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「叩けば響く」のに、どうして誰も叩かない?


叩けば響く

歴史の話から入って恐縮ですが、かつて西郷隆盛に坂本龍馬が会い、それを坂本が師の勝海舟に「西郷とはどんな男か?」と尋ねられ、

「西郷というやつは、わからぬやつでした。釣り鐘に例えると、小さく打てば小さく響き、大きく打てば大きく響く・・・」

と評したという逸話があります。

左の西郷隆盛、右の坂本龍馬、実はこの写真は本人ではないという説が濃厚ですが、一応掲載しておきます。この時代、命を狙われる要人は、影武者を立てない方がおかしいし、顔は知らない方が都合がいいのです。

さて、これはせごどん(西郷さん)に限らず、ではないでしょうか?

人は皆、それぞれの「空洞」を持っています。仏教用語などの「空(くう)」と、類似関係と捉えてもいいかもしれません。人は皆「空(くう)」の存在であり、この物質世界を一皮剥けば何もありゃしません。

ただ、本来は空洞なのに、いろんなガラクタを詰め込んでしまってるので、空洞のスペースがなく、いわゆる心に余裕のない人もいるのも事実ですが、本来誰もが空洞があり、つまりそれは太鼓と同じで、叩けば響きます。

しかし、どんな大きな太鼓でも、弱く叩けば大きな音は出ません。

と、ここまでは例え話ですが、あなたに問います。

あなたは誰かの心を響かせるように、強く叩いていますか?

(本当にぶったたいちゃだめよ笑)

あなたの心を響かせる誰かが、あなたを叩いていますか?

質問をすることについて

ちょっと個人的な話をします。

精神的な探求や、霊性の向上について、僕のような凡夫なれど、個人の体験と探求からシェアする活動をしていて、その中でどうしても「相談」とか「質問」ってあります。

いろんなイベントをしてて、何度かこんなことを言ったことがあります。

「人生変えたかったら質問をやめることです」

これ、かなり不評でした(笑)

みんな、答えが知りたい、今すぐわかりやすい(自分で考えないで済むように!)回答が欲しいのに、質問をやめろてww そりゃこまるわさ。

あと、こんなこともありました。

大きなトークイベント(200人くらいいる、コラボイベントでした)の質疑応答の際です。コラボ相手が超人気者だったから、たくさん人が集まるんだけど、そうなると、やはりやはり質問して「答えちょうだい星人」が多いんですよ。

もちろん、そこに寄り添ってなんぼで人気講師になれるんですが、僕は基本的にそういうのに寄り添わないタイプでして(笑)、だからこう伝えたんです。

「質問する前に、頭の中で何を聞きたいか、何を知りたいかを、具体的に絞ってから質問するといいですよ」

優しく、穏やかに言いました。しかし、そう伝えたところ、

しーん………

と、誰も質問しなくなりました(笑)。いつもなら、そのイベントは質問が飛び交うんですけどね。

とまあ、これもかなり不評でした。おかげで僕のこと「怖い」「厳しい!」と、大勢の人に印象を与えましたね。

いやね、わかって欲しいのは、「質問力」って超超超大事なんですよ。

なのにとりあえず手を上げて、質問どころか、ただ闇雲に喋る人っています。緊張してるのもわかるんだけど、生い立ちとかまで話し出して、本人も何を聞きたいんだかわからなくなってる人、よく見ました。

それって、イベントの限られた時間内だから、他に質問を待っているたくさんの人や、講師や演者の時間を奪ってるし、そもそも、何を質問してるんだか分かってない場合があるから、「一度整理しようね」って提案だったんですけどね…。

あと「質問をやめよう」は、言い方を変えると「雑な質問をするな」ってことです。これが上記した「質問力」なんですが、

「私の使命はなんですか?」
「私の守護霊のメッセージを聞かせてください」
「龍を見たいのですが、どうしたらいいですか?」

みたいなことを聞く人が多いんですよ。まあ、そういう「おねだり(依存)体質」だから、世間が生きづらくて、スピリチュアルに救いを求める人が多いからしょうがないのですが、とにかく自己啓発やスピリチュアルセミナーや講演会だと、そんな漠然としすぎた質問が目立ちます。

例えば「使命はなんですか?」ってことより「あなたは何がしたいのですか?」ってことだし、「守護霊、過去生」とかを知りたいとか、「龍が見たい」と言われても「それを知って、それが見えたらあなたはどうしたいのですか?」って聞きたくなる。

