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[アートなトークシリーズvol.3]冬森灯さんのおいしい話

〜“おいしい”をことばにする小説家に聞いたアートのみかた〜

アートハッコウショは
さまざまな方の“アートのみかた”を共有することで、
アート体験を深め、楽しみ方を広げていきたいと考えています。
その活動の1つ、ゲストにお話をうかがうトークシリーズの第2回目は、
小説家・冬森灯さんです。
アートハッコウショが間借りをしてる喫茶&アートスペース「Art and Syrup」で「伊藤絵里子と冬森灯の“絵とことばの縁結び”」を現在開催中の冬森さんに「“おいしい”アート」をテーマにお話をうかがいました。

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冬森灯(ふゆもり・とも)
小説家。ポプラ社主催2018年「第1回おいしい文学賞」にて最終候補に選ばれる。2020年、『縁結びカツサンド』(ポプラ社刊)で作家デビュー。同年秋よりキリンビールとポプラ社のコラボレーション企画により、キリンビールの公式noteで小説『うしろむき夕食店』を連載。2021年2月、同書をポプラ社より刊行。


1 アートは自分を揺さぶってくれる存在

ーー冬森さんは、アートがお好きだとうかがっています。抽象的な質問ですが、冬森さんにとって、アートとはどんな存在でしょう?

冬森 自分を揺さぶってくれるもの、ですね。
アートはふだんの暮らしの中でとらわれている価値観を外してくれたり、びっくりするような視点を与えてくれたり、自分をすごく揺さぶってくれるものだと感じています。

ーー揺さぶるものですか。もしかして、ある作品との出会いから作品が生まれた、物語が降りてきた(笑)、といったご経験がおありですか?

冬森 自分の作品としてはありません。
でも、絵をみているときに、その中に流れる物語をみつけることがよくあります。例えば、マグリットの、男性がたくさん降ってくるような作品なら、あそこにはどんなストーリーがあるんだろうって。

ーー作品をみて、自分なりに物語を読み込んでいくという感じでしょうか?

冬森 はい。自分の勝手な解釈ですが、絵の中に「物語を見つけていく」感じになります。
絵には正解はありませんよね。逆に全部正解と言えます。そこで見つけた物語は、全部妄想とも言えるかもしれません。でも、妄想であっても、その人(みる人)にとって大切なものです。そういう意味では、アートは、妄想を駆り立ててくれるものとも言えるかもしれません。
妄想は、自分自身で“自分を肯定する”ものです。人からとやかく言われるものではありませんよね。絵から感じたことを、ひっそりと心の引き出しにしまっておくような感じなんです。

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ーーでは、心の引き出しにひっそりしまったことを取り出して、自分の物語にアウトプットしたことはありますか?

冬森 う〜ん、ことばにするのが難しいんですけれど……。
自分が書いている「ことば」と妄想を生んだ「作品」との間を行き来する「通路」のようなものがあると思うんです。作品のすごく深いところにある、ことばにできない「魂」のような部分。それを「あ、あの感じだ」と持ってきて、間接的にアウトプットすることはあります。

ーーああ、なるほど。
個人的な感想になってしまいますが、冬森さんの文章からは、情景が絵のように再現される印象があります。ここはホックニーみたいだな、谷口六郎の絵みたいだな、のように。読み手が「ことば」を通してアートとの通路が開いて行く文章、と言いましょうか……。

冬森 それはうれしいです。ありがとうございます。

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『伊藤絵里子と冬森灯の“絵とことばの縁結び”展』より

ーー冬森さんは、小さな頃からたくさんアート作品に触れていらっしゃるそうですね。その中で、とくに印象に残っている作品はありますか?

冬森 ぱっと思い浮かぶ作品が2つあります。
1つは宮城限美術館の「アリスの庭」にある、バリ―・フラナガンのうさぎの彫刻です。

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バリー・フラナガン《野兎と鉄兜》1988年 アリスの庭 宮城県美術館
photo=冬森さん撮影

冬森 母がこの美術館が好きで、小学生の頃によく連れて行ってもらっていたのですが、いつもこのうさぎの前から動かなかったらしいです(笑)。子どもが気に入るとは思えない、ちょっと怖いうさぎなんですけれど……。
原体験として知っていた絵本やディズニーの「不思議の国のアリス」とは少し違った世界がここにある、そう感じてその庭にずっといたことは覚えているんですよね。
「わからない」「なんだろう」「気になる」、そういう気持ちを抱えつつ、好き勝手に物語を思い浮かべていたように思います。
今思うと、芸術への畏怖のようなものを感じた原点かもしれません。

ーーアート作品が持つ複雑な内面性を、表面的なかわいいとか、きれいとかとは一線を画するわからなさから、直観的に感じたのかもしれませんね。
もう1つの印象的な作品はなんでしょう?

