おはな

✓女性には二種類いる

■「性・女性」と「人間・女性」 

誤解を承知で説明すれば、女性は二種類のタイプに分かれます。それは「性的に見られたい女性」と「性的に見られたくない女性」です。
私は前者を「性・女性」、後者を「人間・女性」と分類しています。あくまでざっくりとですので、どうぞご容赦ください。

男性から性的に見られたいという「性・女性」を、改めて説明する必要はないでしょう。どれほど女性が「セクハラは不快」と主張しても、実際に性を商品化する職業をみずから選ぶ女性がいるのは事実です。

風俗や水商売やAVなどを選ぶ女性もいます。お金や権力のある男性に囲われ愛人として遊んで暮らすことをのぞむ女性もいます。「かわいい枠」の女子アナとしてちやほやされたいタイプの女性もいますね。どれもみなおなじ「女性」です。
大人が自己決定で選択した道ですから他人がどうこういうことはできません。賛成はしかねますが、これはこれで「個人の自由」と申し上げるほかないでしょう。(不快感情はべつとして)

さて、つぎに「性的に見られたくない女性」ですが、これがまた二種類に枝分かれ致します。
ひとつには「人間としての尊重がベースにあれば女性として褒められることもうれしい」、という「リスペクトOK型」。もうひとつは「それすらも嫌」というタイプです。

「リスペクトOK型」というのはどのようなタイプでしょう。
たとえば男性から好かれたいという女性でも、「お前いい胸してるな、いい尻してるな」と歪んだセクシュアル視点のみで値踏みされた場合、まるでモノのような失礼な見方をされているわけですから、当然うれしくないということです。これは男性でも想像できるかと思います。

「胸やおしり」「従順さ」「幼さ」「かわいさ」「色気」「女子力」「奉仕」のような、男性サイドからの性的な優越的価値観ではなく、人間力をベースとした対等な目線から、「すてきな女性だな」「聡明な人だな」「品のよいおきれいな方だな」と思われ、そのうえで女性として好意を持たれることは嫌ではないということです。
女性をモノ扱いするのではなく、人間として尊重できているかどうかというところに着目してください。
社会一般では、この「リスペクトOK型」の「人間・女性」が、実際のところかなり多数派といえるのではないでしょうか。


まず、このダブルスタンダードを理解していない男性が多すぎます。
「性・女性」は、ごく一部の女性しかいません。しかし男性の多くは女性という存在を一辺倒にとらえ、男性にとって都合のよい男性視点にあてはめてしまいます。

「女というのは男から性的に見られたい性・女性なんだろう?」
「それが女性にとってうれしい見られ方なんだろう?」

このような固定概念の押しつけボールを、背面から断りもなしに、勝手にバシバシぶつけてきます。この誤解が是正されなければセクシュアルハラスメントは減りませんし、女性にとって快適な職場環境も整わないのです。

ドッヂボールしながら仕事はできません。生産性が下がるので、どうかボールをキャッチするエネルギーを、仕事に使わせていただけないでしょうか。

■ 男というだけで「上位者目線」を捨てきれない日本の男性

まずは「女性が女として見られることはうれしいはずだ」という過去の遺物ともいえる古い思考をさっさと捨て去りましょう。
あなたが男性でしたら、不遜な「上位者目線」をあたりまえだと思わないことです。あなたは嵐でもなければKAT-TUNでもない。Hey!Say!JUMPでもありません。己のスペックと向き合い、男性としての「上から目線」はそっと舞台裏に置いておかなければならないのですから。

「性・女性」タイプがいることは事実です。
しかし職場では意識の照準を「性・女性」にではなく、「人間・女性」のほうに合わせてください。それが健全な会社組織のありかたですし、男女雇用機会均等法もそのために存在しています。


しかしいまだに、すべての女性が「男性から性的に見られたい性・女性」だという「偏見」をお持ちの男性はたくさんいらっしゃいます。
やはり五十代~六十代以降にとても多いですね。今まさに、会社で決定権をもつ年代です。彼らの多くはセクハラという言葉を知ってはいるけれど、言葉を知っているだけで本質を深くつきつめて考えようとはなさいません。女性が自分たちとおなじ〝人間〟であるということを、なかなか自身の中でアップデートできないようなのです。

彼らは「お尻をさわらなければよい」という程度の考えから脱却できず、周りにいる女性の外見が女らしければそれだけで何の疑問ももたずに「性・女性」を押しつけ、軽んじ、以降はそのようにしか扱いません。

そしてそのような男性上司のもとで働くことに、女性はほとほと疲弊しています。男女共同参画の進まない大きな原因のひとつは、この女性を人間として対等に見られない「男性意識の変わらなさ」にあると感じています。



■ 女性を人間扱いできない悪い例

ひとつ、「性・女性」と「人間・女性」を区別できていない、悪い例をご紹介しましょう。

私が大学生のときですので、すでに二十年以上前の話になります。友人のオギさんが就職活動の時期、「同級生の男子J君から、とても腹が立つことを言われた」と憤慨しながら私に語ってきました。
ちなみにオギさんは、フェミニズムを勉強しているわけでもない、特にアグレッシブでもない、どちらかといえばおとなしい、ごく普通の女子学生でした。オギさんはJ君にこう言われたそうです。

