山形県山形市⚔観光
「やまがた時代絵巻」というスタンプラリーをして観光しました✌️
最後に山形県のポストカードの束をプレゼントされました🎁
その中で写真撮影ができた場所を掲載します
こちらは紅の蔵にて
3月に行ったのでお雛様🌸
続きまして、山形市郷土館(旧済生館本館)
次に、山寺駅の立石寺へ
お土産ショップのえんどうさんで俳句タオルを買いました
とても親切な店主のお姉さんと出会い感動しました
こんなもろい所なので落ちて亡くなる修行者が続出だったらしいですけど、それは煩悩や邪心があるからとされたそうです(;´・ω・)
ちなみに、この立石寺に入る時に閻魔様がいます。邪心がある者は入れないそうです。閻魔様は通る者全員のこれまでの悪行を記録するそうです・・・
この辺りに最上一族のお墓がありました🙏
なんと、こちらの山寺内では各寺院にて御朱印を貰う際に写経したものを納めないと説教されますので要注意です!
私は時間が無かったため参拝のみです
奥の院に入るための階段に登ると、浄化されるそうです。この時雨が降っていたので私は完全に浄化されたかも?そうだと願いたい
続きまして,山形県郷土館の文翔館へ
独眼龍・伊達政宗
戦国時代から江戸時代初期にかけて、現在の山形の礎を築いた「最上義光」
長谷堂合戦における軍功により、義光は、現在の山形県の村山、最上、庄内各地域から秋田県南部に及ぶ57万石の領地を支配する大大名になりました。それは、徳川一族と豊臣氏を別にすると当時で全国第5位の規模でした。
伊達政宗は、
最上義光の妹の義姫の子、つまり伯父甥の関係
18歳で、家督をつぎ、伊達家17代の当主となる。
翌年、政宗は大内定綱を攻め、その属城小手森城を攻めて勝利を収めたとき、さっそく義光に戦果を報告した。
最上義光歴史館にその時の手紙があり、衝撃を受けました!!伊達政宗から最上義光宛の手紙です👇
「敵兵はもちろん、女 子供 犬までも撫で斬りにした。~~~
関東まで領分を広げることもたやすいことだ」と、、(要約してるがもっと長い)
この手紙を読んだとき衝撃が走ってしばらく呆然としていました。これは事実なのか?伊達政宗19歳のときのことです。
南奥州を支配し、仙台藩初代藩主となって東北の繁栄を築きました。徳川家が日本を治めるために家臣として尽力した功績は大きいといえるでしょう。
半紙に筆書きでですね自信みなぎった堂々とした内容で(残虐的な印象も)最後に「たやすいことだ」ですよ?まるで楽しみにしているかのような勇ましさでそして文章もカッコ良かったのです・・・筆マメな人だったそうですよ!
「撫で斬り」とは、無差別の皆殺し。当時の世相の中で、全国的には必ずしもめずらしいことではないが、奥羽地方では今までになかった乱暴さ。もっとも、このときは義光からも援軍が出ていたので、そのお礼を兼ねての戦勝報告だったらしい。
でも猫ちゃんが好きだったみたいです(笑)
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