好きなことをやっていいし、誰かの言葉で生きなくていい。

人の人生を否定はしない。

けれど自分の人生は、「つまらないな」と思った人の言葉で染めたくありません。

だから私は「やりたいことにまっしぐら」な自分でいいと思っています。

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昔ある編集者さんに将来どんな仕事をしたいか聞かれました。

私は「やってみたいなと思ったことを自分で選んで仕事していきたいです」と答えたことがあります。

その時に言われました。

「僕は好きなことができなくて良かったと思っている。好きなことだけやっていたら、できることが少なくなっていたはずだから。〇〇という雑誌しかつくれない人になってたと思う。だからいろいろやってみて、可能性を広げられてよかった。もちろん才能がない人たちは、好きなことだけやっていればいいと思う」と。

そうかな、と私は思いました。

生意気にも、自分には当てはまらないなと思ってしまったんです。

その人が言ったことは、その人自身ががいろいろと体験してみて分かったことであって、私が体験して出した結論じゃないから。

あくまでその人にとっても正解で、私の正解ではないんです。

私は自分に才能があってもなくてもいい。

あまり才能というものを信じていないので、どっちでもいいと思っているんです。

だから好きなことで自分を幸せにしてやりたいし、そういった自分の姿をたくさんの人に見てもらって元気になってもらいたい、と思っています。

究極のところ私がやりたいのはそれだけなんです。

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人の言葉ってよくも悪くも自分の生き方にものすごく影響すると私は考えています。

そんな私の言葉も誰かに影響しています。

だからこそ、覚えておきたいのは「人の言葉で生きちゃいけない」ということです。

人が言った「好きなことで生きろ」というプラスの言葉も、「好きなことで生きてはいけない」というマイナスな言葉も、コピーしたり受け売りにしたりしているうちは、自分の財産にはなりません。

人が言った言葉は「本当にそうなのかな」と考えて、自分で行動して確かめてみないうちは、まだ受け売りの段階です。

自分の小さい頭で一生懸命考えて、ようやく出た答えが自分の言葉になる。

その言葉で生きている人が、自分だけの人生を創り出していける、と私は思うんです。

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どんなに才能やセンスがあって一流でも、「好き」一筋でやっている人の輝きには負けなと感じています。

「好き」一筋でやっている人に負けてしまう一流は、超一流ではない。

超一流は、「好き」を突き詰めていった結果、自分の力がついて輝くようになった人だと思います。

そして実は超一流と、「好き」一筋な人たちの輝きは同じくらい。

そして私はセンスや才能のある人になりたいのか、それとも輝きのある人になりたいのか、自問しています。

こうして誰にも教えてもらわない、自分だけの答えを見つけていくんです。

正解も不正解もないのだから。


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