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その関心を、相手にそっと向けてみる

私は、人の語りを聞き、書くことが好きだ。

惹かれる理由のひとつに、聞くことを通して、自分自身や人との付き合い方が変化してゆくことがある。

変えようとして、意識的に変えているわけではない。だけど、気づくと変わっている。

自分を追い詰めていた癖が、人の話を聞くうちに、知らぬ間にほどけていってしまう。ほどけたあとに、ああ、私はこんな癖を持っていたのだと気づいたりもする。

なぜだろう。聞くことにはそういう不思議な作用がある。


最近気づいた作用のひとつは、矢印を相手へ向けてみるということ。
矢印は、関心と言い換えてみてもいいのかもしれない。


1年ほど前に、働き方研究家の西村佳哲さんのインタビューの教室に参加した。

西村さんは、インタビューの聞き方として、「ついていく聞き方」を教えてくれた。その基本は、「自分の関心を相手に向けること」なのだという。

とても簡単そうなことなのだけど、実は難しい。

話を聞くときに、目の前の人に関心を向けるのではなく、自分のことばかり考えてしまうのだ。

「私も昔似たようなことがあったな」と自分の過去の出来事を思い返し、その場で話してみたくなったり。「私はうまく聞けているか」と自分を顧みたり。相手が黙ると沈黙が怖くなって「うまいこと何かいい言葉を返さなければならない」と焦ったりもする。

そんな時、関心の矢印は相手じゃなく、自分へと向いている。

それをしないで、「ただ、その人の瞬間についていく」
そのことで、「相手がより自分を表現するのを手助けする」
そんな聞き方をしてみるのはどうでしょうと、西村さんは教えてくれた。


それを聞いたとき、思った。
これは、インタビューだけのことではないのかもしれない。


私は、これまで自分にばっかり矢印を向けて生きてきたな。

私には、「人がこわい」という気持ちがあって、人にどう思われているのだろうと、ビクビクしている所がある。

人と一緒にいても、つまらない人と思われるのが怖くて、必要以上に話してしまう。会議でも、人のことを受け入れられず、正しさを誇示しようとして対立したり。家に帰って、失言をして嫌われたのではないかと思い悩んだり。

ずっと、怖いと思いながら、私は関心を自分に向け続けてきたんだな、と思った。その関心を、ほんのちょっとだけ相手に向けてみたら、もっと違う関わり方があったのかもしれない。そう思った。



色んな人のありように、もっと耳を傾けてみたい。まだまだ、自分に向かってしまう関心を手放して、ほんの少しだけ、相手の方へ、そっと投げかけてみたい。

「どう思われるか怖い」という自分に向いた矢印を、そっと目の前の人の方に向けてみたときに、何が見えるんだろう。「私が正しくて、あなたが間違っている」という気持ちを、ほんの少しだけ手放すことができたときに、どんなことが生まれるんだろう。

自分に向いていた関心を、そっと手放して、相手のそのままに、耳を澄ませてみること。

もしかしたら、それは、人がこわい私が、人を愛するということにつながっていくんじゃないか。そんな予感がするのだけど、そのことがわかるのは、おそらくもっと先のこと。

インタビューをすることで、自分を育ててもらっている。そんな最中なのである。

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