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神の手から逃れるための、早馬としてのブランド戦略

「経済学が神の見えざる手の振る舞いを解き明かそうとする神の学問であるならば、マーケティングは神の手から逃げおおせようとし続ける人の営みである」

というようなことを、数年前から考えている。



経済学的には、利潤は最終的にゼロになる

私が大学で専攻していた「経済学」は、限りある資源を最適に配分するために、「需要」と「供給」そして「インセンティブ」について研究をする学問であった。(本当にそうなのかはさておき、私はそういう理解をしていた)

この経済学部の基本原理に従うなら、全ての商品/サービスの利潤は最終的にゼロになる。

ある市場である企業の生産・販売する商品に利潤が存在する限り、新たな競合の参入が起こり続け、その結果生産物価格は下落し、その極限においては利潤がゼロになるからだ。

私たちの企業活動において得られている利益は仮初めのものに過ぎず、いっとき高い利益を得られていたとしても、その利益自体が無限に競合の参入を呼び続ける餌となってしまう。

かくして、競合との競争の中で価格は下落し続け、完全なコモディティとなった商品で全てのカテゴリーが満たされる。

資本主義社会のプレイヤーとしては悪夢でしかないが、経済学的にはそれがあるべき「歴史の終わり」なのだ。

経済学は究極的には「世界の全ての需要に対して、世界の全ての資源をどのように配分するべきなのか?」を問う学問だから、最終的に誰も利益を得ることができない水準までチューニングされた価格で需要を満たせる世界こそが「究極的に完成された」世界だということになる。

個々のプレイヤーが自分だけが得をするように、競争相手を出し抜き高い利益を上げ続けようと努力をすればするほど、世界の資源配分は全体最適化に近づいていく。お釈迦様の掌の上で走り回る孫悟空のように、神の見えざる手が差配する場所に気がつけば運ばれていく。

この世界観の中では、人の経済活動の全ては資源の最適配分というゴールに向かうための手段であり、企業も人も神様の使い捨ての駒に過ぎない。

だがどうだろう。現実に世界はその方向に向かっているだろうか?

確かに「豊かになってほしいものが無くなってきた」という話はよく聞くようになった。

しかし、世界中の企業が上げた利益の額は順調に膨らみ続けている。
2017年の世界企業の合計純利益額は4兆ドル(420兆円)に上ると言われている。

ちなみに純利益額トップはAppleで、その純利益額は過去最高の484億ドルに達している。彼らは「豊かになってほしいものが無くなってきた」はずの先進国で売上の7割を稼いでいるにも関わらずだ。

なぜ経済学の理論に沿って歴史は終わりに向かっていかないのか?

それは自然にそうなっているのではない、と私は考えている。

人が、そうしている。

人間が自らの意志で、神の定めた運命に抗い、懸命に知恵を絞って努力した結果、歴史の終わりを(いまのところ)遠ざけることに成功しているのだ。

その努力とはつまりイノベーションであり、マーケティングである。

既存の市場がコモディティ化し尽くされる前に新たな市場を絶え間なく創造し(つまり新たな需要を作り出し続け)、価格以外に多様な判断基準をコンシューマーに提供し、製品やサービスの価値をアップデートし続けることで、利潤をゼロに収束させることなくむしろ拡大させている。

利潤をゼロに収束させようという引力に引かれるよりも速く遠ざかるために足を止めずに走り続ける人や企業だけが、これを成し遂げることができるのだろう。

今回のトライバルメディアハウスの社内勉強会、TPAの課題は「ブランド」である。

ブランドは神の見えざる手から逃れるための「マーケティング」という人の営みにおける早馬である、ということが言いたかっただけなのだがずいぶん長くなってしまった。

以下、ようやく本題。


仮説1:ブランドとは神話である

ブランドとはなんだろうか。ブランドの定義とはなんだろうか。

ブランド戦略論に簡潔な表現で記されている。

Kapferer(2008)は、ブランドの専門家の間でもっともホットな議論の1つがブランドとは何かについて見解が一致していないことであるといい、Avis(2009)は、さまざまなブランド定義をレビューしたうえで、ブランドという言葉を定義することは「群盲象を評す」という状況に近いと述べている。
:【ブランド戦略論】より

うむ。これはひどい。

しかし、「群盲象を評す」と言われようとも定義がなければ話が進まない。この本の作者の田中洋さんは蛮勇を奮って以下のようにブランドを定義していた。

本書ではブランドを「交換の対象としての商品・企業・組織に関して顧客がもちうる認知システムとその知識」と定義する。
:【ブランド戦略論】より

では、このブランドはいったいなんの役に立っているのか。言い換えると、ブランドはどのように機能しているのか。

ブランド戦略論では以下のようにまとめられている。

①「情報手がかり」と「ヒューリスティックス」としての理性的・論理的な働きである認知的機能と、②「感情」「情緒」反応を起こさせる情緒的働きである感情的機能、さらに③「ストーリー性」や「意味」を誘発させる創造的機能である。
:【ブランド戦略論】より

上記①~③のブランド機能が相互に影響し合いながら働くのであると。

こういった機能があることで強いブランドを持つ製品やサービスは、記憶に残りやすくなったり、気づきやすくなったり、高い価格を付けても買ってもらえたり、小売店で一等地にあたるスペースをもらえたりと良いことがあるわけだ。

ではどうしたら強いブランドが作れるのだろうか?

