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アドナイとはユダヤ人が考えた名称でないことから気づくこと。

こんにちは、アロン・シンです。
多言語を学びながらマイペースに生活しているのですが、せっかくなので、民族のベースとなる宗教を学び直すべく、聖書・教典等にも目を通すようになりました。そこで改めて気づいたことについて、少しずつnoteに記そうと思います(余力があれば、YouTubeでもアップしていきたいですね)。

さて、今回は、ユダヤ教で使われるアドナイという神の名称の由来から気づいたことについて記しますので、興味のある方はお読みください。

ユダヤ教、キリスト教の信者であったり、世界史を学んだり、宗教学にある程度知識がある方なら、ユダヤ教は一神教(ヤハウェ、ヤーウェ)であることはご存知でしょう。

しかも、神の正式な名はみだりに唱えてはならず(聖なる4文字、正しい発音は分かっていないことになっている)、その代わりになる言葉として、Adonai(アドナイ(主、Lord)という言葉が使われています。
エロヒムという言葉は神の一般的な名称として旧約聖書で数多く登場します。

アドナイという言葉は、元々はAdon(主)という言葉の所有格名詞です。
ただ、元フリーメイソンで神秘学に造詣のある、マンリー・P・ホールによれば、Adonisまたはadoniという言葉がもともとあり、古代エジプト、フェニキア(カナン、現在のシリア〜レバノン)、ビブロス(現在のレバノン)などで太陽の象徴として使われていたそうです。それが後に、ユダヤ人が神の名として使われるようになったと解説しています。

古代エジプトをはじめ、地中海沿岸の国々の信仰は多神教であり、ユダヤ人とっても、ユダヤ教が確立する前までは、多神教が主流でした。

モーゼが十戒を授かってから一神教にシフトしても、多神教信者との論争や対立が止まず、長い年月を経て、ようやく一神教に収まっています。
この辺りの記述は、旧約聖書でふんだんに出てきます。

様々な経緯があり、創造主としての一神教に至ったとしても、多神教時代の神の名称の1つを現在も使用しているのは興味深いことではないでしょうか。

以上のことから、

改めて気づいたのは、宗教のあり方、信仰の対象も時代時代によって変遷し、絶対的ではないということです。

それは、キリスト教におけるJesusの頃の信仰と、中世、近世、現代への信仰の変化、仏教の日本伝播後の変遷等を辿ってみても、同様に気づくことでもあると思います。

幸い、現代の日本は、諸外国に比べ、宗教の持つ教義のフィルターを通して価値観を人に強制したり、宗教的価値観の違いによる論争や対立が生じたりするケースは少ないと思います。

無宗教の方も多く、本当の意味での信仰の自由が実現されているように感じます(その分、宗教観を理解する難しさを感じることもあるでしょう)。

置かれた環境やその時々のマインドによって、信仰の対象を変えたり、場合によっては無神論者になったり、そのような自由が日本だけではなく、外国でも当たり前になってくれれば、宗教紛争もなくなっていくと思うのですが。

そのためには、様々な宗教の考え方、その変遷を理解し、相手の立場を尊重することがプラスになると私は考えています。もちろん、特定の宗教を信じる相手に理不尽な扱いを受けた時には、毅然と抗議することも大切です。

皆さんは、どうお考えでしょうか。

それでは、今回はこの辺で。






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