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【 守られているという安心感 】



5つのゴミ袋をゴミ捨て場に出していた時、なんか家の中からビービーと音がするのに気がついた。
最近とんとなかったので、しばらく何の音か把握するのに時間がかかった。

「あっ、SECOM かけてたんだ!」

慌てて室内に入りアラーム解除しようとしていた時に電話が鳴った。

うっかりに恐縮しながら本人確認の名前と暗証番号を答える。

「何事もなくて安心致しました。」

と、優しく丁寧な対応に心がほっこりした。

SECOMとの出会いは、以前の自宅に不穏な動きがあり出してから。
義父の認知機能低下が進行中の頃、締めたはずの窓の鍵が開いていたり、窓ガラスを割られたり、庭の植木鉢の花が散乱していたり・・・

今思い返しても、ドラマや小説、いや、それ以上の恐怖体験をしていた頃。
信じられないかもしれないが、室内にまで監視カメラを設置して生活していた頃。不安と隣り合わせの生活に心身共にすり減ってしまっていた。

唯一の頼りがSECOMの防犯システムだった。事あるごとに駆けつけてくれる制服を着たSECOMマンに安堵したのも束の間、その制服姿にさえ、本物ではないかもと懐疑してしまっていた恐怖MAXの時期を通り過ぎて・・・

最近はアラームがなる事も無いし、ようやくSECOM解約しても大丈夫かも、と思っていた矢先の今回のアラーム事件。

ここまで来るのに5年も費やしている。

時間の経過の他に自身に安心感をもたらしてくれているものの一つに「哲学」の学びがある。

2017年10月から丸三年学び続けている。飽きっぽい性格なのにこれだけの年月、毎月一回の塾に参加すべく日程をやりくりした。とても月に一度の学びでは理解できずに東京や大阪まで同じ講義を聞きに足を伸ばした時期もある。

フリードリヒ・ニーチェは、『人は自分の欲望に応じて「事実」を決める』と言った。

考えても答えの出ない「不安」という「絶望」に苛まれていた経験を経て、今やっと「希望」が見出せる地点まで歩み出すことができている。

哲学との出会いは「邂逅」の如く思いがけないものであったが、それによって今生かされている。

繰り返される苦悩は無限に繰り返され、そこから逃れることはできない。ニーチェ的に言えば、これは吐き気をもたらすような世界観である。しかし、無限に繰り返されるのは苦悩だけではない。幸福もまた、無限に繰り返されるという「永劫回帰」。

「過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える」

そろそろSECOMのお世話にならなくても「安心感」を自ら捏造する事ができるかもしれない。

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