「夫が〜」「姑が〜」「友人が〜」とかも、ただ漠然と“状況説明”されても、こちらもただ愚痴を聞かされただけで、

「で、あなたはどうしたいの?」

となると、ただその人たちから逃れたいと漠然と思ってるだけで、具体的には何も出てこない場合が多い。

「自分」が不在なんですよね。誰が、何をしたいのかがないんです。だから誰と話してるのかわからなくなる。

だから一旦、「自分で何がやりたくて、そのために何を知りたいのかを考えてから、それでもわからないことを聞こう」って言いたかったんです。

質問力ってある人います。

超質問力高い人の質問は、

「〇〇をしたいと思ってますが、●●な障害があって難航しています。自分はそのために◆◆をして頑張っていますが、今後も〇〇を続けるべきか、▲▲や□□という考えもありますが、迷っています。ご意見をお聞かせください」

ここまで具体的でなくても、やはり意志がはっきりしていて、本人がかなり考え込んだ上での質問が繰り出されている。質問に「その人」が見えます。

そしてこういう質問こそ、タイトルに書いた通り「強く響く」感じがします。

そういう質問を受けると強く叩かれた感じがしますし、こちらとしても自分の器が試さる瞬間であり、ガチンコ勝負です。一緒に、自分のことのようにその問いに対して真剣に向き合いたい思います。

どうして「強く響く」のかというと、まず本人の中で強く響いているからでしょう。その響きがこちらに向かってくるのです。

自分で考えてない、自分の目的がない、という人は、そもそも自分自身に響いていないので、そういう人の質問って響きが弱いですから、当然相手にもあまり響かないです。

ちなみに、意外に思われるかもしれませんが、僕はその手のセミナーやワークショップ、お話会などに参加すると、

めちゃくちゃ質問します。

しかもあらかじめ、聞きたいことを明確にしておきます。いくつか優先度をつけて、考えておきます。

不思議なんですが、こうしてあらかじめ明確にしておくと、セミナーやワークの最中にその答えやヒントが必ずと言っていいほど提示されます。だからより具体的になるか、もしくはその質問をせずに、別の質問を用意することも可能です。

あなたがもし何かに参加するのなら、質問できる機会があるのなら、質問してみるといいです。もったいないですよ? せっかくお金や時間使って参加しているのですから。遠慮とか、人の目を気にして何も言えないなんて、本末転倒です。行くべき時は行くべきです。謙虚と遠慮は全く違います。

そして、質問力が仮に高くなくとも、あなたが真剣で、あなた自身がしっかり考えた上での質問なら、多少たどたどしい口調や文脈になっても、熱意が伝わり、相手に大きく響くはずです。

ちなみに、いつだかどこかのイベントで「叶姉妹」のトークライブがありました。その質疑応答で、あまりにちゃちな「くれくれ星人」的な拙い質問者には、叶恭子さんはこう言ってました。

「あなたの質問にはパッションが感じられません。はい、次!」

で、終わりです。答えません。答えるに値しない、ということですね。パッションがないってことは、響かないってことです。

にしてもさすが叶恭子様。僕はそこまでバッサリ切り捨てることはできません(笑)

まあ、それは極端な例とは言え、一つの真理です。

世界は響き合い。

この世界はそんな風に、響きあってコミュニケーションが起き、そこで化学反応がおきます。

今回のnoteのタイトルに「どうして誰も叩かない?」と書きましたが、色々と見聞きしてて、また、自分のワークショップなどでも、

「ああ、この人言いたいことあるのに遠慮してるなぁ」

っていう空気ってなんとなくわかるもんです。だからどんどん叩いてください。あなたが強く叩けば、強く響きます。自分から叩きに行かないと、世界は何も響きません。

そして、叩いてももし相手に響かないの、誰にも響かないのであれば、自分自身の響きが足りないと思って、一度自分に返る。それだけです。

僕も最近、

「〇〇という状況で、〇〇やってますが、うまくいきません。どうすればこの状況を打破できるか?」

的なことを師に尋ねたら、

「まず一度その“どうすれば”という思考を捨てること」

とバッサリと言われました(笑)。(その後に具体的なアドバイスはいただきましたが)

バッサリと切られたので、自分で思慮が足りなかったし、思考に頼っていたという自分の盲点に気づけました。

遠慮してる暇はありません。あなたが目を開き、あなた自身が幸福の水路になることを、世界は待っています。どんどん叩いてください。

☆ ワークショップ

つながるからだ、つながるこころ  

こちらのアメーバブログも参考に

聖音瞑想会 大阪 2月24日

歩く! 山を歩き、五感を開く

癒しと調律。ボイスヒーリング「調う」 2月18日(日)


☆Youtube更新


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