っていて、臨機応変さが欠けていただろう。
勉強をする時に、計画を立てて行動するのが好きで、それを達成できると嬉しかった。「地道にコツコツ」「やればできる」といった言葉が好きだった。分からないことをそのままにするのが嫌いで、着実に物事を進めたがった。部屋は乱雑だし綺麗好きでもないので他人からは「几帳面」だと言われたことはないし、どちらかといえば「がさつでおおらか、小さいことは気にしない」と言われることが多かったが、勉強(今だと仕事)は確実に遂行せねばと神経をとがらせていた。

②母親の言葉
「誰かがこう言っていたから」「世間がこう言っていたから」「普通はこうやってやる」「常識的に考えて」
他者からの引用ばかりで母自ら考えた言葉を聞いた記憶がない。思春期の頃は「世間って誰?」「普通って何?」って聞いても「世間は世間」「普通は普通」と言われ話が通じなかった。この人に自分の意見を言っても無駄だと無力感を味わった。私が「この考え方は違うと思う」って言っても身近な大人である母が否定するから自分に自信が持てなかった。頭が混乱していた。
母の言動は呪縛となり今も縛り付けられている気がする。母に対して、育ててくれたことは感謝しているが尊敬はしていない。父や弟は距離感があって嫌悪感はなく良好な関係性だと思う。

自分の心はいつも自分と一緒。唯一無二の居場所です。この場所を快適にしなければ、本当の安らぎは得られません。逆に言えば、自分の心さえ安らげる居場所であれば、どんな大嵐が来ても大丈夫なのです。

私は私を幸せにする方法を知ってるんだ

私はまだ自分の心に居心地の良さを感じることが出来ていない気がする。良いときと悪いときの波が激しい。
今の自分を受け入れて、できたことに目を向けていきたい。

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