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世界は愛でできている:愛をめぐる小さな対話「佐藤純平さん」

最近、大人の自由研究のような素敵な集まりの場に参加をさせてもらっています。

「はしらずとも」と名付けられたその場所では、各自が関心があることをテーマに取り上げて、それぞれが調べたり探求したり話したり。

私がテーマとして選んだのは「愛することについて」
愛すること、特に自分を愛することがどうしてこんなに難しいのだろう。

いい大人になって「愛がよくわからない」と言う自分に一抹の恥ずかしさを覚えながら、本を読み、日記を書き、考えをまとめたりしています。

ある日、同じくメンバーである、ライターの佐藤純平さんから、メンバーのslackにこんなメッセージが届きました。


えっ、どういうこと?
なんとなくわかるような気もするけれど、うまく言葉にならない。

そんな気持ちで「もうちょっとくわしく聞かせて」と純平さんにお声がけしてみました。

ほんの雑談のつもりだったのだけれど、大切なことに気づく時間になったので、文字にしてみます。

愛を感じる、畑の写真と共にお楽しみください。



生きているだけで、すでに愛に囲まれている


荒田詩乃(以下しの):slackに書いてくださった「世界は愛でできている」。そこからお話をはじめてみても良いですか?

佐藤純平(以下純平):言葉にするのが難しいんですけど、この間お話しした後に、世界の根源って何だろうと考えはじめたんです。それは、原子とか素粒子だと思うんですけど、その元を辿ると何になるんだろうって考えた時に、愛かもしれないって漠然と思ったんです。

しの:えっ、この世界の根源は愛?!それって誰の愛だろう。

純平:愛って人から発生するものとも限らないと思うんです。僕が思ったのは、全ての根源が愛だと仮定すると、全てのものに愛があって、それを認知できるかどうかが人に課された課題なのかなって。だから、生きていればそれだけで愛していることになるかもって思うんです。壮大な話ですけど、宇宙の起源をたどればすべてが奇跡じゃないですか。地球に生物がいたり、自然が循環していたり、存在していること自体がすごい。そう思っていくと僕の中では「愛っぽい感情」になっていく。この地球はすばらしい、地球愛してるみたいな感じ(笑)

しの:ははは、地球愛してる(笑)すごいな。

純平:ものとか生き物もひとつひとつ考えていくと、色んな奇跡が重なってできている。例えば、服も色んな人が関わってできていると思うと感謝とか慈しみの気持がわくんです。大切にしようって。それに気づけるかが大事なのかな。人のことを愛せているのかなってことを考えがちになってしまうけど、ここに存在して、食べたり服を着たり家に住んだりしているってことは、もうすでに愛に囲まれているんじゃないかなって。

しの:私は愛することを狭い範囲のなかで考えていたんだな。純平さんの言葉は委ねるような感じもしますね。この地球の色んな奇跡に身を委ねて心を開く感じ。

純平:不思議なんですけど、根源は愛なのかなって認識できたら、自然と自分も愛を受け取っているって思える気がしたんです。だから、無理に愛そうとしなくてもいいのかなって。色んな愛を受け取って今の自分がいるんだって思えたら、すでに受け取ってるから、愛してあげなきゃって思えそう。ギブアンドテイクだなって思うんです。そもそも、生きていればみんなテイクしているんだよなってことにどう自覚的になれるか。めちゃめちゃ受け取っているってことが自覚できたら、自然とギブしてあげたいって想いが湧いてくるのかなって。




でも「世界は愛でできている」って、きれいごとでは?


しの:私ね、3か月前くらいに別の人に同じことを言われたんです。「大変な状況やどんな環境に生まれたとかも含めて全てが愛であるってことにいかに気づけるかだよね」って。そのとき、すごい抵抗感があって、大変な状況の人もいるし、私もそんなに恵まれてないし、恵まれているお前にはわかんねー!と、その言葉を頭の中でばさって切り捨ててしまいました。

純平:なるほど。そんなこといわれてもきれいごとじゃないかって、僕自身も思います。想像を絶するほどの大変さの中にいる人は、愛だなんて言ってられないと思うんです。

しの:うん・・難しいですよね。

純平:本当に難しい。でも、そこにも愛はあるってとらえることも出来るんじゃないかなって。呼吸しているだけでも、酸素があるってことは植物があって、色んなものがつながって自分のもとに届いていたりする。すごく大変な状況にある人がいても、生きているってことは何かしらを受け取っていて、その中にはほんの少しでも愛も含まれているかもっていう感じなんですよね。それはきれいごとかもしれないけど。

しの:例えば自分が困難な状況にいても、長い目で見たら、私の魂みたいなものを磨いてくれている修行みたいなものかもしれない。という意味で愛ととらえることもできるのかな。でも、頭で考えていても、なかなかそう思えない・・・!

