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見えるもの見えないもの

20年ほど前、
自分でサロンを始めるに際し
屋号を考えていたのだが

サロン名に横文字、カタカナが多い中
私は、日本語がいいと思っていた。


松原泰道さんの「私の般若心経」
という本と本屋さんで目が合ったので
連れ帰り、その本を読んだことで
「空」にすることにした。


般若心経に書かれていることにも
合点がいったからだ。


空は「くう」と読むが
意味をしらべると
何も存在しないこと、うつろ
などと出てくる。

そういう意味もあるけれど
般若心経がいうところの「空」は
物理的な実体が無いという意味で
存在が「無」わけではない。


物理的に目にみえる「からだ」

そして

目には見えない「こころ」。



心を取り出してみろと言われて
取り出せるだろうか。

どこにあるかと言われて
指させるだろうか。
心臓や頭を指す人もいるが

では、解剖したところで
心は目に見えるのだろうか。
指をさして、ここが心といえるだろうか。


そのように、目には見えないけれど
あるといえるもの。

そして、実体はないけれど
変化していくもの。
ひとときも同じではない。
その、変化していくそのさま。流れ。


それを「空」といっている。



まさに、頭上に広がる「空」、そらと同じく。



見えるもの
見えないもの


同じく、ずっと続けてきた気功も
目には見えない「氣」に気づく練習だった。



目には見えない不思議は
誰の中にもある。

そして、自分のうちにある奇跡は
しみじみと「ありがたい」。


ありがたいとは有難い。


私が「私」だといっているこの肉体で
この世に存在していることは
まさに有難いこと。

人の生を享くるは難く
やがて死すべきもの
今いのちあるは
有り難し




何に
「氣づいているか」
「氣づいていくのか」。



違う言葉で表されているけれど
「魂」「うちなる本質」「ハイヤーセルフ」「真我」、そして、「空」「情報空間」。

どの言葉も、見えないものを表している。

つまり、すべて根源的な自分を表している。



それが、どういうことなのかを
私はこれから、自分の言葉にしていくことを
ライフワークにしていく。


今までの点と点が積み重なって
思えば随分と遠くまで
連れてきてもらえたものだ。


根源、魂が伝え続けてくれていたことが
私に届いて、また入り口に立てている。

あなたの清きサポートでますますがんばれます٩( 'ω' )و サポートしてくださった分で見聞を得て、またおかえししていきます。