問題が多くて確かな、やさしさ

 父との関係は、よくなかった。
 亡くなった人間のことを、あれこれ悪し様に言うようなことはせずにいたい。父は、私にやさしくしてくれたことがあった。



 父とのある思い出。

 幼稚園児だった頃の、ある日のことだ。
 完全に寝る準備を終えて、布団に入り静かにしていたところに、父が仕事から帰宅した。私の眠る薄暗い部屋に、仕事着のままの父はノソノソと入ってきて、立ち尽くしてボウッとしていた。私は起きていたが、目をつむっていたように思う。今ぐらいの季節だったはずで、暑くて邪魔くさいので布団はよけておいた。はねのけたり蹴り飛ばしたりしたのではなく、きちんと横に置いたので、「これでよし。」と、あの頃特有の謎理論で自分の行いにホクホクしていた。きちんと横に置いたその布団を、父が私にかけた。

「暑いから脱いで、置いておいたの」

 静かに目を閉じていた私が突然そう発言したのに驚いたのか、父は、ビクッとして、それから笑った。そして言った。

「タオルケットだけなら?着られる?」

 タオルケットだけでも暑い。着られない。と、私は主張したように思う。父はまた笑った、ように思う。そして、

「おなかだけでも、お布団着ておきなさい」

 と言った。

 当時の私は、よほど丈夫な子供だったのだろう、”おなかは大切に”という概念の存在を知らなかった。だから”おなかだけは冷やさないよう布団を着る”という提案の意味も、全く分からなかった。
 しかし、父がおなかにタオルケットをかけてくれたのが、嬉しかった。これなら暑くても着ていられるとも思った。
 翌日の夜からは自主的におなかにタオルケットをかけた。私が寝入るまで付き添っていた母が、布団そうやって着るの?と聞いてきたので、「暑いから布団いらないと言ったら、お父さんがおなかだけでもかけたらいいって言ったから」と説明した。母は「お父さんそんなこと言ったの」と笑った。父母間は諍いが絶えず家庭は常に緊張状態にあったので、母が父の話題で笑顔になったのは、その時の私にはこの上ない喜びだった。

 後日、父にも「見て。ほら。おなかにかけてる」と報告をした。父の反応は、うるさいな、邪魔くさいな、という感じのものだったのだけど。声をかけるタイミングがよくなかったのだろう。

 もうひとつの思い出。

 私が小学生~高校生だった頃、母は私のBMIを18以下にしておくことに苦心していた。腹痛で受診した医師から私が痩せすぎていると指摘されたら、母は私に怒った。母が出す食事は私にとっては少なくて、ずっと空腹だったので、お代わりを欲しがると、みっともないと却下された。
 時々一緒に食事をすることのあった父は、そんな私におかずを分けてくれた。「これも食べな」と少し照れ臭そうに、私のお皿に自分のお皿のものを移してくれた。

 今も私は暑がりで、最近も、おなかにだけ布団をかけて寝ている。家族が布団をはねのけているのを見かけたら、そのおなかに布団をかける。それをする時、いつもあの日の、薄暗くて蒸し暑い部屋で父と交わした言葉が浮かんでいる。

 しかし時々おかずを分けてくれた父の精神が私にも宿るまでには紆余曲折あり、時間がかかった。ご飯を食べる量を自分で選べるようになってから、長いこと私はがめつく、大変いやしく、人数分、買ってあるお菓子を独り占めしたりするのを止められなかった。
 変わったのは、とうの昔に成長期を終えた私に食べたいものを食べたいだけ食べられるように配慮してくれる家族ができてからだ。人のお菓子を奪ってまで食べていると、「そんなに好きならもっと置いておこう」と追加を買い与えてもらったりした。そんな日々の中で、いやしい私もようやく、人と分け合うことの意味、尊さを理解したように思う。相手が好きな食べ物をたくさん食べて欲しいと心から思うようになった。食べ物に限らず、相手があらゆる面で心地よい状態にあって欲しいとも思うようになった。そうなって初めて、あの頃おかずを分けてくれた父の行為、その心中に、しみじみと思いを馳せるようにもなった。父は食いしん坊だったのに、あの瞬間は自分の食欲よりも私を優先してくれていた。

 父が亡くなった直後、亡くなったことにまつわり出てくる色々なことが負担で、私は、あまり死を悼めなかった。
 しばらく時間が経っても、父が亡くなったことをそこまでは悲しんでいない自分にがっかりするばかりだった。

 最近になって、父は私にやさしくしてくれていたと気が付くようになった。

 欲しいものを欲しいだけ欲しがって、その通りに叶えられることの方が稀で、少ないとか足りないとかは、言い出したらキリがない。

 父はやさしかった。
 かつての私が望んでいた通りに完璧な形ではなかったとしても、やさしさを与えてくれていた。父の私へのやさしさは決して、全然、ゼロではなかった。
 これからも、私も父のように人に布団をかけるし、食べ物を分ける。できれば、自分が人にできることが今後もっと増えていくといい。そしてまた新しく、父がくれたやさしさに気が付くこともあると思う。

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