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落ちていく不安よりも底をつく安心を選ぶ:喪失との向き合い方

こんにちは。臨床心理士のarisanです。
この記事では、私が最近感じている違和感を掘り下げたら、終わっていない大切な人との別れに気づいた話と、
そこから考える、喪失との向き合い方について書こうと思います。

無視できなくなっていた違和感

私はここ最近、心に違和感を抱えたまま、日々を過ごしてきました。

考えなければいけない事、頼まれた事をこなすため、
朝一番に書き出したTo Doリストをチェックオフし、達成度を確認する毎日でした。

でも、心の中にずっと違和感のしこりがあって、
これ以上動くと自分を置いてけぼりにする危機感がありました。

だから、私は覚悟を決めて、ノートに「今、私が感じていること」をもうこれ以上書けないというまで書き出すことにしました。

そして、最近の私が自分の核心に触れられない理由に辿り着きました。

人手に渡る祖父の家

始まりは、大好きだった祖父の家を親戚が相続することが確定したという知らせでした。

それまで曖昧だった、私達がその家に住む可能性は0になり、翌日から「これで諦めがついた」とばかりに私は、不動産サイトに複数登録し、数カ所の内見の予定を入れました。

ノートに気持ちを書き出していくと、
「おじいちゃんの家は他人の所有物になった」ことの喪失感だけではなく「あの家と別れたくない」と思っていることに気づきました。

夏になると従兄弟たちとカードゲームを楽しんだ記憶や
大学生のときに祖父母と同居した思い出…

もう気楽に足を踏み入れることはできないし、あの家は潰されて新しい建物が立ってしまう。

そして、知らない人がそこに住むのだという現実。

それを思うと、今も胸の奥をぎゅっと掴まれたような痛みを感じます。

家に託していた祖父との絆

祖父は私を可愛がってくれました。
子どもの頃、誕生日に私を主人公にした物語を作ってくれたり、長い入院の付き添いに来てくれたりしました。

忙しい両親が目が届かない私の心の隙間に祖父が必ず居てくれて、特別に気にかけてもらいました。

私は祖父に守られていました。

気づけばもうすぐ祖父の七回忌。

もう十分悲しんだと思っていたけど、私は祖父との別れを、祖父の家に託して先延ばしにしていたのかもしれません。

祖父との絆の証を目に見える形で残したかったのかもしれません。

喪失を認めたくない心:躁的防衛

祖父の家が人手に渡ることが確定してすぐに不動産サイトに登録した私は、喪失を認めることを拒否し、抗っていました。

でも、何かを失ったときに反射的に頑張ろうとすると、傷が深くなるし、どこかで頑張れなくなります

失ったモノの代わりを手に入れることで痛みを和らげようとするのは喪失への躁的防衛とよばれ、躁うつ病の心の動きとも関係していると言われています。

どれだけ動いても大切なものを失った痛みは、消えることなく存在し続けます。

底をつく体験がくれる安心

底をつくことは怖い。
落ちていく不安はもっと怖い。

でも落ちて本当に底をついて背中と地面がくっつけば、大地の存在に気づきます。

固い地面につくことで、もうこれ以上落ち込むことはないんだという安心感がでてきます。

落ちたら痛いけど、地面に身を委ねると意外と安心

心のこともそうだと思います。

喪失感があるとき、そこに目を向けると、どこまでも落ち込んでしまいそうな不安を感じることがあります。

喪失感を掘り下げるときっと涙が止まらなくなる。
きっと何もやる気がなくなる。
きっと動けなくなる。

人は落ちていく不安から、喪失感をスルーすることを覚えていきます。

でも本当は、もう心の中では泣いているし、一歩も動けなくなってるんですよね。

そして、そのことを自分に隠すために、沢山のエネルギーを消費して疲れ切ってしまうのです。

喪失との向き合い方:これ以上落ちる不安よりも底をつく安心を選ぶ

では、どうやって喪失と向き合うか。

覚悟して自分の違和感に止まってみるのはどうでしょう。

紙とペンを用意して、ひたすら今の自分の考えや感覚に言葉をあてていくのです。

自分の底を見てやろう!という意気込みで。

もちろん、カウンセリングやセラピィを受けて、誰かと取り組むのも良いと思います。

違和感はパンドラの箱みたいに、
おどろおどろしくて怖くて仕方ない。

けれども、パンドラの箱の底にあったのは「希望」でした。

私の違和感の底にあったのは、

喪失感を通り越して
今も祖父のことが大好きで、
祖父が居ないことをとてつもなく寂しく思っている

という気持ちでした。

おばあちゃんのことが大好きだったおじいちゃん。
自分の田舎をとても大切にしていたおじいちゃん。
自分のことも、他の人のことも大好きだったおじいちゃん。

「おじいちゃん、大好きだよ」
「ずっと避けていてごめんね」

私の違和感の底にはそんな言葉が落ちていました。

そして、今は他の人のものになる祖父の家とも、少しずつお別れする覚悟が出来ています。

おじいちゃんが大切にしていた家。
汗だくになって草むしりしていた家。
家の臭いやおじいちゃんとおばあちゃんの気配。

「ありがとう。お別れするのがすごく寂しいよ」

七回忌にはしっかり参加して、祖父とのお別れを終えて来ようと思います。

この記事が、まだ終わっていないお別れを心に抱えている方のお役に立てたら嬉しいです。

読んで頂きありがとうございました!

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