冬森 ヴォルフガング・ライプの作品です。
花粉やミルクのように繊細で「限りあるもの」と大理石やアートのように「残るもの」の対比が作品の中にあること、仏教の砂絵のように、すぐ崩れてなくなってしまう「両義性」に惹かれました。まるで人生のようだと。
ライプの作品を初めて体験した頃、人が生きるということ、自分の人生がつながっていく中で、その一瞬一瞬に誰かと関わっていくこと、そういうことと彼の作品を重ね合わせていたような気がします。

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ヴォルガング・ライプ インスタレーション風景 2019年
ヘップワース・ウェイクフィールド、ヨークシャー
Google Arts & Cultureより

ーー一期一会のようなことを感じ取られたのですね。現在の冬森さんの物語にも共通点がありそうです。
このときご覧になったのは、東京国立近代美術館の展覧会ですか?

冬森 はい、2003年の展覧会です。初めてインスタレーション作品を体験したのもこの展覧会でした。
余談ですが、この当時は会社員で、毎年自分の誕生日には半日の有給休暇をとって美術館に行っていたんです。この展覧会に行ったのも誕生日でした。
そんな思い出もあって、よけいに強く心に残っています。

ーーまさに、人生の節目に出会った作品ですね。

冬森 そうですね(笑)。
印象に残った作品ということで、もう1つ思い出しました。私が書いた『縁結びカツサンド』の前身となる作品*の中に、東京都現代美術館にあるモンティエン・ブンマーの《呼吸の家》が出てきます。
実は、同館のガイドさんのお話を聞きながら鑑賞した経験が楽しくて、自分の作品に登場しました。

ーー小説の中に登場したアート作品もあるのですね!
お話をうかがっていると、冬森さんがアートからいろいろなインスピレーションを受けていらっしゃることがわかります。


2 「食べること」と「書くこと」、
  そして「みること」の“おいしい”関係

ーー冬森さんがお書きになる小説のテーマにも触れつつ、お話をお聞きしていきたいと思います。すでに発表されている2つの小説は、どちらも「食」がモチーフになっています。
冬森さんにとって、「食べること」と「書くこと」の関係はどのようなものでしょうか?

冬森 私は最初に「おいしいもののことを書きたい!」という思いがあるんです。
子どもの頃から小説を書きたいと思ってきたのですが、何度も何度も挫折して筆を折ってきました。
その私が、ある長編小説を書いていたとき、食べもののシーンを書いていたらものすごく楽しくて。私は「おいしいもののことを書くのが、とてつもなく好きなんだ」と気づいたんです。
たまたま、その数ヶ月後に「おいしい文学賞」の募集を知り、「これだ!」と思って書いたものが、運良く最終選考に残していただけて、デビューにつながったのです。まさに一期一会ですよね。

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冬森さんのデビュー作『縁結びカツサンド』(2020年、ポプラ社)。
左はArt and Syrupで開催中の展覧会オリジナル短編小説。同展会期中に会場で同書を購入するとプレゼントされるプレミアムなもの

ーー「食べること」と「書くこと」は、“楽しい”でつながるのですね。
そこからどのように物語へと発展させているのですか?

冬森 私は“おいしい”ということは、人と人の間に生まれるものだと思っています。

ーーそれは、例えるなら、どんな立派な食事も、見知らぬ人に囲まれて食べるとあまりおいしく感じない。でも、親しい友人と一緒に食べるたこ焼きはものすごくおいしく感じる。こんな感覚でしょうか?

冬森 そうです。“おいしい”ことは、すごく主観的な行為だととらえていて、私はそれについて書いていると考えています。

ーーおいしいものを「食べること」とアートを「みること」、そして「書くこと」は、冬森さんの中ではどのようにつながっているのでしょう?

