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『右手の親指』

 幼い頃のぼくは、右手の親指を吸う癖があったらしい。

 帝王切開で、まさに母親の腹を引き裂いて、この世に生まれた時から、ぼくは右手の親指を吸っていたらしい。

 生まれた瞬間のぼくは、目を一瞬、かっと見開いたかと思うと、産み落とされた世界を品定めするようにあたりを眺めた後、何かに安心したかのように目を瞑り、そして産声をあげたそうだ。
 その場にいた、産婆さんと手伝いをしていたおばあは、その光景を見て、とても驚いたと法事の時にみんなに話していた。

 そのこととは無関係に、ぼくの親指を吸う癖は、両親や、おじい、おばあを、ずいぶんと心配させていたそうだ。


 ・・・いつも咥えているので、私の右手の親指は、しわしわで左手のそれと比較しても薄く小さく、そして白い。このまま吸い続けたら右手の親指は腐ってしまうのではないかとか、ずっと小さく白いままで大人になったら周りから色々と言われていらぬ苦労をするのじゃないかとか、彼らは私のこの行為に関して、あらぬ将来の妄想を巡らせ、色々と心配している。

 そして彼らの心配をよそに、私は親指を吸うことを止めない。

 いや、止めることはできない!

 親指にからしやワサビを塗られたり、医者と呼ばれる”まじないし”からもらってきた、何やら正体不明の軟膏を塗られても、私は右手の親指を吸い続ける。

なぜなら・・・


右手の親指からは

私にとって

とても大切なものが

分泌されているから・・・

あと3年・・・

 あと3年で私はこの世界の新たな王となる。そしてこの世界を征服するために我が主を・・・

 そうだ、お前たちはずいぶんと私に尽くしてきた。その行いに免じて、この後も私の従者として私の世話をするがよい。

 犬!お前には私の近衛を任命するつもりだ。しっかりと務めるがよい。そして様々な宿敵より私を守るが・・・

「痛っ!」

 この馬鹿犬、私の指をなぜ噛む!な、なんということを!なんということをしてくれたのだ!これでは私の脳の成長がぁ・・・

「えーん、えーん、えんえぇーーーーん。ぴっちゅ、ぴっちゅう・・・」

「こらピッツ!放しなさい!けんちゃんの親指を!噛んじゃダメ!こら!お母さん救急車をお願いします!」

「えぇーーーーん。えん、えぇーーーーん。ぴぃっちゅぅ・・・・


1996年7月4日 木曜日・・・愛知県、名古屋市のとある場所。

 3年後に復活するはずだった恐怖の大王=けんちゃんは、犬のピッツに親指を噛まれたことが原因で、成長に必要な”キワーノ”の分泌管を損傷、その供給を絶たれてしまう。
 そしてアンゴルモアの大王を甦らせることなく、その意識は消滅してしまった・・・


1999年7か月、

空から恐怖の大王が来るだろう、

アンゴルモアの大王を蘇らせ、

マルスの前後に首尾よく支配するために・・・


・・・いわゆるノストラダムスの大予言。

百詩篇 第10巻72番で予言される「1999年の人類滅亡」は

一匹の白い秋田犬によって、人知れず阻止されたのであった・・・


 幼い頃のぼくは、右手の親指を吸う癖があったらしい。

 ピッツに噛まれてその癖は治ったらしいが・・・

 今では全く覚えていない・・・


おわり

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