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“読も” 2022年7月度 第24回|Anny

「Goodbye ART HOUSE -閉店までのカウントダウン-」

お疲れ様です!
神戸のAnnyです!
エニーじゃなくて、アニーって読みます!
名前だけでも覚えて帰ってください!
バンド名の由来は端折って説明すると"兄"→"アニ"→"アニー"→"Anny"って流れです!

2022年7月31日に神戸ARTHOUSEが閉店するもんだからAnnyからもブログ書いてやーとのオファーがありまして、喜んで執筆させていただいております!

よろしくお願いします!

まずARTHOUSEの事を書くとなると「AnnyはいつからARTHOUSEに出てたんや?!」と気になりましてGoogle先生を駆使した結果、なんとか答えに辿り着きました!

焦った。
ネットの海に溺れかけた。
懐かしい記事や写真がいっぱい出過ぎて陸地に上がるの忘れてた。

わー!ミクソw
懐かしすぎる!
おぉ、表記が"anny"やん!
Anny表記になったのは2008年なんですよー。

って事で2006年7月23日にARTHOUSEに初めて出演させてもらっていました。
16年前かー。。。

Annyは本当にARTHOUSEに結成当初からお世話になっておりました。
折角いただいた機会やし、こんなに赤裸々に語るのも最初で最後やし、思いつくままARTHOUSEとの思い出や感じた事を書いていこうと思います。

ほんとに長くなると思うのでご興味のある方だけお進みください。
 
 
◉初ARTHOUSE

俺の高校の同級生のアゲタ君に、ARTHOUSEを紹介してもらったのがきっかけでした。
初めてのARTHOUSE緊張したなー。
初めて会った西本昇平。
なんと皮パン履いていました!
スゲー!ロックスターやー!と思った第一印象だったのですが、後に本人に聞いたら"絶対皮パンは履いて無い!"と否定されたので違うのかもしれないw

当時のAnnyは"サツオ"という男がボーカルやったんですが、彼が就職をして忙かったんで、なかなか誘われたイベントに出れない事が多かったんです。
そんな中、ソロで活動をしていた地元の後輩"なぎさ"とライブハウスで出会って仲良くなりました。

「今度ARTHOUSEってライブハウスのイベントに誘われてんけど、サツオが仕事で出れそうにないねん。でも出たいからその日歌ってくれへん?」ってなぎさに言うたら「やるやるー!」と言ってもらいコラボって形で初めてARTHOUSEのステージに立ちました。

これが16年前の7/23ですね。

そしてこの日の精算の時に昇平さんに「ぜんぜん違和感無かった!女性ボーカルアリちゃうかなー?」の一言をきっかけで、後に"なぎさ"がAnnyに加入する事になりました。
 
 
◉デモ音源

ARTHOUSEの企画で地元神戸の若手にレコーディング代もプレス代もかけずに音源を作ろう!という神的な"200YEN-CD-Rプロジェクト"に誘ってもらい、Anny初の音源ができました。

人生初のレコーディングをディレイでさせてもらい、CD-Rにしてもらいました。
レコーディングエンジニアのカワバタさん凄かったし、めちゃ優しかったなー。
もう大興奮で、自分の作った曲がプロみたいな音源になるとか夢見心地すぎて堪らなかった。
嬉しくて何百回も聴いたと思うし、今は恥ずかしくて聴けないw
 
 
◉自主企画イベント

ARTHOUSEでAnny企画のイベントも数多くやらして貰いました!

結成当時は【俺とお前とお前の明太子】という名のイベント。

通称"オレメン"

ふざけとるなw
当時のドラムのバンちゃんが名付けました。

他のアートバンドみたいにフライヤーポスターを作ってARTHOUSEに貼ってもらったら「あ!明太子のバンドやん!」って先輩バンド達に声かけてもらえるようになり、Annyがようやくアートバンドとして認識されるようになった。
嬉しかったなー。

ポスターもネットの荒波を探して見つけてきましたよ!