ブランド戦略論では強いブランドを持った企業の多くが数回にわたるイノベーションの創出を通じて、自らをブランドとして確立してきたと主張している。

つまりブランドは、20世紀の前半までには包装の革新の結果として出現し、20世紀に入ってからは技術的・マーケティング的イノベーションによって成立するようになった。~中略~つまり商品は買ってみなければ、あるいは買った後であっても、その品質がわからない財に変化した。
:【ブランド戦略論】より

面白いのは、イノベーションを経てブランドが社会や市場に浸透していくのには時間差があるのだという。

ブランドはイノベーションの「最初の一撃」から生まれる。しかしイノベーションがブランドに進化するためには、また別のメカニズムが必要となる。それが「起源の忘却」である。
:【ブランド戦略論】より

神を目撃したという経験はブランドではないが、神話はブランドである、とでも捉えればよいだろうか。

あるいはイノベーションが労働所得だとしたら、ブランドは不労所得と言えるかもしれない。もちろん何もせずにタンス預金をしていてもお金が増えないのと同様、ブランドも不労所得にしようと思ったら運用していかなければならない。

なるほどブランド・エクイティとはよく言ったものである。ブランド・マネジメントとはイノベーションによって築き上げた資産を運用する投資活動だと言うことになる。



仮説2:ブランドとは独自性とアベイラビリティである

もう一冊の課題図書はこちらである。

ちなみに見出しにした「アベイラビリティ」は、ざっくり言うと「手に入れやすさ」、漢字多めで言うと「入手可能性」のことだそうだ。

さて、こちらを書かれたバイロン・シャープ博士、だいぶアグレッシブな方であるらしく、既存のマーケティング理論の誤りをエビデンスに則ってボコるのだ、と意気軒昂なご様子だった。

しかし、ここに挙げられている事例やデータ自体は初見のものも多く、読んでいて学びの多い一冊であることは間違いなかった。

彼の主張を少しだけ抜き出してみる(100%私の主観だ)

①差別化より独自性
差別化してポジショニングを取ってペルソナつくってコミュニケーション、そんなのムダ!!
なぜなら消費者はブランドのことなんて気にしないし、気まぐれだし、いちいち買う時にブランドのポジションなんて意識しないし、ペルソナ以外の人もたくさん買うし、なんなら商品の売上の購入者の半分以上はライトユーザーだよほら!(と言いながらデータを見せる)
だから競合との大してわからない違いを一生懸命アピールするより、とにかく記憶に残ることが大事。競合とどんな違いがあるかを説明してる暇があったら、競合と違うんだということがひと目でわかるようにしないとね。

②メンタルアベイラビリティとフィジカルアベイラビリティが超重要!
膨大な製品群の中で商品を買う時ほとんどのブランドは消費者から覚えてもらってないので無いも同然。
だからCMは打ち続けた方が良い(それはほんの少しでも覚えて貰う可能性を増やすということでもあるし、思い出してもらう可能性を増やすということでもある)し、もちろん気まぐれな消費者がその商品をほしいと思った時にすぐ買える状況が存在している必要があるから小売店の棚取りとかも超重要!!



で、結局ブランドとはなんなのか?

仮説1と2のどちらが正しいか、というような話は無意味だ。

ブランド戦略論で語られているようなブランド(私自身にとってであれば例えばApple)、つまり私自身の生活にイノベーションを起こした功績によって私の記憶の中で優位を占め続けているブランドは存在する。

一方でブランディングの科学で語られているような、気まぐれで特定のブランドへのロイヤリティを持たないジャンル(特にこだわりを持っていない日用品とか)における購買行動は確かにその通りであると感じることもある。

その商品やサービスを購入する際にどれだけの時間を意思決定に当てたいか、という問いに対する答えは商品やサービスごとに違う。

消費者のこういった購買意思決定への平均的なリソース配分の違いが、ブランドによってなすべきことを決めていくし、(これはどちらの本にも書かれていたように思うが)そもそもブランドを磨かなくても勝てるマーケットだって存在している。

だからまた、いつもの話に帰着するのがそろそろ悪い気もしてきているのだけど、「最も大事なのは顧客理解である」と言いたい。何度でも。





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