純平:もちろん僕も、自分のことを愛せているか、存在していいと思えているかと言うと全然そうじゃない。めちゃめちゃ自己否定に走ったりもしますし、超落ち込んだりもする。それこそ魂の修行なのかなって。頭でわかっているところをいかに実感レベルまで持っていくかが課題なのかなって。

しの:ほんとにそう。その時々でちゃんと愛せずにすごい感情的になって、つまんないことを言って人を傷つけたりしてしまうことがある。

純平:そういう感情って自分のことを愛してあげてたら薄れていく感じもします。一方でずっとこの繰り返しかなって思ったりもするんです。愛が大事だよねって気づいて、でもそうは思いきれない現実にぶつかり。くりかえすことで、徐々に色んな愛に気づいていくのかなって。




愛は、形を変え、めぐりめぐって、循環するもの


しの:純平さんの話を聞いていると、愛することはまるで循環のように思えます。私は畑をやっているんですけど、野菜を育てると、陽の光、土、水、とエネルギーがめぐる感じがする。愛も循環するのかな。もしかしたら、私自身も愛せなくてうまくいかない、でもやっぱり愛が大事だなってことも含めて大きな循環のなかにいて、流れの中で生きているんだな、って。

純平:世の中のものって、基本的にはずっと循環していて、そのスパンは違うと思うんです。長期的なものもあれば短期的に循環していくものもある。愛も常に受け取っているし、常に与えている。その一瞬一瞬に気づいていくと、世界と自分を分離するんじゃなく繋がっていく感じがするんですよね。

しの:愛は、姿を変え、形を変え、めぐりめぐってさまざまな場所で満ちているエネルギーのような何か、みたいな感じかな。それなら、抱えることはできないですね。ずっと愛してくれ、離さないでくれ、安心させてくれとか。私は弱いから抱えたくなるんですよ。愛がめぐりめぐっていくなら、ダムを作ったって、結局不自然な出来事になる。

純平:それを執着って呼ぶのかもしれないですね。循環しているし姿形を変えるなら、執着は愛の自然な形を邪魔していることになるのかも。自然界もそうですけど、ひとつの場所にとどまっていると段々よどんで行くから。愛も元気がなくなっちゃう。

しの:そう考えた時に、ひとりの人を愛することはどういうことなんでしょうね。抱えるようなことに勘違いしてしまいがち。結婚は何十年一緒に生きて行こうと契約をするわけですけど、それは一体どういうことなんでしょう。

純平:大きな循環もあれば、小さな中でめぐっている愛もあって。二人の間のなかで循環している愛もきっとある。愛しあう二人って、お互いのことを考えるじゃないですか。考えることってエネルギー使って循環を起こすことだと思うんです。だから、目には見えないけど、想われているだけで受け取っているものがある。プレゼントとか言葉とか、本当はそんなことをしなくても、愛し合っているなら循環がめぐっていて、愛し合えているんだよみたいな。

しの:そんな関係を築けたらいいな。うまくいかない恋は、循環がうまくいってないのかなって思いました。「重い」っていうのは、相手はそれを受け取るつもりはないっていうお互いのギャップもあるし、愛じゃない色んなものを一緒に送っちゃっているんだろうし。二人の中でうまく循環していかなければ滞っていくし、関係性もぎくしゃくしていく。

純平:そうですね。違うものを送り合ってるみたいなことは、あるかもしれない。

しの:他のものくっつけちゃうよね。エゴとか。


愛のタイミングも相性もやっぱりあるよね


純平:難しいんだよな。こうやってしゃべっているとそう思えるんですけど、日常では忘れているんだろうなって感じもしました。愛を受け取っているってなかなか思えていないし、普段生活する中で違う方向に意識が向いちゃうんだろうなって。

しの:相性もあるのかもしれない。人も場も仕事もコミュニケーションも、循環がうまくめぐりやすい、自分にとって受け取りやすい場があるのかなって。自分に合う場所に行くのが大切っていうか、その循環のなかに違和感なく一緒にいられる相性がある気がします。

純平:タイミングもあるなって思ったりもしますね。前にインタビューをさせてもらった方が、「人間が問題を抱えているときって、多すぎるか少なすぎるか停滞しているかなんだ」って言っていて。(体も心も精神も……。自然と調和し、斉(ととの)えていけばいい。|姿勢研究家・片山賢-ソラミド https://soramido.com/katayama-ken)人との相性もそれで変わって来る。相性良いって思っても、毎日同じ人としか会わないってなると他の人としゃべりたくなる。逆に嫌いだなって思ってた人でも、あるタイミングで出会うと学びになるかもとか。

しの:確かにタイミングは、ある。

純平:それって、循環の流れのなかでどこにいるのかで相性が変わって来るのかもって思っていて。愛は色んな形があるし、姿かたちを変えて循環しているなら、人や場所によっても受け取れる愛は違うのかなって。だから、二人で愛し合っているとはいえ、色んな人と関わることで色んな愛を受け取り送る、人間ってそういう感じが必要なのかもって思いました。

しの:愛を送り合ったり、色んな循環をめぐる中で、私自身や人も変わっていくような感じもあります。昔は嫌だった人が現在面白く感じるのは、タイミングもあるけど、川の流れの中で石がころがって角がとれるように、お互いに変わったんじゃないかな。やっぱり修行かもしれないですね。

(写真:小松亜希子)



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