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退職を余儀なくされた元公務員の挑戦:noteで始める新たな一歩

皆さまはじめまして。
「ありのこ」と申します。

20年以上にわたり国家公務員をしておりましたが、2023年度の途中にて退職を余儀なくされました

退職理由は安倍晋三元総理と同じ潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんという病気のためです。

潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんは難病にも指定されているかなり厄介な病気です。

退職理由は潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんのただ1点です。
退職するまでかなり粘ったのですが病気と仕事の両立が全く不可能になりました。
何か悪いことをして逃げ出したなどという事はありません

潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんはなかなか難しい病気です。
今後の病状を予測することができません。

急に退職したので今後の当てもまったくありません

このような状況なのでリハビリの一環として「noteを始めてみよう」と思いました

先ほど書きましたが私は元国家公務員です。
国家公務員ですが本省ほんしょう勤務ではありません。
出先機関に20年以上勤務し続けました。

本省とは〇〇省とのことです。
財務省とか文部科学省などです。
国家公務員と聞くと「〇〇省に勤務」というイメージを持ちやすいかもしれません。

しかし出先機関に勤務する国家公務員の方が圧倒的に多いです。
私は圧倒的の多いほう、出先機関に勤務していました。

「出先機関にいた」ということは「現場にいた」ということです。
現場一筋げんばひとすじ20年以上の公務員でした。

仕事内容は事務。
事務系公務員です。

国家公務員種試験に合格。
そして2002年に採用されました。

国家公務員Ⅱ種試験と言われてもピンと来ないかもしれません。
2002年には存在した試験制度でしたが、今は試験区分が変わり消えてしまいました。

簡単に言えばノンキャリア採用です。
もっと簡単に言えば「出世しない国家公務員」です。

今回がnote初投稿なので私の経歴を書いておきたいと思います。

●1979年1月 生まれる
●1997年3月 埼玉県立春日部高校(男子校)を卒業
 ・大学受験を全滅(1つも受からない)
●1997年4月~ 駿台御茶ノ水校に通う
 ・浪人時代はさすがに死ぬ気で受験勉強
●1998年4月 中央大学法学部法律学科に入学
●1999年(大学2年生)から公務員試験の勉強を始める
   ・3年生にて卒業に必要な単位を取り終える(がんばった!)
 ・就職氷河期ド真ん中の時代
●2002年1月末やっと内定をもらえる
 ・内定をもらえたのは大学「4」年生の1月末
●2002年3月中央大学法学部法律学科卒業
●2002年4月 出先機関の国家公務員として就職
●2005年 潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんを発症
 ・悪化したり回復したりを繰り返しなんとか勤務し続ける
●2021年1月 クソ寒い時期に人事異動
 ・この人事異動により病状が劇的に悪化する
 ・休職した時期もあり
●2023年度途中 国家公務員を退職(正式には辞職と言う)

就職氷河期ド真ん中という悲劇

浪人中は必死になり勉強。
なんとか1998年に中央大学に入りました。

しかし世の中は就職氷河期ド真ん中
あとから振り返れば私が就職活動をした2001年あたりが「平成の30年間のなかで新卒就活が一番ひどかった」時期です。

バブル経済が崩壊した直後よりひどかった。
リーマンショックのときよりもひどかった。

そんな悲惨な時期と就職活動の時期が重なってしまいました。

中央大学が保護者向けに向けた説明会。
母が出席しましたが、中央大学から次のように言われたそうです。

民間企業の就職活動と公務員試験の両立は無理です。
共倒れします。
今の雇用情勢は大変厳しいです。

意訳ですがこんな感じの説明を受けたそうです。

公務員試験で言えば2chにこんな書き込みがありました。

京都大学の学生が国家公務員種で面接に来た

東京大学に次ぐ高学歴の京都大学が国家公務員種で採用を目指す!?
キャリア官僚になる可能性がゼロのノンキャリア枠で面接に来た。

本当の話かどうかわかりません。
都市伝説です。

しかし「そんなバカなことはないだろう」と言い切れず「もししたら本当かもしれない」というのが多くの反応でした。
それくらい新卒の就活は厳しい状況でした。

大学「4」年生の1月末になってやっと内定が出る



「京都大学の学生が国家公務員種で面接に来た」と先ほど書きました。

公務員試験の世界を知らないとちょっと意味が分からないかもしれません。
よって公務員試験について説明しておきます。
ただし私が就職活動をしていた2001年の話です。

