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大晦日に思う

昨日まで栃木の友人宅に行ってたりしたので、31日になってようやく大掃除が始まった。

私はキッチンで、夫はお風呂からスタート。娘は「ナナ、クリスマスツリー、かたづけるね」とツリーの箱をとりだしひとりで全てのものをしまった。すごいぞ。君はもう立派な戦力だ。

一通り片付けがおわると、娘が急に

「ねえ、ママ。ナナねえ、おねえちゃんがほしいんだけど!」

と言い出した。
な、なるほど! お姉ちゃんか!そうきたか。

「おねえちゃんっていうのはちょっと、後からつくるのは無理なんだ。さっちゃん(私の妹)をおねえちゃんっておもったら?」

「むりだよ。だって、さっちゃんはさっちゃんだもん」(娘)

「そうか、じゃあ、ママをおねえちゃんだと思ったら?」

「うん!それなら大丈夫!ママがおねえちゃんになって」(娘)

え、そうなの? 了解!

というわけで、今日から私は娘の母であり、おねえちゃんになった。ついでに言うと親友でもある。前に、「ずっと仲良しの親友でいよう」という約束をしたのだ。

というわけで、私はムスメの母親であり、お姉ちゃんであり、親友である。

娘は私が42歳の時に生まれた。ひどく難産だった。破水から72時間かかっても娘は全く下がってこず、最終的には帝王切開で生まれてきた。時代が時代なら二人とも生きられなかったかもしれない。
そういうことと関係あるのか、ないのかはもはやわからないが、娘は自分の娘でありながら、なんだか遠い大きな存在から「よろしく」と預けてもらったような気持ちがする。大切に大切にしてあげなくては、という気持ちが日々募る。だから、私は娘に求められれば、なんにだってなれる。

とはいえ、良い母親かと言われたら全くもってそんなことはない。家事もごはんも適当だし、休日はぐったりしすぎて、公園にすら連れていけないことも多いし(I君が連れていく)。週末はイベントでそもそも不在のことも多い。昨日までの旅行でも娘のパンツをすっかり忘れてしまった。こうして振り返ると、反省することだらけである。来年はもうちょっとマシになりたいものだけど、どうなるかは分からない。

今年は受賞したこともあり、取材をうけることがとても多かった。よく「まだ子どもが小さいのによく長編を書けましたね」的なことを言われることも。

そんなときに思う。

わたしは娘がいたからこそ、あの本を書けたのです。娘がいたからこそ、自分が本当に大切なものがわかるようになった。未来をを自分たちの手で作ることの大切さを知った。

来年はどんな年になるのだろう。
色々なニュースに触れるたびに、娘が生きるこの日本が、もっとよくなって欲しいと願ってやまない。でも祈ったり、怒ったり、叫んだりしても事態は、何も変わらない。ただ自分ができることを、自分の周りでやっていこうと思うだけだ。

みなさん、良いお年を。



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