「女の人はいいよなあ。いざというときは水商売とかできるんだから」。

彼は悪びれることなく、女性に対してこのように無礼な発言を平気で口にしました。しかし彼には「失礼なことを言った」という自覚も罪悪感もありません。実際にはJ君のせりふは失礼極まりない発言ですが、本質を理解できない男性というのは、これのどこが「失礼」かすら、未だにわからないようなのです。
このように人としての会話ができない、言語の通じない宇宙人のようなタイプの男性は、まだ日本中に潜んでいます。なぜそう言いきれるかといいますと、私がまだまだ実際によく出会うからなのです。

オギさんは、なぜJ君の発言を不快に思ったのでしょうか。

それはJ君が、「女性性を消費」するのが男性の特権であるという、ゆがんだ男性優位意識を持っていたからです。そしてJ君の意識とは裏腹に、オギさんは女性性を商品化することを好まない「人間・女性」でした。
「人間・女性」は、女を性として見られること、ホステス扱いされること、女性性を男性から一方的に消費されることなど、性を商品化されることを不快に感じ、それを侮辱と考えます。

ところがJ君は、女性の性意識にダブルスタンダードがあることに気づかず、「性・女性」と「人間・女性」を混同してしまいました。
J君は女性のことを、男性に性的に従事する「性・女性」という存在のみと考え、その狭い枠のなかに「人間・女性」のオギさんを勝手に押し込めて、足で蓋をしてオギさんの尊厳を踏みにじったのです。


ここに女性というものに対する認識のズレが生じています。
「人間・女性」を「性・女性」の枠に、勝手に押し込めてはいけません。

子供のころ、「木枠の型におなじ型の積み木をはめこむおもちゃ」というのがありました。すべての積み木を木枠から出し、それぞれの型に合致する積み木をはめ込んでいく幼児用のおもちゃです。
三角の木枠に花型の積み木をはめ込むのはルール違反でしょう。積み木にも木枠にもストレスを与え、摩擦が生じ、どちらも傷つけることになりかねません。この例えは組織と人材にもあてはまるとお考えください。

広くて大きな「人間・女性」を、狭くて奇妙な形をした「性・女性」という箱に、強引に押し込めるのは大変よろしくありません。そのように乱暴なことをされたら、誰でも窮屈で嫌な気持ちになるのではないでしょうか。それは女性に限らず、男性でもおなじだと思います。

たとえば男性も、身長や学歴や年収や性器の大きさなど、ぶしつけな「狭いセクシュアル」という枠に、勝手な評価で振り分けられ、それを女性が当然のように上位者視点で評価し、優越的に会話を進めてきたらいかがでしょう。おそらくとても腹が立つことと思います。

それを男性は女性に対してごく普通に行います。「男性であることの優位性」をスタンダードとかん違いし、日常的に女性を軽んじることに罪悪感を抱かないのです。それは時代に逆行する、驚愕すべきセクシスト思想です。

■「性・女性」と「人間・女性」の反応のちがい

たしかに「性・女性」が存在することは事実です。彼女たちは男性を前にすると急に声がワントーン高くなり、しなしなと不自然な動きをします。そして若く美しい女性には敵対心を燃やし、無条件で冷淡に接します。そのような女性を見かけたら「ああ、この人は『性・女性』なんだな」と思ってください。

しかしその媚びるような態度を見てあきれ、白い目を向けているのが「人間・女性」です。どちらも生物学的には同じ「女性」であることに変わりはありません。しかし中身でいえば両者はまったくべつの生き物です。

たとえば双方に、「あなたなら会社勤めじゃなくてホステスやればいいじゃない。ホステスに向いているよ」と言ったとしましょう。
「あら、わたしってやっぱりイケてるのね。うふふ」
そのせりふを「勲章」として受け取り、満面の笑みで喜ぶのは「性・女性」でしょう。

しかし「人間・女性」にそのせりふを言ったなら。当然、烈火のごとく怒りますね。
「はぁ⁉ 何、この失礼な男! わたしがホステスやるわけないでしょ。バカにするにもほどがある。女をなんだと思ってるの!」
この差が何なのか。はっきりとわからないという男性も多かったのではないでしょうか。

「なんだよ、A子は大喜びしたから、B子にもおなじことを言ってほめてやったのに。B子は怒り出しやがって、気むずかしいヤツだ。女ってヤツは本当にわからないな」

いいえ、違います。どこが違うかというと、女性をワンタイプにくくること自体が間違っているのです。
A子さんは「性・女性」。B子さんは「人間・女性」。
同じ「女性」でも、両者は「性」に対して真逆の価値観で生きている、まったくべつの生き物です。

A子さんは性的に見られることがうれしい。B子さんは性的に見られることが不愉快。

ちなみにわたしは完全なB子さんタイプの「人間・女性」です。男性から一方的に性的消費物としてのセクシュアル扱いをされると不愉快で仕方ありません。わたしはわたしのために存在しており、男性のために存在しているわけではないのです。

女性というのは「オンナ」ばかりではない。
まずは男性にそのことを認識していただきたいと思います。


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