わたしたちは目に見えないものに生かされている
愛とかつながりとかいのちとか。
いつからそんな実態のないものに惹かれはじめたんだろう。
知りたくて仕方ない。確かめたくて仕方ない。答えなんて半分あって半分ないことに薄々気づきながらも、どうしようもない衝動のような欲求でわたしたちは生きている気がする。別に知らなくったって十分生きていけるのに。
肉眼で見えない世界にはロマンがある
夜空に煌々と輝く月。仕事からの帰り道、空を見上げながら歩くのが好きだ。どうあがいたって手元に引き寄せることも触れることもできない月に、人類はあらゆる可能性を信じ膨大なお金と時間を費やす。それほど心を奪われる存在。わたしだっていつか月面の陰影だとかぼこぼこをこの目で確かめてみたい。
天体とか宇宙とか、外に開かれる世界もあれば内側にグッと潜り込むようなミクロの世界もある。(内とか外とかこれは完全にわたしのイメージだけれど)
小学生の頃、理科の実験室で既に用意されたバケツのなかの池の水を班ごとにビーカーですくい、スポイトで垂らした1滴の中を顕微鏡でのぞきこんだことは誰でもあるんじゃないかと思う。なんだか透明のみたことのない生物たちがそこにいた。
日々世界中であらゆる研究分野で熱心に研究が重ねられている。きっとわたしが知らない世界のほうが多い。
大きいのに遠くて見えない月、
近いのに小さくて見えない微生物。
対象は違えど、人間が飽くなき探究を続けたいと思う世界。そういうのってちょっとロマンを感じる。
望遠鏡で月や星をみるように、顕微鏡で微生物や結晶をみるように、わたしたちは肉眼では到底目にできない世界に夢をみて、信じたいなにかに向かう強いエネルギーがはたらく。
いちばん近いのに見えない、わたしという存在
いまのわたしがもっぱら関心があるのは、自分の内側にある世界。もしくは自分と自分をとりまく環境や人との関係性。もう何十年も一緒にいるのに、やっぱり自分のことがいちばんよくわからない。わかることが怖くて避けているような気もする。でも、辛さもたのしさも全部おもしろくなってきたこの頃。
ときには望遠鏡をつかって未来の自分をありありと思い描き、ときには顕微鏡をつかってモヤモヤの解像度をグッと高めていく。対象物が自分っておもしろい。人生をかけて存在を証明していくって生き甲斐があるなあ。
自分のことなんて考えなくても生きていけるし、これまでも普通に生きてこれたんだけど、答えのない問いを持ち続けることで、いままでみてきた世界がちょっとだけ違うようにみえてきた。
自分のちからで見つけることをしたい
人間がなにかに熱中できるのは、どこからともなく湧きあがる好奇心が故だと思う。教科書とか図鑑にのってる写真を眺めるだけじゃつまらなくて、プレパラートに対象物をそっとのせるように、ぼやけた光のかたまりにピントをあわせるように、わたしたちは自分なりの答えを自分のちからで見つけることをしたいんじゃないかな。
本当にそれはあるのかな、とか、どんなふうにみえるんだろう、とか。なんなら実験とか試行錯誤を繰り返す過程がいちばん楽しい気もしている。
「わからない」はときに苦しいけれど、「知りたい」「確かめたい」というその欲求は、わたしたちが生きるのに十分な理由になる。
わたしはこれから、このいのちになにを体験させていくんだろう。
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