うに食う

日記

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9月24日

意外と臆病なんだねぇ、と名前も知らない酔っ払ったおじさんに言われた時にどきりとしたと同時に不快感がこみ上げてきた。 私が何年も何十年も何よりもコンプレックスで、隠そうと強いフリをし続けたところをあまりにも簡単にさっくりと見抜かれた。見抜かれたのかどうかは正確にはわからないし揶揄っただけかもしれないし適当に言ったのかもしれない。ただ私が臆病であることは事実でそれを自身が気にしていることも事実。なんとなく悔しいとまではいかないクソ、と呟いてしまう程度の不快感。最近はなんだか陰鬱

    • 花冷え

      ここ数日薄らと漂う陰鬱が形になっている気がしてまたため息をついている。今に始まったことではないけど当然いい気分ではない。仕方ないねトホホで済むようになったからまだマシだ。昼過ぎにスーパーへご飯でも買いに行こうかと重い腰を上げて外へ出たものの閉め切ったカーテンと間接照明のみの部屋で過ごしていたものだから外が明るすぎて驚いた。あといつのまにか外の気温がちょうど良くて心地が良かった。スーパーについてから店内を歩き回って気付いたが私は何が食べたいのか分からなくてぐるぐると彷徨って、私

      • 余白

        今年の冬は比較的穏やかに過ごせた。陰鬱も近すぎず遠すぎずうまく付き合えてたと思う。ただ結局のところ私の鬱のトリガーはいつだって他人からの干渉なので私はまだまだ心が弱いのだろう。挫折を味わった人間には限界値を認識してブレーキが搭載されるので昔のように無理をすることができなくなった。良く言えば自分自身のリスクマネジメントが出来るようになったのかもしれないけれど、何事も勢いだけでできなくなったので大人になる、というのはこういう部分も差し含めるのだろう。もう3月後半なのに冷え込んでい

        • 強い心の手に入れ方

          最強のメンタル、マインドの手に入れる方法をよく聞かれるけどそんなのは地獄を味わうのが手っ取り早い。私は傷付いて、諦めて、絶望して、人に期待するのをやめた。強い心を手に入れるのと同時に孤独にもなる。今思うとこれは正解の過程じゃない気がするなとたまに考えたりするけれど。きっと他にも強い心を手に入れる手段はいくつでもあると思う。私だって傷付かない訳ではないしネガティブにならない訳じゃない。そこの感情が完全に欠落したらそれこそ人ではなくなる。バランスの兼ね合いと譲歩でしかなくて私はそ

          満ち足りる

          満ち足りる、という言葉があるが満ち足りると感じる時はどんな時なのか。好きな人と触れ合う時、美味しいものを食べた時、給料が多かった時、趣味を楽しんだ時、身体や精神が満足した時だろうけど完全に満足して満ち足りたと感じることは人生であるのだろうか。次の日起きたら満ち足りて溢れそうだった何かはどこへ流れていってしまうのか。なぜ幸福感というのは持続しないのか。幸不幸のバランスはよくできていると、悪いことがあったら良いこともあると皆口を揃えていうけれど果たして本当にそうなのか。これを言い

          満ち足りる

          一部始終

          世の中はクリスマスを終えすっかりと年末の雰囲気になり社会の歯車の速度が変わっている年末に私は大掃除もせず変わり映えしない小さい部屋で横たわっている 遠い場所へ行って寒いなって思いながら星とかみたい、そういう気分にはなるし、誰も家に居ろとは言っていないのに私はそこに根を生やしたようにとどまっている。外出といえばコンビニかコインランドリーくらい。色々なことを考える割には私の思考は磨りガラス越しになにかを見ているようななにかあるのに確信を得ないものを眺めている感覚に近い。目を凝ら

          404 Not Found

          私はコミュニケーションが取るのが苦手だ 良い人だと、友達だと言える人はたくさんいる、けどいつだってコミュニケーションを取るたびに、関係性を深める度に向いてないなと喉元がぐっと冷える感覚がする 言葉で、言い方で、相手が嫌な気持ちになる可能性なんてそんな面倒な事を考えるくらいなら誰とも関わらなくていいと考えることの方が多い。言葉は受け取る側次第だなんてそんなの、わからないよと心が不穏になることばかりで。発言をしてしまったら言葉は喉に帰ってこないのでまた選択を間違えたと脳みそから

          私には才能がない。どの分野でも赤点は取らないけど100点を取ることもない。仕方ないししょうもないその事実に無性に落ち込んでしまい、立ち止まってしまっている。 最近励んでいる転職活動もうまくいかず、陰鬱は抜け切らないまま日々を食い潰している。悔しいという感情は持ち合わせるくせにそこに時間を割いて努力したかと問われれば否と答えるだろう。やらなきゃ、私がやらなきゃ誰が私を守るんだ。と自身を鼓舞しているものの嫌というほど染みついた逃げ癖や諦め癖というものが今この歳になって本当に痛手

          38℃

          陰鬱の足音が急に聞こえてはっとした時にはもう陰鬱に飲み込まれるなんてことがよくある。私は突然の陰鬱に多少慣れているしそういうものだと割り切っているけど陰鬱に飲まれた私の思考はしっかりと駄目になるのだからため息が出てしまう。 外に出るのは愚か、ベッドから一歩も動けない。余計な思考だけが私の脳内を回り続けて疲弊して、ネガティブな感情で傷付いた心は何もかもを遮断してしまう。散らかった部屋を眺めながらやり場の無い感情で顔を両手で覆ってしまう。そんな私を俯瞰している私もいて、そっち側

          願い

          私は語彙力が乏しいし知性も品性も欠如していると日々痛感することが多い。友人からの相談にもっと的確な言葉があったのではないか、といつだって感じてしまう。その度にもっと知識や言葉を身に付けていたいと感じるのだ。 知識や言葉は自身を支えてくれるお守りになる時があるから私は知識も言葉ももっと知りたいと思うしシンプルに知識や言葉を知ることが好きなんだと思う。私は頭が良いとは何かと思考することにハマっていたことがあるがこれを他人へ投げかけると多種多様な回答があって非常に良かった。私自身