明太子ごはん美味しそうw
当時のボーカルのなぎさが明太子を意識してなのか?!
めっちゃピンクw

そして2011年にボーカルが"宮脇早紀(以下サキ)"に変わってからは色んな角度からのイベントをやりました!

ちなみにサキがAnnyに入ったキッカケもmixiです。
なぎさが抜けるってなって必死なってメン募コミュニティに投稿しまくった。
若い子はもう知らない人も多いかもしれないけど、2022年現在はTwitterやInstagramが主流やけど当時はmixiが全盛期やったんよー。

話は逸れましたが

女性ボーカルに特化したイベント
【アニーガールズコレクション】

ファンをキチ●イ呼びする愚行
【アニキチ祭】

ARTHOUSEとの共同イベント
【(株)アニーハウス】

ARTHOUSEにAnnyのようなメロコアやポップパンクバンドを根付かせようと試みた
【パンクサーフィン】

どのイベントにも思い出もドラマもARTHOUSEと共にありました!
 
 
◉初の県外ツアー

いろんなバンドが経験していると思うんですが、ARTHOUSEのライブ後の精算ミーティングはめちゃ長い。
ただ、ダラダラと話をするだけではなく、本当にカッコいいライブバンドになる為に真摯に向き合ってくれる貴重な時間でした。
Annyは昇平さんに担当してもらっていたのですが、昇平さんはいつも優しくて褒めてくれる。
ドMバンドな俺らは怒られたかったのに、なんやかんや良い所を見つけて褒めてくれる。

でも必ず毎回、昇平さんのドSぶりが炸裂する究極のダメ出しを1個だけ言ってくれるんよなー。
それが快感で堪らなかったw
その指摘されたダメ出しを中心に練習して、修正して来月ライブに挑む日々。

ARTHOUSEはバンド塾やと思ってた。
そんな勉強の日々を過ごしてきたら、その日はやってきた。

「お前らそろそろツアー行くか?」

やっとツアーに行っても良いと昇平さんから許可がおりた。

県外でライブする機会はいくらでもあったけど俺らはそれを拒んでいた。
昇平さんに許可を貰ってからじゃないと行ったらダメだと思っていたからだ。

それがようやく許可が貰えたのだ。
めちゃ嬉しかったなー。

初ツアーは神戸→高田馬場→渋谷→横浜→神戸だったと思う。

ツアーを組んでもらい、そして贅沢にも全てのライブに昇平さんが同行してくれた。
あのツアーをキッカケに全国いろんな所でライブをするようになり、年間100本を超えるツアーバンドLIFEの始まりでした。

ちなみに初ツアーの渋谷の乙(キノトって読みます)で俺はライブ中に勢い余って振り上げた拳がミラーボールを破壊し、拳もステージも血だらけ。。。
終演後に救急車で運ばれ何針か縫っちゃいましたorz

昇平さんは心配しながらもめちゃ笑ってた気がするw
良い思い出ですw
 
 
◉お年玉ライブとカウントダウンライブ

ARTHOUSEの名物の一つのお年玉ライブに出たくて出たくて仕方が無かった。
全国をツアーで周るようなアートバンドのトップが集うイベント。
お客さんも入場無料やし振る舞い酒あるわでパンパンワイワイ新春わっしょいでみんなテンション鬼高い!
出演してるバンドが羨ましくて仕方が無かったし、絶対出るんだ!って頑張ったなー!

Annyが初めて出して貰えた時はもう興奮して前日眠れなかった覚えがあります。
そっからは解散するまではずっと出さしてもらって、俺らもアートを代表するバンドのひとつになれたのかなーとか誇りに思ってました。

あとカウントダウンライブ!
神戸唯一の大晦日から元旦にかけてのお祭りイベントで、ぐちゃぐちゃで覚えて無い事が多いw
事件があった年もあったなーとかw
でもAnnyがカウントダウンの跨ぎの時間を任せて貰えた時は流石に気合い入ったなー!
大役すぎてノンアルで挑んだし、サキは振袖で出てた!
今思えば振袖着てライブってヤバいやんw

両イベントとも近年はコロナで中止になっちゃってて残念やったけど、また新店で復活して欲しいなー!
 
