見出し画像

美術館は必要か?

2018年3月31日,福岡アジア美術館の1階入口に,巨大な壁画が現れました。これまでちょっと寂しかったアジア美術館の入口が,華やかな雰囲気に様変わり。美術館の入口にさしかかったところから,ワクワクしてきそうです。

(福岡アジア美術館ホームページより)

さて,私が美術館の事務職員として配属されて3年が経ちました。それまでは文化芸術の仕事に携わったこともなかったですし,プライベートでも数年に一度,話題の特別展に足を運ぶ程度でした。そんな私が美術館で仕事をする中で,常に頭の隅にあったのは「美術館は,必要か?」という問いでした。

私の行政職員としての出発点は,福祉行政でした。障害のある方や高齢の方が不自由なく暮らせる社会になるための助成やサービス,施設づくり。福祉の現場は,行政施策のあり様で,住民の生活が良くも悪くもなる,多少大げさに言えば,人の生死に関わる業務です。

私が老人ホームを整備する担当をしていた頃,1億円の予算があれば,50人規模の老人ホームを作ることができました(国の補助金,社会福祉法人の自主財源を除く,自治体の負担額)。老人ホームに入所できずに困っている人たち50人を救うことができる,それが私にとっての「1億円」の価値基準でした。

一方,美術館の年間維持費・運営費は,数億円

館内スタッフの人件費や美術品を管理するための24時間空調など,維持し,開館しているだけで何億もの費用がかかるのが美術館です。

しかし,社会生活基本調査の結果をみても,20代から40代で1年間に1度でも美術鑑賞をしたことのある人は,5人に1人しかいません。8割の人は年に1度も美術館に行ってないんですよ!

これは本当に行政がやらねばならないことなのか…「美術館は,必要か?」と。

そんな問いの答えを探る中,2016年6月Twitterで「#私にとって美術館とは」というハッシュタグで意見を募ったところ,40人余りの方々から,美術館に対する愛情あふれる投稿をいただきました。

また,リニューアル休館に入る前の2016年8月,「対話する!Dialogue!」と題して(タイトルは,同時期に開催していた現代美術の展覧会『歴史する!Doing history!』にちなんで),学芸員と一般来館者がカフェで美術館の思い出話をする,という企画を行いました。(記録集『福岡市美術館クロージング/リニューアルプロジェクト2016について語る。』p.95〜97参照 ※購入はこちら(郵送)又は福岡アジア美術館ミュージアムショップ「ロンホァ」にてどうぞ)

これらの皆さんの声を集めて分かったのは…「フラットな自分でいられる」「自分の中の眠っている衝動を揺さぶり起こし,つかみ出してくれる」という,稀有な場所であり,「美術館がなくちゃ生きていけない」というくらい,美術館が人生に不可欠なものになっている人がいて,「「これを観られてよかった!」と思わせる作品に出会えるならば,なんとか生き延びなくちゃと強く思った。」と思えるほどの経験ができる場所である,ということ。(引用は,いずれも前述のTwitter投稿より)

このような声を集めるまでもなく,来館者や電話で,美術館が長期休館すること,休館中であることを心から悲しむ声もたくさん聞きました。

福岡市美術館の年間入館者数は,約50万人。来館者みんなが「美術館が不可欠」とまで思っている人ばかりではないかもしれないけれど,そのうち1%,5,000人くらいの人々にとっては,かけがえのない場所かもしれない。福祉施策と一概に比較できるものではないけれど,50人の老人ホームの整備費に引けを取らない効用は,確かにあるのかもしれない。

もし,美術館がなくなったら,「美術館が不可欠」と思っているそんな人たちは,怒り,悲しみ,生きる希望を失う人すらいるかもしれない。創造性をかき立てる場を失い,経済活力が低下するかもしれない。少なくとも,「ワクワクする場所」がひとつなくなることになる。

いまはこれらの声を頼りに,また,私自身,暇さえあればいろいろな美術館をめぐるようになり,「美術館は,必要である」と思えるようになってきました。

そして最近は,「美術館が,必要である」とさらに自信を持って言えるよう,まだ美術館の持つ力に気付いていない多くの人に,美術館の魅力を伝えなくては…そんなことを考えながら,Twitterなどで,日々,つぶやいています。5,000人を1万人に。さらに1万人を10万人に…。

「ワクワクする場所」は,間違いなく,人生に不可欠ですものね!