平気なふりをしていた。だからやりたいことがあるんだ。
絶対に誰かの味方で居続けたい。
私はずっとそんなふうに思ってきました。
そしていま、rainyというサービスで自分を必要としている人の味方になる、ということをやっています。
なんでここまでして、誰かの味方になりたいのか。
それは私自身が「どんな時も味方でいてくれる人に、ただただそばに居てほしい」って思ってきたから。
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じぶんのやりたいことを応援してくれて、離れて行かないで、いつでも「大丈夫だよ」と言ってくれる人をずっと探し求めていました。
そう思いながらも身近な人とのすれ違いがあったり、思うようにいかなかったりして心の底では「ずっと味方してくれる人なんていない」と思っていました。
そしていつの間にか「私は一人でも平気だ。一人でも生きていける」と思うようになりました。
それでもふとした時に、やりたいことを反対された時に、「ひとりぼっちだ」と泣きたくなることがありました。
「どうして身近な人ほど失ってしまうんだろう」って悲しくなってしまったこともあります。
それなのにずっと、私は平気な顔して自分を抑えていました。
そんなことがあったからこそ、自分は絶対に誰かの味方で居続けていたいと強く強く、思ったんです。
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味方でいることには、根拠なんてありません。
その人がすごい人だから味方する、やさしいから味方する、とかそういう条件はありません。
その人がどんなことを考えたとしても、どんな状況にいても、どんなことをしていても、否定しません。
その人が自分のことを好きになれて、誰かと比べなくてよくて、ちゃんと泣くことができて、「好き」とか「嫌い」とか言えて。
そして最後には、ちゃんと心の底から笑うことができる。
そうなるように、最後までその人を応援し続けることが、味方でいることだと思います。
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今ではこんなことを考えられるようになったけれど、それは平気なふりをしてきた自分を見てきたからです。
自分はとてもひとりぼっちだったし、この先もずっとひとりなんじゃないかって本当は怖かった。
だからこそ、1人でもいいから、自分のところに来てくれる誰かには「大丈夫だからね」って言い続けていたいんです。
たとえその人が「大丈夫」って思えなくても、そんな時は代わりに私が「大丈夫だよ」って思い続けることにしています。
それくらい「大丈夫だよ」って言って味方していたい。
これがむかし平気な顔して一人で生きていこうとしていた私のやりたいことです。
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