 
◉初の全国発売

全国各地、いろんな所でライブをして少しづつだけどファンも増えてきた。
でも、なかなか大人(音楽業界)に声かけてもらえない。
いい加減気持ちが腐りかけていた。

そんな時に「Annyが更なる飛躍をする為にARTHOUSEのレーベルからCDを出してみないか?」と昇平さんが言ってくれた。
当時も現在も第一線で活躍しているアルカラやサウスケなど沢山のアーティストを輩出したレーベルからAnnyが CDを出せるなんて!と舞い上った。

ぜひともよろしくお願いします!と言ったら「ARTHOUSE発信でやるよりも、ジャンル的にAnny独自の新たなレーベルを作って業界に殴り込むってどうや?裏で俺がしっかり支えてやるから!」と糞カッコいい事を言って下さり、昇平さんと俺らで『Anny売らそうの会』及びDOG RECORDというレーベルが発足されました。

まず第一弾として『明日を、照らす』という会場限定のミニアルバムを発売する事になった。

全国的に知名度の全く無いAnnyにとってミュージックビデオ(以下MV)は必須で、全国発売前にこのミニアルバムの中の曲をMVにして全国に宣伝しようという昇平さんの戦略でした。

"ゆめぞら"という曲でAnny初のMVを撮ってもらいました。

今でこそ簡単に撮って発表しているMVも、当時はカッコいいもん作ろうと思ったらなかなかハードルが高かったんで昇平さんには無理してもらったなー。

そしてミニアルバムと同時進行で第ニ弾『笑いたいやん』というアルバムの作成に取り掛かっていました。

Anny初の全国発売のCDとなります!
昇平さんとタッグを組んでから1年後にようやく発売に辿りつけました、泣
この1年Annyの中で事件勃発すぎて毎回昇平さん困らせるし、頼りまくってたし、ほんとヤバかった、泣

CDショップにポスター貼って貰った時のやつ!

全国いろんなCDショップに挨拶行ったんやけど、売れてないバンドなんて塩対応連続w
でも、たま〜にAnnyの事好きな店員さんが居て試聴機で展開してくれてるの見て泣いたわー。

MVも第二弾としてこのアルバムに収録されている『G』という曲で撮らしてもらいました。
Gはゴキブリ嫌いすぎて作りました。
昇平さんがこの曲でぜひMV撮ってくれって言ってもらったのを今でも覚えています。
昇平さんもゴキブリが嫌いなんでしょう。
 
 
◉ARTHOUSEで初のワンマンライブ

先程紹介した"笑いたいやん"のレコ発ツアーファイナルが初めてのワンマンライブでした。
ARTHOUSEの1日俺らだけ!
楽屋使うの俺らだけ!
とか駆け出しの頃から考えたらあり得ないくらい贅沢で、至福の1日でした。

照明のむーちゃんと当時のPAの池ちゃんに「セトリを送って欲しいっすー!」って事前に連絡もらって、20曲くらいのセトリ送ったら、当日リハーサル要らんやんくらい細かい所まで完璧に仕込んで演出してくれたのよ。
ライブで一回もやった事無い曲とかもあったのに音源を聞き込んでくれてたんやろなー。
忙しい日々の中ありがとう、涙
もちろん本番もカッコよくしてもらって、感謝感激やったー!

あと、ARTHOUSEでのワンマンって何が凄いかって、俺らだけやから開演前になると階段の一階までアニキチ達(ファンの総称)が並んでいるのよ!
もうアートバンドとしては堪らない瞬間やった。
当時受付のミドリがアセアセしてるのを見て気持ちよかったなーw

結局ワンマンライブはアートで3回やらしてもらった!!
 
