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エッセイ・ノンフィクションマガジン

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作家、アーティスト、大島ケンスケによる実体験に基づいたエッセイやノンフィクションをまとめたマガジンです。
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#ノンフィクション

17歳の少年。

今回は、自伝的ノンフィクション小説です。少し長いです。自分自身の懺悔のような気持ちもあります。 * 高校生の頃。日曜日の日中は大抵、俺は母の入院する病院にいた。その病院は地元から車で1時間ほどかかる、札幌市の外れにある総合病院だった。母の病気が難病なので、地元の病院ではなく、その札幌の病院に入院するようになった。 日曜日はいつも憂鬱だった。遊びたい盛りの高校生が、毎週、陰気臭い病院で、半日過ごさねばならいのだ。 残念ながら、当時の俺は“母親想いの息子”、なんていう少年

“女の人”が怖かった僕が、女のために生きると誓った日。(前編)

「女のために生きる」 昨年ですが、僕はこっそりそんな誓いのようなものを立てた。それは、僕のあらゆる言動を、すべて「女性の幸福」につながるためにしか使わない、そういう想いなんだけど、その経緯などを踏まえ、今の気持ちを書いておこう。 衝撃の事実を知る。 僕は自身のYoutubeチャンネルを持っていて、ゆる〜く発信を続けている。 Google先生はなかなか優れもので、アナリティクスという項目で、自分のチャンネルの視聴者のデータが見れるのだと、Youtuberなら当たり前のこ

パピットの“たこ焼き”

いつだか『ゲゲゲの鬼太郎』の作者で有名な“水木しげる”さんの自伝を読んで知ったのだけど、水木しげるさんは戦後、絵がうまいので看板描きの仕事から始め、そのあと「紙芝居」を作っていたそうだ。 戦後の復興時に、紙芝居師が日本中にいて、子供たちに夢を届けていた。 しかし、日本は経済成長と共に、テレビが普及し、当然子供たちの娯楽も「テレビ」へと変わっていく中、紙芝居の需要はなくなっていく。水木しげるさんも、売れない紙芝居を描き続け、貧乏に次ぐ貧乏だったという。 スマートフォンが現

勇気を出して立ち向かった夜。

あなたはこれまでの人生に「勇気」を振り絞って何かに“立ち向かう”という経験はおありだろうか? しかも「別に立ち向かわないでもいい」状況にも関わらず、例えば何かを改善させるためとか、好転させたいがため、誰かのため、自分自身を納得させたいがために行う勇気。 これこそが本当の「勇気」だと思う。 怖いけど、逃げ道がない!前に進むしか選択肢がない!ということも人生には多々あるので、もちろんその時も勇気は必要だ。しかし、その時は仮に勇気を出さなくても前に行くしかないので、必然性があ

猫の分だけ空いた、心の穴。

オレは自他共に認める「猫好き」である。それも、かなり、ネコ好き男子だ。 前住んでいた家では、大家さんの猫「茶々丸」くんがいたおかげで、ネコライフとしてはかなりの充実していた。  今は東京でマンション暮らし(ペット不可)、ネコライフが少なくて、猫に飢えてたまに猫カフェに行くほど。  しかし、実は昔、というか、子供の頃は、さほど猫が好きではなかった。いや、むしろ「嫌い」に近い感情を持っていた。 嫌いというか、「怖い」「気味悪い」といった印象の方がしっくりくる。決して嫌いで

おじいさんと柴犬

犬の散歩をしている人をよく見かける。 当たり前だが、この世にはいろんな種類の「犬」がいて、いろんなタイプの「人」がいる。犬と、人。そこには膨大な組み合わせがある。 シーズーとおばさん。ヨークシャテリアとおじさん。ゴールデン・レトリーバーとリッチそうなおじさん。フレンチブルドックと若い男性。チワワと、不健康そうな若い女性。ミニチュアダックスとおばあさん。雑種の中型犬と太ったおばさん。 犬の種類はもちろん、夫婦(若い夫婦・老夫婦)と犬、犬用のベビーカーのようなものに乗せてい

ロッキーと僕

物心ついた時から、彼は家族の次くらいに身近な存在だった。僕の家の向かいに住んでいた「ロッキー」。 ロッキーは、犬だ。犬だけど、僕の中で「ロッキー」であり、他の犬とは違う存在だった。ちなみに、名前の由来はあえて言うまでもないだろう。当時、ロッキーと名付けられた犬は日本中、世界中でいたのでは? 我が家は着物や反物を扱う商売だったせいか、動物は飼えなかった。しかし、家の前にはいつもロッキーがいたので、僕は子供の頃から動物全般好きだったけど、ペットが欲しいとはさほど思わなかった。

