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批評・演劇・『消しゴム山』・チェルフィッチュ×金氏徹平

・形態:演劇
・場所:豊島区立舞台芸術交流センター(あうるすぽっと)
・年:2021

・概要
「人とモノが主従関係ではなく、限りなくフラットな関係性で存在する世界」を生み出す演劇(『消しゴム石』、チェルフィッチュ × 金氏徹平、2020、p.1)。
舞台上には、美術家の金氏徹平によって、様々なモノが置かれている。
演劇は全三部構成であり、第一部では登場人物の自宅の洗濯機が壊れたことをきっかけに、登場人物がその洗濯機を「主体」としてみなすようになっていくエピソードが語られる。
第二部では、タイムマシンの存在や、未来人の空虚な内容の会議、モノに人間にとっての時間の概念を教える場面が連続で提示される。
第三部では、古いものが徐々に忘れられていくことについての当事者による嘆きの後、台詞は字幕とナレーションのみになり、俳優はひたすら舞台上のモノを動かし続ける場面で閉幕する。
タイトルに含まれる「消しゴム」という概念は、人間とモノのこれまでの関係を一度「消去」するという意味が込められている可能性がある。
舞台写真:https://artscape.jp/focus/10158129_1635.html

・既存の批評
美術作家の池田剛介は、本演劇が「観客を蔑ろにすること」と「観客を忘却すること」の二段階によって、舞台上に置かれたモノの存在の重要性を強調していることを指摘している(https://artscape.jp/focus/10158129_1635.html)。
その他、上記の『消しゴム石』にも複数の批評が掲載されている。

・目的:人間とモノがフラットな関係であることを示す。

・方法:パフォーマンス、戯曲、美術、音響
劇中、戯曲の語りとは別に、俳優は舞台上のモノと「対等な関係」になろうとするパフォーマンスを行い続けている。
戯曲自体も、第一部や第二部の最後の方、第三部については、人間とモノの関係を様々な視点(実生活に近い視点や時間感覚の視点、見る-見られる関係の視点等)から考察するテクストとなっている。
また多くのモノが配置された舞台美術や、コンクリートミキサーの音を第一部で流し続ける音響なども、目的を表現するための重要な構成要素であった。

・目的の新規性:普通
「人間とモノのフラットな関係」自体は、フランスの哲学者・ブルーノ=ラトゥールの『社会的なものを組み直す: アクターネットワーク理論入門』(2005)の第I部「第三の不確定性の発生源─モノにもエージェンシーがある」において、既に言われていることである。
一方で、日本における本主張の認識は未だ浸透していないように見受けられる。

・方法の新規性:高く感じられた。
「人間とモノのフラットな関係」は、上記の本においては文章で表現されていたが、『消しゴム山』はそれを演劇の形式で表現したことが、本作品最大の新規性に感じられた。コンセプトを実際のパフォーマンスとして表現することで、解像度がより上がったように感じられた。

・目的-方法の合致性:高く感じられた。
目的に対して、表現方法は適切に設定されていると感じられた。
一方で、第二部のタイムマシン等のエピソードは、コンセプトとの関係がやや不明瞭に感じられた。

・社会的インパクト:高く感じられた。
本演劇は2019年の京都での初演以降、ニューヨーク・東京・ウィーン・パリを巡回している。
また本コンセプトは、演劇の『消しゴム山』だけでなく、美術館におけるパフォーマンスである『消しゴム森』、動画である『消しゴム畑』、それらをまとめた書籍である『消しゴム石』、そして『消しゴム山』の配信版である『消しゴム山は見ている』やオンラインワークショップなど、多様なメディアで表現された。

・その他の気づき

  • 改めて、人とモノはフラットな関係にあると考えることもできる。

  • 金氏徹平氏の、この宇宙の質量保存の法則によって「ホームセンターでモノを買うと世界を彫刻している感覚がする」という感覚は興味深いと思った。

・最終更新:2022/07/27, v2
・コメント:あゆみ

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