「葬送のフリーレン」が教えてくれる思い出作りの重要性(アニメ25話)
45才Mrガチぼっちの「ありのこ」です。
今回はアニメ「葬送のフリーレン」の第25話について。
第25話のサブタイトルは「致命的な隙」。
次がChatGPTによるこのnote記事のまとめ(箇条書き)です。
「もしかしたら私、フリーレン様を殺せるかもしれません」
アニメ第25話の冒頭で不穏なことを言うフェルンちゃん。
フェルンちゃんが「殺せるかもしれない」と言っているフリーレンはフリーレンの複製体のことです。
一級魔法使い選抜試験の最中。
アニメ第25話は二次試験の迷宮攻略。
最深部で出てきたのがフリーレンの複製体です。
その複製体を倒すための作戦を何人かで立てています。
「もしかしたら私、フリーレン様を殺せるかもしれません」はその作成会議で出てきた言葉です。
そしてフェルンちゃんは次のようなセリフも言います。
「フリーレン様、なんだか楽しそうですね」
「楽しそう」というのが「葬送のフリーレン」のポイントの1つなのでしょうか?
前々回の第23話でもフェルンちゃんがフリーレンと一緒にいる理由として「楽しそうだから」と言っています。
フリーレンが魔導書を集めているのが「楽しそう」だから一緒にいるのだと。
魔導書はフェルンから見ればガラクタなんですけど。
「人間は他人が楽しそうにしているのが好き」なんですよね。
(フリーレンは他「人」ではなくエルフだというツッコミが来そうですが)
「葬送のフリーレン」の他の重要ポイントとして「記憶」とか「思い出」が挙げられます。
たとえば第22話。
フリーレンがヒンメルに「覚えていてもらうためにはどうすればいいんだろう?」と聞くシーンがあります。
これって「記憶」とか「思い出」の問題ですよね。
ちなみにヒンメルは「ほんの少しでいい、誰かの人生を変えてあげればいい、きっとそれだけで十分なんだ」と回答。
ヒンメルは言葉もナルシストですね。
勇者さまでなくても45才になると「人間の寄って立つ精神的基盤の1つは良き思い出である」ことが分かります。
ひどい懐古主義(=昔を懐かしがりまくる)は困りますが、人間はある程度の年齢になると「昔の良き思い出」に寄り掛かるようになります。
「楽しい思い出」は「良き思い出」です。
アニメ第25話では苦しい場面であるはずなのにカンネとラヴィーネはいつも通り<仲良く>ケンカしてます。
実はカンネとラヴィーネの態度があの場面では正しいのかもしれません。
もしフリーレンの複製体を倒して生き延びたら、フリーレンの複製体を倒すため作戦を立てていたこともみんなにとって良き思い出になるでしょう。
「人間の寄って立つ精神的基盤の1つは良き思い出である」ことを考えれば若い人たちは「楽しい良き思い出」をたくさん作るべきなのです。
大人になれば「意図的に」楽しい場面を自分で作っていかないといけない。
学校時代は大人たちが楽しい(であろう)場面を作ってくれます。
学校であれば遠足・学園祭・修学旅行などなど。
親がおたんじょう日会などをやってくれるかもしれません。
しかし大人になれば周りがおぜん立てしてくれる「楽しいこと」は減っていきます。
だから若者は自分で楽しい思い出を作らないといけない。
年長者は若者が楽しい思い出を作るのを邪魔してはいけない。
経済的な基盤も必要ですが、一定の年齢になると精神的に寄って立つ基盤も必要になるのです。
今回のブログ記事は以上です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
以前にもアニメ「葬送のフリーレン」に関するブログ記事を書いています。
興味があればぜひお読みください。
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経済的な基盤が崩壊しています。
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