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探求文庫#146 「自分で行かないと会えないんだ」 前編


いきなり変な質問しますよ?

神様との出会いがあるとするのならどんな時でしょう?

どこで?どんな場所で?どんな風に?

神さま、なんて書きましたが、「真我」「内なる宇宙」「真実」「愛」と呼んでも構いません。それらとの出会いは、いつ起こるのか?

「すでに今あなたは神と出会ってます!」
「あなたは神に守られています!」
「あなたは宇宙の愛の中にいます!」

と、スピ系の人でふわっと言う人がいて、それは確かにそうなんだけど、出会いってのは、あなたが例えば家族や友人に出会ったり、職場の人に出会ったり、旅先で見知らぬ人と出会ったりと、たくさんあると思いますが、

「え?出会ったのに気づきませんでしたけど…」

ってのは、出会いと呼べるのでしょうか?


神と出会う

片側からの認識、つまり“一方通行”の関係は、今回のnoteで取り扱う『出会い』とは違いますし、実際の意味的にもちょっと違うと思います。

やはりこちらも「ああ、〇〇さんだ」と自覚して、双方が認識してこその出会いと呼びたいものです。

話を戻すと、我々はスピの人が言うように、常に「神」に出会っているのか?

確かにこの世界はミクロレベルだと量子に満ちています。超ミクロの波動を「神」と呼ぶのなら、我々は神と出会い、神の中にいます。

銀河系や大宇宙を神と呼んでも同じです。ミクロでもマクロでも、我々は神との出会いの中にいる。

でも、そんなこと言われてもぶっちゃけわからないじゃないですか? つまり、出会っていないようなもんです。

でも、会ってみたいし、会いたいですよね?

でもなんで会えないのでしょう?

神はどこにいる?

一つの可能性として、

・そんなものいない

これは説得力ありますね。いないもんには会えない。当たり前です。かなり有力候補 No1と言っても差し支えないでしょう。

なぜなら実際に世界の大多数の人が「神」と出会ってませんから。

資本主義の民主主義社会ですから、多数決って強いです。圧倒的多数をもちまして、「神なんて出会ったことがない。だからいない」となってしまいます。

「出会ってない」どころか、「神を感じる」ことすらないでしょうし、仮に薄ら感じたとしても、

「気のせいじゃん?」

と言われて、そこに反論できるエビデンスはありません。この社会では「科学的根拠(エビデンス)」ってやつがやたらとハバを効かせてますからね。

だけど、

・いると信じたい

もしくは、

・いるような気がする

という人も多い。

実は、世界的に多数決を取ったら、これが一番多いかもしれません(取ったことないけど)。だって世界中のほとんどの人が、なんらかの「信仰」を持っていて、超常的な存在について予期したり、どこかで感じていて、それを大切にしている。

だから世の大多数の人が「出会いたい」わけです。だからキリスト教圏なら教会に行くし、ムスリムならモスクへ、ヒンドゥーや仏教徒も寺院に行くし、神道信者なら神社に行く。

みんな神に会いたい。お会いして直接お伺い立てたり、言いたいことがたくさんある。

自分の願望だったり、懇願だったり、切願だったり、念願だったり、切望だったりと、多分諸々の「要望」がメインかな?(笑) もちろん感謝を伝えたいって人もいるだろう。

なのに「出会えない」

恋焦がれてる乙女よりも苦しいですね。だって顔も知らなきゃ声も知らぬ。名前も知らぬ(神様、は役職名?)。

もう一度問題提起します。

なして会えないのか?

こんな風に会えたらいいんだけどね

神とはなにか?

