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クロモの休み時間#3

前回分の記事を掲載するのを忘れてしまい、おっとっとっとという具合に投稿してしまおうかと思ったのですが、もう開始している怪談配信のことを「画策している」だの、もう日本全国に猛威を振るった台風について「怖いですよねー」なんて呑気に言っているだの、かなり賞味期限の切れた内容になってしまっていたので張り切っての書き直しをしたいと思います。٩( ᐛ )و
甘いスイーツとコーヒーをお供に、もうひと頑張りのクロモです。(休憩時間だって書いてる割に頑張っちゃってます)



一昨日19日の夜に連絡が来て、半分寝ぼけた頭で(お昼寝という名の居眠りをしていました)そのまま一息でSNSでも投稿させていただきました。
26日に予定されていた志津Sound Stream sakura(以下、サンスト)公演が延期となりました。
理由はスタッフの方の1人がコロナウィルスに感染してしまったというもので、少人数のスタッフで現場を回しているサンストの状況というのもあり、一時休業という判断を下されたということです。

お店の方には直接お伝えしたことですが、僕は出演しているいくつものライブハウスがどれだけ神経質になって感染症対策をしているかということを知っています。
それだけにお店にも、そして感染してしまったスタッフに対しても、悪く思う感情は少しもありません。
対策の多くは必要経費がかかりますし、お店の収益に損害も生みます。
個人的に隠れて対策を甘くするということだって可能なのかもしれないともよぎることもありますが、断言して、僕の出演するお店でそういう場所はありません。
たった少しのことでも、演者やお客様の信頼を裏切ることにならないようにと、いつも神経を尖らせているお店ばかりです。

ライブハウスばかりじゃありません、このコロナ禍で利益を度外視して、ただその場所や人を守ろうと、結果今自分たちの首を絞める結果になったとしても頑張ろうと仕事をしている人ばかりです。
「全員」なんて言葉を使ったら非現実的なのかもしれません。
でも全員、1人でも多くの方のそういった努力や苦労が報われますように。

と、最初に暗い話をするつもりはなかったのですが、そう書き出さずに入られませんでした。

よし、暗い話は終わり!



今日もあっついですね。
本当にあっつい。
沖縄の方から近づいてくる熱帯低気圧の影響で天気の悪いところもあるようですが、僕の頭上にはカンカンと太陽が照り付けています。
これを書いているのは昼下がり、少し気温が落ち着いてきているタイミングではあるのですが、それでも十分暑い……。(だくだく)
2月3月頃は「寒い寒い寒い!早くあったかくなれ、夏になれ!!」
なんて言っていたのに、もうこれはたまらないですね。(だくだく)
いやでも、エアコンを使ってしまえば済むことではあるんです。
パワフルに使えば、まるで部屋が冷蔵庫なんじゃないかと錯覚するくらい冷やすことだって可能なことは知っているんです。
でもなんていうか……使ったら負け、的な。(だまれ)
と言ってももう8月も後半ですしね。
やせ我慢もほどほどに、体調に気をつけて頑張ってほしいものですよね。(お前のことだ)(だくだく)




今月に入って、また去年やっていた怪談や都市伝説を取り上げた「オカルト配信」を始めました。
僕は好きなものが多いと自他共に認める、いわゆる「多趣味」な人間です。(それがただの趣味に留まらないからたちが悪い)
怪談やオカルトが好き、あれもこれも……だなんてまたここで言い始めると「お前の好きなものが多すぎてわけわかめ!」とリプライが飛んできそうですが(フリジャナイヨ)、ちょっと僕のオカルト好きについて書いてみることにしましょう。

