憧れの舞台から2週間経って思うこと

高校生の時、
私もいつか走ってみたいと憧れた大阪国際女子マラソン。
その憧れの舞台を走って、もうすぐ2週間。
私、走ったんだよなぁ。。
あっという間に過ぎてしまって、
もう2週間も経つのにまだ余韻に浸っている。

こどもの頃から運動神経はいい方ではなく、
割とぽっちゃりしていた私。
卓球や柔道もやってみたものの、合わなくて続かず。。
ひとまず、基礎体力をと中学で陸上部に入り、
消去法で長距離を選択。
でもやっぱり、
鈍足で、陸上部長距離で駅伝部の部長なのに
駅伝は補欠だった。
鈍足だったけど、
コツコツ練習を積めば結果が出る長距離は私の性格に合っていて、
懲りずに高校生でも陸上部長距離を所属。
同級生は中国大会(地方大会)出場してるけど、
同じように練習していても私は県大会で予選落ちレベル。
後輩ができても後輩にも抜かれ、、
それでは情けないと高2くらいから、
早朝の自主練を始める。
やっと、人並みレベルの走力に。
コツコツ続けて、
最後の県の高校駅伝でようやく区間2位の成績を残せた。
鈍足でも中学、高校と陸上を続けられたのは、
走ることが好きだったし、
顧問の先生に恵まれたということと
母がずっと応援してくれていたからだと思う。
大学でも陸上部長距離に所属したが、
はじめての県外で一人暮らし、
比較的授業や実習が多い学科で試験も難しく両立に悩んだり、
怪我が多いのと体重のコントロールがうまくできなくて、
大学2年で駅伝の選手を最後の最後に
後輩に持っていかれて、挫折。退部した。

それ以降、マラソン、駅伝関係の情報を聞いたり見たり
ランニングしている人を目撃することすら嫌だった。
走ることが生活の一部だったのに、
すごくすごく中途半端に諦めた自分と向き合うことから逃げてたのだと思う。
今思えば、
自分で自分をコントロールできてないし、
何も努力できていないからじゃないかと思うのだけど、
大学生の私は自分に甘かったな。
中学生から続けてきた陸上競技を20歳で諦め、10年。
走ることを避けて過ごしてた。

そんな私が走り始めたのは2018年5月。
息子が2歳になり、
私はこれまでの人生、
何かをやり抜く、目標を達成することができていない。
息子が大きくなっていく中で、
息子に(勉強や部活や好きなこと...etcを)がんばれ!と言える立場だろうか。
と強く思うようになった。

頑張り続けてきた走ることを中途半端に辞めてしまってから、
勉強も就活も中途半端、
就職しても、体調崩して続かず、
何をしたらいいか分からず
特に夢も目標もなく生きてて、
とりあえず、日々を過ごして、
生きてて楽しいとかって思うことなかった。
だけど、妊娠して結婚が決まって、家族ができた。
しっかりしなきゃと
とりあえず仕事と家事、子育てをしてきた。。。
でも、
息子を産んでからは、私みたいなのが母親でいいのかなってずっと思ってた。
自信はないけど、産んだからには責任があるしと思って育ててた。
そんな中で、息子に頑張る姿勢を見せたい、
息子の自慢になるような母でいたいと思い始めて、
走ることを目標を達成せずに辞めたこと、
辞めた自分から逃げてきたことを
ずっとずっと心で引きずっていたから、もう一度走ろうと
旦那にランニングをしたいと相談し、スタート。

週末ランナーでいいかなと思ってはじめてみたものの
やっぱり走るのが大好きだから、
フルマラソン出たいなっていう目標ができて、
2019年3月初フルマラソン完走。
達成したら、100km走りたいなと思って
半年後(2019年9月)には100km完走。
そして、
大阪国際女子マラソンは市民ランナーでも出られることを知った時、
これだ!学生の時憧れてた舞台、私はここで走りたい!と強く思った。
2020年の京都マラソンで大阪国際女子の参加資格タイムをクリアできた時は
ものすごく嬉しかったのを覚えてる。
10年、走ることにずーっと向き合わないようにしてたけど、
向き合ってみたら、すごく楽しくて、自分に自信が持てて、
目標ができたり、友達が出来たり、自分の世界が一気に広がって、
生きるのがすごく楽しくなった。
同じ趣味で好きなことについて熱く語れたり、応援し合える友達や仲間がいるっていいな。
SNSはいいとこ悪いとこあるけど、
SNSのおかげで、たくさんの方と繋がれて励まされることはたくさんあった。
刺激もたくさんもらって、自分に自信が持てたのは、こういう繋がりもあってこそだと思ってる。

2021年の大阪国際女子は参加資格の条件も厳しく、
出場はできなかったけど、
一山選手の走りをテレビ越しにみて、
私も絶対、大阪を走るんだ!と改めて強く思ったことを覚えている。
2021年10月15日(たしか)
第41回大阪国際女子マラソンの大会要項が発表。
私も参加資格があるとわかり、絶対に出るんだ!と決めたこの日。
それから3ヵ月半、できる限りの練習をして、臨んだ初大阪国際女子マラソン。
産後7ヵ月で練習不足という不安もありつつ、
家族の支えがあって、
憧れの、念願の大阪国際女子マラソンを走れたことは本当に本当に嬉しかった。
そして、完走し、笑顔で家族のもとに帰れたことは一生の思い出。
そして、なにかと苦労をかけたり心配をかけて、
でも1番私を応援してくれた母に、
憧れの舞台で完走出来たことを報告出来たことは
私なりの親孝行になったのかなと思っている。
走ることを再スタートしたことで、
自分に自信が持てるようになって
仕事も子育ても家事も頑張れるようになった。
20代、ずーっと真っ暗闇で、先のことなんて考えなかった私が
目標を持てるようになった。
生きてるって感じがする!
大袈裟だけど、どん底だったときを思えば、
今は生かされてるんじゃなくて
すごく生きてる感じがして、幸せだし楽しい。
うまく言えないけど、
いつ死んでも大丈夫って思えるくらい
精一杯生きてる。
歳を重ねるにつれてどんどん充実していて嬉しくなる。
走ることを再スタートしてよかった。
逃げてた自分と向き合えるきっかけをくれた旦那と息子に感謝。
そして、応援してくれて、支えてくれる家族に感謝、
Twitter、Instagramで繋がって、刺激や励ましをくださる方々にも本当に感謝。
たくさんの周りの支えや応援があって
初めての大阪国際女子マラソン完走できて本当に良かった!
憧れから目標に変わり、それを達成できて本当に嬉しい。

来年、出場できるにならば、
サブ自分でより一層強くなった私で快走したい。
来年の大阪国際女子マラソンまでに
練習のレベルをしっかり上げて、
確実に3時間切れる自信を持ってスタートしたいな。

長くなりましたが、読んでくださり、ありがとうございました♡

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