冬森 おいしい味、と聞いて想像する味は人それぞれ違うと思います。
アートの感じ方も、おいしいと聞いて想像する味も、尊重されるべき「その人だけの特別なもの」というのも似ています。
アートは“あじわう”ものですよね。鑑賞を“あじわう”と言います。食べものも“あじわう”という同じことばを使うこともあって、すごく似た心の動きではないかと思うんです。
アートだと、全体から感じ取るイメージはもちろん、例えば「何が描いてあるんだろう」と細かくみていくこともできます。食べものも、おいしいと感じる全体の印象のほか、「このおいしさはどこから来るんだろう」と探ることもできる。
その心の動きは、とても似ていませんか?

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ーー確かに! 食もアートも五感に訴えかけてくる、五感で楽しむものですものね。
先ほども少し触れましたが、冬森さんは、私たちの五感も刺激する、ビジュアルが目の前に広がるような表現が印象的な文章を書かれています。
それは意識的に、もしくは具体的にモデルになる絵や食べものなどがあって書いていらっしゃるのでしょうか?

冬森 私自身はディティール描写を課題だと感じているので、そう思って読んでいただけるのはありがたいです。
物語をつくるはじめは、いつも暗闇のようです。自分ではよく「みえない」と呟いてしまいます。その物語に暮らす人たちのことを「みよう」としています。
でも、書いているときは、自分の中には景色が「みえて」いるんです。それを「ことば」として紡ぐ
木に喩えるとしたら、その中に「形」のようなものがあって、私はその形を「みながら」彫刻刀を当てているように思います。その刃の当て方や角度にいつも悩みます。
ただ、自分では形が「みえている」からこそ、抜け落ちるものもあると思っています。

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『伊藤絵里子と冬森灯の“絵とことばの縁結び”展』より


3 冬森灯的“おいしい”アート

ーー“おいしい”食べもののことをお書きになる冬森さんに、“おいしい”あるいは“おいしそうな”アートについてうかがいたいと思います。

冬森 このお題、すごく難しかったです(苦笑)。
私のずばり「おいしそう!」は、伊庭靖子さんの作品。神奈川県立近代美術館の個展でみた、大画面の作品シリーズです。
とくにオレンジとプリンの作品ですけれども、この感じが、おいしくて、おいしくて。

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冬森さんがご持参くださった「伊庭靖子展ーまばゆさの在処ー」展覧会図録(2009年)より

冬森 この展覧会をみた数日後、大阪から来た友人と東京で会う予定だったのですが、鎌倉まで引っ張っていきました。「おいしいから、絶対これみて!」と(笑)。
1メートルを超える大画面作品が並ぶ展示は圧巻でした。もう、作品の前を歩くたびに「おいしそう」の連発で。

ーーこれはみずみずしい表現!

冬森 オレンジのジューシーな感じや、果実のディティールまでとてもリアルですよね。質感がすごい。おいしそう(笑)。
展覧会では、これらが描かれたものだということにも衝撃を受けて、「なんてことだ」と思いました。
機会があれば、実物をぜひみていただきたいです。

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神奈川県立近代美術館のHPより

冬森 実は今回お題をいただいて、“おいしいアート”ってなんだろうと考えました。今までアートをそういう視点でみたことがなくて、面白いなと。
そこで、スペインのボデゴン絵画やフジタ(藤田嗣治)をはじめ、東西の巨匠の作品など、改めて食べものが描かれた作品をみてみたんです。
ところがそういった絵は、ちっともおいしそうじゃない(笑)。

ーーお題を出しておいて申し訳ないですが、確かにそうかもしれません。
そのうえで、伊庭さんのほかに「これはおいしそう」と感じた作品はありましたか?

冬森 例えば、リストという画家の《聖エリザベス》は、有平糖みたいだと思いました。縦にしゅ〜とした感じ、そして、繊細で少し艶のある質感からそう感じるのだと思います。

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ウィルヘルム・リスト《聖エリザベス》1905年頃
カンペール美術館HPより

ーー食べものを描いた作品ではなく、描かれたものの質感の方がおいしそうにみえるということですか?