実は僕のオカルト好きはかなり幼少の頃からのものなんです。
多分あれは僕の兄のものだったと思うんですが、一冊の本がありました。(当時色々と兄の本をかっぱらっていたのは内緒です)
そこには「血の涙を流すマリア像」や「アメリカで発見されたエイリアンの死体」、「現在も魂が闊歩する曰く付きの貴族が住んでいた廃墟」「本当にあった開かずの間」など、かなり範囲の広い内容のオカルト本でした。
なぜかそこにある「血液検査の結果、マリア像の目の血はO型であることが判明した」という記述に「へー、マリア像はキムタクと一緒だ」という感想を漏らしたことをかなり鮮明に覚えています。(なぜだろう)
それをずっと、自身のバイブルかのように何年も何年も飽きずに読んでいました。
そしてそのうちオカルトブームも相まって、テレビでは毎日のように(という僕の個人的な実感です)心霊写真や怪談話を紹介する番組やアニメが放送されたり、学校でも七不思議の話題で盛り上がったりしていました。
多分ピークは2000年くらいまでのことだとは思います、世相か今はあんまりそういう番組もありません。
でもあの頃のワクワクした思いが今でも残っているということなんですかね、心霊話が話題に出るといまだに身を乗り出して聞いたり、知っているお話をことをお喋りしたりしてしまいます。


僕がそんなふうに「オカルト好き」だということを話すと、その反応は真っ二つに分かれます。
一つは「え、ほんと?クロモ怖いの苦手そうなのに!」という意見。
もう一つは「あー……(意味深な間)好きそうだよね」というもの。
さらに後者の方々にどこから僕がオカルト好きに見えるのかということを聞くと、こんな答えが返って来ます。
「歌とか絵とかそういう雰囲気あるじゃん」
あー、なるほどと思います。(僕自身が暗くて妖怪っぽいとか言われるのかといつも不安になります)
確かに書く曲は自然というか、スピリチュアル的な要素が増えてきたような気もするし、今描く絵もどことなく暗い雰囲気がありますしね。
絵に関しては以前、意図的に妖怪的な要素を含ませていた時がありました。
「黒いの」という黒くて丸いのに目がついたキャラクターは「死んだ魂」という設定が今も生きていますし、「手長いの」という手だけが出てくるキャラクターも「死神」という設定があります。
アキラくんも、今やただ可愛らしい男の子として描かれていますが、前はもっと動きも顔も表情の乏しい男の子として描いていました。(もしかした乏しい画力のせいだったかもしれない説)

そう考えると、のちに意識しなくたったにしても僕の作品には今もそんな幼少の頃からの趣味が色をつけてくれているのかもしれません。
ビジネス書とか啓発書とか難しいものはあまりなかったですが、実家にはいろいろな本がありました。
オカルトもそうだし、漫画や小説が多かったような気がします。
特に兄の部屋は幼い頃の僕にとって宝の山で(差し詰め僕は盗賊)、いつも兄が出かけていなくなるとこっそり忍び込んで、取っても大丈夫そう(勝手に大丈夫そうとはほんとに良くない!笑)な本をくすねては読んだりしていました。(おいこれ時効だと思ってるのは僕だけじゃないか?)(内緒ね)


天文学への興味もそうだったですが、絵や漫画もそう、とっくに諦めていたものだったけどこうして今になって僕という人間を作ってくれる要素になっている。
パフォーマンスする人間として、誰かにとっての「楽しい」を作るものの一つになっている。
勉強は嫌いだったし、本を読んだりするのだって知識として当時の僕にインプットされたことなんて社会に出て役立つものは多分ほとんどなかったと思うけど、でも確かにこうして数えると、本当に大事なパーツになっている。
ただ楽しかっただけだし、暇つぶし程度の気持ちしかなかったのかもしれないけど、夢中になっていてよかった。
おかげで今も僕の中で生きているよ。
僕を生かしてくれているよ。




でも比べると昔より今の方が何倍も好き勝手に、なんでもかんでも好奇心の向くまま手にとって試している気がします。
本当は大人になるとそういう感覚は忘れちゃうものらしいです。(よく聞く常套句)
それは僕がどこか子供のままだということなのか。(おい身長とか言ったのは誰だ!)
それとも何かしら外的要因で大人は好奇心を押し込めてしまっているだけなのか。
いずれにしても、いつもワクワク新しいことに手が出せる環境というのは僕にとって幸せなことだなと思います。
(また最後まじめになってしまった)

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