 
◉移籍

全国発売もさせてもらい、ワンマンライブも出来るくらいのバンドに成長させてもらったAnnyでしたが、やはり売れるという所までは行けず「よし2枚目のアルバムを作ろう!」と昇平さんが言って下さり『泣いてもいいやん』というアルバムの制作に取り掛かりました。

このアルバムの制作途中に、ある大手のレコード会社がAnnyに凄く興味を持ってくれて、何度も俺らに接触してきてくれるようになりました。

マジで昇平さんの狙い通りに事が動き始めた!

そしてARTHOUSEの事務所までそのレコード会社の人がAnnyの移籍のお願いにやって来ました。
レコード会社の人が拍子抜けするくらいの条件で昇平さんはとても喜んで移籍に同意してくれました。

言葉だけじゃなく、本当にAnnyを売り出そうとしてくれていた事を感じた瞬間でした。

レコード会社の人が言うてました。
折角育てた自分のレーベルのバンドをかかった経費だけで移籍させるのはまぁ無いと。
普通にそうだと思う。
バンドを売らそうとアレコレ作業したり、連絡したり、足を運んだり、考えたり、悩んだりしてくれた労力が無給なんやから。

本当に商売に向いて無いんだと思う。
本当にバンドファーストで考えているんだと思う。
だからバンドマンにこんだけ愛されているんやろうなーと思うし、だから昇平さんについていっているアートスタッフも気持ちの良い人間ばかりなんやと思う。
 
 
◉最後に

Annyは"ひまわり"という曲があるのですが、その歌詞は西本昇平という人間に出会って感じた事を書きました。

真夏のひまわりみたいな人になりたい
笑いたい
笑いたい

いつもワハハって何事も陽気にポジティブに笑って強く魅せてくれる昇平さんに憧れて。

Annyは夢半ばでメンバーの脱退をきっかけにココロまで半壊し、解散を選びました。
俺は何も恩返し出来ずに解散をしてしまった申し訳無さと、恥ずかしさと、情け無さで5年ほどARTHOUSEに足を運べなかった。
てかライブハウスにもほぼ行けなかった。

そして新しい夢を抱え、どうにか夢が形になったタイミングで梅田クアトロまで1人でアルカラのライブを観に行った。
昇平さんに会えるような気がして。
やっぱり来られてて、5年ぶりに再会した。
何も変わってなかった!
嬉しかったなー!

俺の夢のスタートの時にはこんなデッカいお花を贈っていただいた!
鬼軍曹と兵隊w

俺はまたAnnyが無性にやりたくなっていた。
でも他のメンバーは各々別の人生を歩んでいるのだから邪魔しちゃいけない。
久しぶりに会ったりした時もAnny復活したいって事は絶対に言わなかった。

でもまさかの同時期に他のメンバーもAnnyをやりたくなっていた。
そんな偶然なのか必然なタイミングでメンバーで連絡を取り合う事となり、解散から5年ぶりの2020年の10月にARTHOUSEで復活した。

復活したのは良かったがコロナの影響や、メンバー各々の生活もあり、年に一回くらいしかライブは出来なかった。

そしてARTHOUSEが閉店するというニュースを聞いた。

現役のバンドマン達が閉店前に出たい出たいと思っている中、そんなAnnyも出たいなんて烏滸がましいと思っていたのだけれど、オテモトチョップスティックス先輩がイベントに誘ってくれた。

という訳で2022年の7月24日にARTHOUSEのステージに最後立てる事になりました。
本当にありがとうございます。

このブログの公開が7/24より前になるのか後になるのか、それとも当日なのかは分からないけれど、最後にARTHOUSEに最大級の感謝を込めてライブしてきます!!(※もしくはしてきました!!)

そして最後に"ひまわり"という曲でクソほど笑ってARTHOUSEのステージを降りたいと思います!(※もしくは降りました!鬼軍曹と兵隊達だけ号泣でしたw)

やはり長くなってしまったなー。
最後まで読んでいただきありがとうございました!!
Annyの竹田まさるでした!
 
 
◉PS.

神戸ARTHOUSEは無くなっても昇平さんと店長のノリオを中心にアート魂がそのまま受け継がれる『live music club PADOMA』の開店を楽しみにしております!
またいつかAnnyもぜひ出演させてください!

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