冬森 ええ、食べものというモチーフよりも、私は描かれたものの「質感」や「色」に惹かれて、おいしそうな感じがすると気づきました。
ほかに、斎藤清さんの《会津の冬》もそうです。

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冬森 こちらは版画ですが、雪のこんもりとした感じが大福のようで、このもったり感がおいしそうなんですよね。

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斎藤清《会津の冬(51)》 1982年
斎藤清美術館 Facebookより

ーーまさに某社のアイスのようですね。

冬森 そうでしょう(笑)。
斎藤さんの別の版画で、ラディッシュのような作品があるのですが、それもおいしそうにみえました。
いきいきしていて、サラダにしてかぶりつきたいようです。
ほかに、東山魁夷の《雪降る》からは、ミントティーのような印象を受けるんですよね。

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斎藤清《地の幸》 1989年
斎藤清美術館HPより

ーー本当ですね。作品のもつ質感や色合いが、みる側の感覚をくすぐってきます。

冬森 食べものというモチーフにこだわると、一番おいしそうだと思うのは、絵本『ぐりとぐら』の挿絵です。
カステラを焼くシーンがあるのですが、黄色と線だけで、それはおいしそうにみえるんです。原画もみに行きましたけれど、おいしかったです(笑)。
“おいしそう”という視点でみていくと、美術館にあるようなアート作品よりも、生活に身近にあるようなイラストレーションなどに近いものになっていく、ということを発見しました。
それこそ、『縁結びカツサンド』の表紙を描いてくださった、伊藤絵里子さんのイラストのような感じです。

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『伊藤絵里子と冬森灯の“絵とことばの縁結び”』展より
とてもおいしそうな、伊藤絵里子さんのイラスト
右上はArt and Syrupの日替わりで提供されるハンドメイド・スイーツから、ドライフルーツのパウンド

冬森 今回、いろいろと作品をみていくうちに、いわゆるアート作品に「なぜおいしそうな表現が少ないのだろう」という疑問が湧いてきました。
私の知る範囲が狭いだけかもしれないのですが、考えて思い当たったのが、アートの場合は、本来はおいしそうなモチーフを描いていても、おいしそう“だけ”を表現してはいないのかもしれない、と。
アート作品には、もっと別の感情だったり、思想だったり、いくつものレイヤーが表現されていくから、おいしそうな作品は少ないと感じたのかもしれません。

ーーそういう視点で考えると、美術館がコレクションをしている作品の傾向にも影響されているのかもしれませんね。
ファイン・アートにくくられる作品には、食を楽しむような、リラックスした幸せな感じが得られるものも少ないように思います。

冬森 静物画はとくに、食べものを無機物と同じように「もの」として捉えられている感じがします。食べようという感じが絵には出ていない。だから、よけいに描かれた質感や色に惹かれるのかもしれません。
そういえば、歌川広重の《東海道五十三次・鞠子》に出てくる「とろろ汁」はおいしそうでした。片足を椅子に載せて食べているシーンなんですけれど。浮世絵には、こういったおいしそうな表現がたくさん見つかります。

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歌川広重《東海道五十三次・鞠子》 1834年頃

ーー浮世絵は今でこそ美術館にも展示されますが、もともと暮らしに密着した表現ですものね。先ほどの冬森さんのお話を聞いて、納得しました。

冬森 2020年には「おいしい浮世絵展」もやっていましたね。
“おいしい”、“おいしそう”ーーこういう視点で絵をみていくと、ふだんみているときとは違ったことにも気づきます。

ーー今回は“おいしい”、“おいしそう”くくりでアート作品をみていただき、私たちも共感するとともに、多くの発見がありました。
本日は、おいしいお話をたくさん聞かせてくださって、ありがとうございました。小説の次回作も、どんな“おいしい”が登場するのか、とても楽しみにしています。

(取材 2021年2月@アートハッコウショ)

*冬森灯さんの
『【短編】縁結びカツサンド(「おいしい文学賞」最終候補作品)』は
紀伊国屋書店amazon楽天ブックスなど各電子書籍店にて配信中。


『伊藤絵里子と冬森灯の“絵とことばの縁結び”展』、開催中!

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日時:2021年3月31日(水)まで
   14:00〜18:00(会期中変更の可能性あり)
会場:Art and Syrup 横浜市中区曙町5-63-5
   ※展覧会ご来店の際は、1ドリンク以上のオーダーをお願いします。
   ※展覧会のお休みは「Art nd Syrup」の休業日に準じます。
詳細はこちら

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冬森さんの新刊『うしろむき夕食店』(ポプラ社刊)は
2月17日より書店で発売中!

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