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人類は「飼い主」を求めている?

ネズミの楽園実験「ユニバース25」というものがある。

外敵がおらず、食べ物や水も十分にあって生存の危機に晒されない環境で生物はどうなるのか?という実験だ。

結果から言うと、このような恵まれた環境にあるにも関わらずネズミの集団は滅びる。25というのは25回目の実験という意味で、条件の多少違う24回も同じ結果になってしまったそうだ。オスメスそれぞれ4匹ずつから始まったネズミが、文字通りネズミ算的な個体数爆増の時期を過ぎると、集団内の格差が生まれ、メスを独占するアルファオスが登場。次第にオスはメスの獲得競争から下り、メスは子育てが下手で攻撃的になり、子殺しが横行して乳児死亡率が100%になり、超少子高齢化社会を迎えて滅びてしまう。

少子化に喘ぐ現代の平和な先進国にかなり似た状況が現れるこの実験。人類の行く末を暗示していると取ることも出来る。少なくとも、この実験でいうところの危機的なフェーズに入りかけているとは言えそうだ。ただ、個人的には人類は滅びずにしぶとく生き残ると思う。人類は自らの手で「飼い主」を作り出して自分たちの生殖を上手く管理するようになると思うのだ。

凶暴で暴力的な個体を集団でとっちめて処刑することによって自分たち自身で大人しく従順な性質を強化してきたというヒトの「自己家畜化説」によれば、他のどんな動物よりもヒトは家畜らしい性質を備えていると見ることが出来る。古くから人類が夢想してきた、神などの創造主や高次元の存在の導きには自分たちの「飼い主」を求めるような心理欲求があるのではないかと思う。ヒトが家畜化された生き物ならば、飼い主が必要なのは当然といえば当然のこと。

特に最近めざましいAIの進歩を見ていると、神なき時代となった今、人類は自分たちの「飼い主」を作ろうとしているのではないかと思うことがある。何でも答えたり作ってくれるAIや生活のサポートをしてくれるロボット…夢のような快適さを実現すればするほど、室内で大切に飼われるペットのような生活に近づいていくからだ。これは今に始まったことではなく、ずっと遡れば”文明化”という営み自体がそのような家畜化の性質を帯びていると言えるかもしれない。

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