国家公務員試験は人事院が行います。
国家公務員種試験も人事院が行います。

国家公務員種試験に合格しても採用が決まるわけではありません

地方公務員(都道府県・市区町村)とはここが違います。
地方公務員は採用官庁が試験を実施します。

私は埼玉県民なので埼玉県庁を例に出します。
埼玉県庁は埼玉県庁が採用試験をします。

採用官庁が試験をしているですから試験に合格すれば採用されます。
ちなみに私は埼玉県庁は二次落ちでした。

埼玉県庁は一次試験のペーパー試験は通ったけど二次試験の面接・集団討論で落ちました。
そういえば地元の市役所も二次落ちしました。

今となっては自分の実力がなかったのか実はコネ採用があって・・・なのかは謎です。
ずっと解明されない「地方公務員採用の闇」でしょう・・・
ノンキャリア国家公務員より地方公務員の方が圧倒的に人気がありました。

国家公務員試験に話を戻します。
国家公務員試験は採用先ではない人事院が実施します。

でも国家公務員試験を受けるのは人事院に就職したい人だけはないですよね。
だったらどうするのか?

国家公務員試験の合格者は希望する官庁に面接に行きます。
これを「官庁訪問」と呼びます。

「京都大学の学生が国家公務員種試験で面接に来た」=「官庁訪問で京都大学生が来た!」→ノンキャリア公務員に京大生だと!?驚いた!

本当かどうかは不明の話

私も国家公務員種試験に合格しました。
希望する官庁へ「官庁訪問」に行きました。

しかし地獄が始まります・・・
面接を受けても受けても受けても受けても内定がもらえません

もし内定がもらえなければ国家公務員種試験の合格が無駄になります。
国家公務員試験は資格試験でありません。
期間が過ぎれば無意味になります。
もう1回受け直しです。

私の就活がうまくいかずあまりにもズルズル引きずるので卒業旅行にも行けませんでした。。。
ギリギリまで待ってくれた友よ、すまん。。。(その友人は別の人と無事に卒業旅行に行っています)

大学「4」年生の12月31日になっても内定は出ませんでした
(大学3年生ではありません、念のため)

年が明けたら生まれて初めて地元の神社でお祓いをしました。

神様の効果があったのか分かりませんが、大学4年生の1月末にやっと内定が出ました。
4月採用なので本当にラストだったでしょう。
20年以上勤務することになる出先機関からの内定です。

就職氷河期ド真ん中でしたのでここで就職を逃したら「ワーキングプア」と呼ばれる人生を歩んだかもしれません。

そう考えれば「末端出先機関の絶対に末端国家公務員」だったとしても就職が決まって良かったです。

20代なかばで潰瘍性大腸炎を発症

2002年に国家公務員になりました
そして2005年に潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんを発症しました。

ある日突然に難病はやってきます。
汚い話で申し訳ないですが、ある日突然にお手洗いで下血しました。
前日まではなんともなかったのに。

大腸の病気ですが私は暴飲暴食をしていたわけではありません。
潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんは原因不明の病気です。
よって断言はしませんが病気の原因は「仕事のストレス」だと思っています。

薬の服用で治療をしていましたが2007年に悪化。
2008年には入院して治療をしましたが、劇的に回復することはありませんでした。

病状は回復したり悪化したりを繰り返しながら時は流れていきます。

そして、その時はやってきました。

わざとですか?クソ寒い時期の異動

2021年1月に人事異動になりました。

1月はかなり困ったことです。

私の場合、潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんが悪化する季節が冬なのです。
潰瘍性大腸炎《かいようせいだいちょうえん》患者が弱いのは環境の変化です。

役所の人事異動について詳しくない人でも「1月に異動するのは珍しいのでは?」と思うかもしれません。

はい、その通り珍しいです。

多くの職員が異動する時期の異動であれば「仕方がない」と思います。

しかしわざわざガチクソ寒い1月に私を異動したのはなぜなのでしょうか?

潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんに関する事項として「冬に病状が悪化する=配慮が必要」であることは「かなり上位の懸案事項」としてなんども伝えてあったはずです。

引継ぎされてませんでしたか?
でも10年以上にわたって伝えてましたから・・・無視したのでしょうかね?

この「魔の1月異動」については気になる方もいらっしゃるかもしれませんが、この辺でやめておきます。

正直に言うとこの「魔の1月異動」について書いていると軽い動悸どうきがします。
精神的なマイナスも潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんに響きますので「魔の1月異動」についてはこの辺にしておきます。

もし気持ちが落ち着いたら「魔の1月異動」についていずれnoteで記事にするかもしません。

国家公務員として20年以上勤務したが無念の退職

「魔の1月異動」のあと潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんが悪化し続けました。

「休職して復帰する」なんてこともやってみましたがついに限界を迎えます。

かなりギリギリまで粘ってみましたが心身ともに限界でした。

2023年度の途中で退職します。

前にも書きましたが退職理由は潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんの1点のみです。

ガチクソ就職氷河期にやっと手にした正規雇用の職を44才にして失いました

公務員クエスト失敗、そして無職へ、、、

当てもないまま退職に追い込まれました。
まさかの44才ニートデビューです。
完全に無収入です。

自分ではまじめにやってきたつもりですが全く報われなかった職業人生」でした。
いや報われなかったのは「職業人生」という限定はなく「人生」全体なのかもしれません。

就職氷河期ド真ん中世代は「ふんだりけったり世代」で、努力しても人生全体が報われない人が多い気がします。
努力が報われる確率がかなり低いように感じるのは・・・ひがみでしょうか・・・。

公務員がニートデビュー、そしてnoteデビュー

潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんの病状と相談しながらになってしまいますが、noteデビューをすることにしました。

いうなれば「リハビリ」です。
リハビリと言っても病気のリハビリではなく、社会的なリハビリです。

noteを書くことを社会的リハビリの第1歩としたいです。

私は妻子もいません、彼女もいませんので自分のペースで社会的リハビリができればと思います。

noteの内容は「20年以上の現場公務員」の経験を活かした内容にしたいと思っています。

・「20年以上の現場公務員」の経験を踏まえた政治経済・行政の話
・「20年以上の現場公務員」の経験を踏まえた時事ニュースの話
・「20年以上の現場公務員」の経験を踏まえた仕事術
・「20年以上の現場公務員」を元にした経験談

他にもやるかも!?

今後のnoteの方針は以下のようにしていきたいと思います。

・無料記事と有料記事は両方とも書く。
・ペースは最低1週間で無料記事1本、有料記事1本以上は書く。(1週間で2本の記事)

ただし実際にnoteをやってみないと分かりません

内容がどうなるかはnoteデビューしてみないとわかりません。

note記事のペースもやってみないとわかりません。

「もっとたくさん記事が書ける!」となるかもしれません。
「週2本記事を書くのすらキツイ」となるかもしれません。

ペースは潰瘍性大腸炎かいようせいだいちょうえんの病状次第という面もあります。

いちばん悩むところのは有料記事の価格です。
「適正価格がいくらなのか?」もさっぱりわかりませんので手探りで考えていく感じです。

いちばんの目標は「長くnoteを続ける」こと。
頻度よりも持続を重視していきたいと思います。

みなさまへのおねがい

前にも書きましたが「noteを社会的リハビリの第1歩としていきたい」と思います。

就職氷河期世代(=ふんだりけったり世代)の難病患者が無職・無収入の状況です。

皆さまの応援があると非常に助かります

・フォローしてくれる=励みになります!(無料)
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・緑色の気に入ったらサポート(クリエイターサポート)=いわゆる「投げ銭」です 無職・無収入なのでかなり助かります!!
・有料記事の購入=今年中には書きます!無職・無収入なのでかなり助かります!!


私「ありのこ」がnote以外で行っている情報発信の一覧を作りました。
SNS・音声配信・ほかのブログを載せています。

興味があればぜひご覧ください。

かなり長い記事を読んで下さりありがとうございました。
noteを少しでも長い期間続けていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

2023年(令和5年)12月28日
退職していなければ御用納め(仕事納め)だった日に

無職の難病患者なのでサポートしていただけると大変助かります。 サポートしてくださると庶民の味方・ドトールに行けるようになります。