カツ丼は、濃い目の味付けだった。

「好きな食べ物はなんですか?」 という質問に窮するようになったのは、ここ10年くらいだろうか…。 どうして返答に困るかと言うと、おそらく『食』全般に対する好みはもちろん、考え方や価値観、哲学などが、玄米菜食や、田畑で作物を育てた事で激変し「すべてに感謝、すべてが美味しい!」、という状態になってしまい、なんだかんだで結局一番「美味い」と思うものは、料理法や味付けよりも“素材そのもの”であり、シンプルなものになってしまった。 しかし、昔は違った。 冒頭の質問には、こう答え

ポテチ

「夫が、身体に悪いジャンクなお菓子を食べたがっていて…」 「そんな体に悪いものは食べさせたら病気になるよ!」 「でも、どうしても“ポテトチップス”が食べたいって…、でも、私は絶対そんなの食べさせたくないし…。それでこの前も夫とケンカになって…」 「じゃあね、手作りのポテトチップス作りなよ。すごく簡単だから!旦那にはそれを食わせなよ!市販のポテトチップスなんてどんな粗悪な油使ってるかわかったもんじゃないし、添加物も多いからね!絶対手作りの方が美味しいから!作り方はね………

惣菜屋の太ったおばちゃん

「惣菜屋の太ったおばちゃん」 今の時代は「市場(いちば)」というものがどれほど残っているのかわからないが、オレが生まれ育った街には、当時は市場がたくさんあった。 港町だったという理由も大きいだろう。もちろん、駅前にスーパーはあったが、子供の頃は、市場はとても賑わっていて、オレは母親と一緒に、よく買い物に付き合わされた。 細い路地の両側に、びっしりと小さなお店が並び、色んな掛け声や、匂いや、熱があった。 魚屋、八百屋、肉屋、乾物屋、惣菜屋、花屋、和菓子屋、ケーキ屋、靴屋

消えたテトラポットと秘密基地

男の子たちは「秘密基地」を作るのが好きだ。大人に邪魔をされない、子供だけの王国。そこには女の子も入れない。男の子だけの、秘密の隠れ家。 思えば、男は歳を取っても、妻や女友達を呼ばない、隠れ家的店など、そういう居場所を持ちたがるものだが、子供の頃からそういう傾向があるのかもしれない。 小学生6年の頃だ。小六ともなると、自転車で行ける範囲とはいえ、かなり活動範囲となる。 俺の育った街は港町だった。港には様々な船が停泊している。 港の付近には巨大な倉庫がたくさんあり、いつも

ラーメン・オペラ

世の中には、実に色んな人がいて、色んな職種があり、色んな仕事がある。 そこは一見普通のラーメン屋だった。元々、その場所は居酒屋か何かだったが、ある時居酒屋は潰れて、しばらくしてから、そのラーメン屋がオープンした。 駅前から、線路沿いの道を2分ほど歩いた裏通りで、俺はバイト帰りの深夜、いつもその店の前を通り過ぎていた。 当時の俺は貧乏ミュージシャンのフリーターで、飲食店で働いていた。帰りはいつも終電。その近辺に、深夜1時にやっているラーメン屋は珍しい。 俺はある時ふと、

蝉の声と、初めての同棲と線路の音。

セミが鳴き始めた。夏の風物詩だ。虫の声は、気温とか、〇月〇日とか、そんな具体性のある数字よりも、時に肉感あるリアリティを持って、我々に季節を教えてくれる。 しかし、最近知ったのだが、実は日本人以外(ポリネシアの一部の民族もそうらしいが…)の国の民族は、「虫の“声”」とは思わず、蝉にしろ、コオロギやら鈴虫やらの鳴き声は、「虫の“音”」らしい。 日本人だけが、虫の声、木々のざわめき、鳥の声や、田舎ならカエルの声などを、言語などを認識する「左脳」で聞き取り、判断するが、他のあら

外国人の多い職場 (エッセイ)

今日はエッセイのようなものです。これからちょいちょい、こういうスタイルで、自分の人生に起きたことを、文章にしたためていきます。 ************ 日本は島国で、単一民族国家に近い。俺も生まれ育った環境は、ほとんど日本人しかいなかった。 20歳で上京し、東京へ来ると、かなり色んな国の人がいて、今も都内だと、コンビニなんて入れば、なぜか外国人の従業員ばかりだったりする。(いや、別にそれが良いとか悪いの話ではない。ただ、日本も都会に行くと、たくさんの外国人がいる、とい