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AIの進化が著しい時代に、自動ではほぼ何もしてくれないモノたち

生成AIの進化がとてつもないことになっていますね。SNSでも、注文に従って出てきた画像を共有する人も増えていて、すごく綺麗な絵にびっくりします。今日はこの人、ずいぶんピントがピシッとしてて解像度のある写真撮れてる!と思ったらAIだったり、コンサートのチラシの絵をそれで作ってる例もあって、なるほどこういう活用ができるのか、と。

Soraとかいう動画生成も激しくて、もうスクリプトさえ言葉で書ければ、かなり面白い動画も作れるそうだ。
スノードームの中で小さいお百姓さんが耕していたり、盆栽みたいに小さい木からたくさんのちっこいレッサーパンダが降ってくる動画を見て、とてもファンタジックで可愛くて、そんな創造性・想像性をAIが発揮してくれるなんて、すごいと思いました。

なので、もうAIにできることは、AIにおまかせする便利でスピーディーな世の中になっていけばいいんだと思います。

これから、むしろ、「時間をかける」とか「リアルである」ということは、ある種、非常に贅沢なことで、そこに価値がつけられて、嗜好性の高いものになっていくのでしょうね。もうなってると思うけど。

(食事だって、なんでも美味しくて体によいものがサクッと買えたり、お店で食べられるのに、あえて家で手間暇かけて「自炊」するのはもはや、ラグジュアリーなことだと感じています。)

思えば、「時間がかかって、実態を楽しめる」などという考え方そのものが数十年前までは存在しなくて、それを「価値」だと言っても誰も理解してくれなかったと思います。

たとえば、フィルムカメラなんて、40年前だったら誰もが「写真を撮る行為」として当たり前だった感覚が、今や生成AIで綺麗な画像が一瞬で作れるようになったから、むしろ「時間がかかって、実態を楽しめる」という新たな「価値」に生まれ変わった。

PENTAXが、「新しいフィルムカメラ」を作ろうとしているそうなのだけれど、動画でしきりに「若い人が楽しめるような」というアピールポイントに言及されているのが興味深いです。
「アナログ写真は絶対に途絶えません!」


わざわざ、カメラ、レンズ、フィルムというモノが必要な世界。オート機能もあるけれど、絞りやシャッタースピードなどをわざわざ自分で操作しないと、好みの絵作りにならない道具。若い人が、じっくりとフィルムカメラで写真を撮り、それを現像して、楽しむなんてとても贅沢な時間。

これは私のフィルムカメラ。バルナックライカ。

私が使っているレコードプレーヤーも、オートでなんて、ほぼ何もしてくれない。完全に手動。どころか、針を下ろしたあとは、そ〜〜っと歩かないと、すぐに振動で音が飛んじゃいます(笑)。
そして、レコード針(カートリッジ)だったり、ケーブルだったり、アンプだったり、もう、どこをどういじっても、音はしっかりリアルに変わっていくので、アナログってすげーなー!と思ってしまう。

LINNのLP12というプレーヤー。クラシカルなデザインも超魅力。

「便利じゃない」ってことが、「価値を持つ」という時代が来たなんて、人間の文明が一周したような、不思議な感じ。

利便性に淘汰されてしまった、多くの産業や文化もあったはずだけれど、残されたり、復活したりするものもたくさんある。

そして私が、究極の癒し「実態」の価値を持つモノとして大好きなのが「ぬいぐるみ」であります。なんの「利便性」もないモノです。ただただフワフワだったりモチモチだったり、意外と固かったり重かったり、手に取って「あ」となる、それだけのモノなのですが、不思議なくらいに「愛でたい」みたいな感覚をガンガンにリアルに引き出してくれるから、ぬいぐるみすげーなー!と思うのであります。

とげとげのぬいぐるみもかわいいよ!

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