その前に、前フリが長くて恐縮ですが「神」の『定義』とやらを決めておかないと議論にならないわけです。

だって、「赤」って色ひとつにしても、定義で「純粋な赤(色コード#ff000c)」しか認めないのか、ややピンクっぽい赤い、やや朱色っぽい赤、ややワインレッド、クールレッド、ウォームレッドなども含めて「赤」にするとか、そんな曖昧だと話し合いをしても噛み合いません。

Aさん (純粋な赤しか認めない) 「この色は赤じゃないよ!」

Bさん (全体的な赤要素が強ければ赤とする) 「え?これは赤でしょ!」

Aさん 「いえ、これは赤と認めません!似て非なるものです!」

Bさん 「いーや!これはどう見ても赤です!あなたが間違ってます!」

って感じで、これが発展すると考え方の違いからいがみ合いになり、納得させようと争いになり、最終的に人も巻き込み戦争になる。

こんな感じで「神」の定義が絡むと宗教戦争になるわけで、西洋や中東は宗教戦争ばっかりしてきた歴史がありますし、いまだに世界のあちこちでこの定義の違いで仲違いしてるわけです。

じゃああらためて「神」とはなにか?

実はこの話を書いてしまうと、本一冊書けてしまうくらい複雑になる。

いや、とてもシンプルなんですよ?

だって「神」は“それ”しかないから。宇宙であり、愛だから。言葉にならないし、表現はできない。一言で終わるんだけど、この一言の「解釈」がこれがまた千差万別千昌夫。

でもあえて決めておきましょう。そうしないと話が進みません。

神(宇宙、愛、真理)の定義


まず第一条件として「名前はない」です。

例えば神社の〇〇大神とか、仏教の〇〇菩薩とか、そういうのは僕の中では「天使」や「聖霊・精霊(スピリット)」の部類になります。

第二の条件として「特定の場所にいない」です。

神社仏閣や教会やモスクとかパワースポットにもいません。場所とか時間とかを超越している存在なのです(なのでこの想像力が必要です…)。

第三の条件は「判断をしない」です。

つまり「こっちが良くて、あっちが悪い」とか、「Aが正しくて、Bは間違い」とか、「▲▲はしなければならないけど、〇〇はしてはならない」というあらゆるジャッジです。どうしてかというと、あらゆる「法則を超越」した存在だからです。

唯一無二の真理であり、唯一無二の分割不可能なものなので、良し悪しとか、右左とか、あっちこっちとか、ひとつふたつとか、そういう次元じゃないってことです。

………

えーと、ご理解いただいてますでしょうか?

ご理解いただいてると定義しまして(笑)、話を進めしょう。

え?

名前もない、形も場所もない、判断もない…。

それでその「神」とやらに出会っても、出会ったことに気づけるのか?

ふむふむ。

なるほど。仰りたいことはよくわかります。ごもっともです。

では、あえてざっくりと言わせていただきましょう。

どうすれば神(宇宙・愛・真理)と出会ったと認識できるのか?

それは、

会えばわかる!

です。

犬がいて、会ったら「あ、犬だ」ってわかるじゃないですか?

タモリさんがいて、もし会ったら「あ!タモリじゃん!」ってなるじゃないですか?

会えば、わかります。わからないのは、会ってないからです。

でも、もしそこに「名前」があったり「特定の場所」とか「形・偶像」があったり、「思想・性格」がある神ならば、それは上記した通り、神の定義ではありません(もちろん、それらも貴重なものです。ただし、「フリ」をしている存在も多数います)。

会えば、わかる。

え? 会えないから困ってるのに、そんなこと言われても“元も子もない”って?

そうです。元も子もありません。だって神、宇宙は、『元』であり『子』であるから。

これ以上の議論はやめます。とにかくそう知ってください。「理解しろ」なんて言ってません。ケンスケが今こう言ってると「知って」欲しいとだけお伝えしているのです。

さて、神、宇宙、愛、真理、呼び名はともかく(だって名前とかねぇし)、定義を色々と決めたわけですが、ここからが本題。

のはずなんですが、長くなったので、後半に続きます。次に進むために、この文章はもう2回ほど読み直すべし!です。

Youtube更新。 たまにこういうライトな話しも。

お知らせ後に少し続きます。

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エネルギーとは何か?

おまけ 「スピリット(精霊)について 探求文庫


ここからは探求クラブ向けに。

先週、石垣島へ行ってすごく感じた、というか、あたらめて理解したことがあります。

それが「スピリット(精霊)」です。

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