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探求文庫#152 ヤンキーと引きこもり。世代と時代。

割引あり

突然ですが、僕は45歳です。別に年齢の告白をしたいのではなくて、前回のこの二つのnoteに引き続き、

「世代」や「時代」に関しての話をしたいと思う。


団塊の世代と呼ばれた親世代

僕を含む、今の40代〜50代くらいの世代は、団塊の世代周辺の、戦後、昭和を象徴する親たちを見て育った。

僕らの子供時代、少年時代、青春時代は、1980年代〜90年代、2000年代であり、まさしく上記のnoteに書いた「ドラゴンボール」と共にあった世代。

一方、我々の親の世代では、青春時代というものに「選択」があまりなかったと思う。田舎の集団就職なんていい例だ。

ちなみに、当時流行った漫画は「巨人の星」とか「明日のジョー」のような、与えられた苦難に対して、孤高に、血と汗を流して栄光を掴むストーリー。

あと、親の時代までの価値観の代表例として、「働かざる者食うべからずと言う価値観があった。

しかし僕らの時代には就職や結婚に対して「選択」というのが増えたし、物質的に豊かな時代だったから、「働かないと食っていけない」という事実が、形骸化に向けていたような気がする。親のスネをかじれるようになってきた世代だ。

だけど家庭でも学校でも、あらゆる社会というところは「年功序列システム」が強くあり、そこでは「父権」とも言うべき、年配者の言うことが絶対的だった。

だから親は自分たちが“そうしてきたように”、もしくは“したくでも出来なかったこと”ことなどを、子どもたちに期待したり、価値観を押し付けた。

素直に、従順に従う子どもたちも一定数はいた。何の疑問も持たずに、親や教師の価値観を受け入れ、用意された道を行く少年少女たち。

しかし多くの子供が、そんな与えらた「価値観」や、社会の成り立ちに『違和感』を持ち、そして何より目の前の親の生き方に大きな疑問を持っていた。

だけど、そうはいってもやはり、競争社会には巻き込まれた。そこでは、知的な能力と、社会への順応性が何より重要だった。

ヤンキー(不良)が多かったあの頃

その結果、その世界に適応できない10代はたくさんあぶれた。それを象徴するかのように、僕が10代の頃は「ヤンキー漫画」が全盛期だった。

ビーパップハイスクールがヤンキー漫画をブームにした立役者かも。「ろくでなしBlues」は大好きだったな。まさかのこの漫画の舞台の「吉祥寺」に住むとは、小学生の頃には思わなんだな(笑)。
「ぶっこみの拓」のワンシーン。みんなこの漫画に影響を受けてたな…。
僕が高校生の頃密かに崇拝していた、カメレオンの「ヤザワ」。腕っぷしはないが、「ハッタリ」と「要領の良さ」だけで勝ち上がる。

当時「ヤンキー」と呼ばれた不良たちは、エネルギーを持て余していたのかもしれない。

親の生き方とのギャップ、社会と理想とのギャップ。それらへの違和感が、違和感で収まらなくなり、不満となって、逆らい続けた。

僕もそっちのタイプだった。社会や、親の世代の価値観に激しく(異常なほどに強く)違和感を持ち、自分の置かれた立場と、選択の余地なく競争社会へ組み込まれる不自由さに常に怒りを持っていた。

だからいつも「反社会」だったり、「教師」とか「体制」に対して逆らっていた。尾崎豊の歌なんか、モロに影響を受けた。

とはいえ、そこまで真剣に何かを考えて反社会的な態度を示す不良は残念ながらついぞお見かけしなかったが、全体的に、社会に馴染めない子供たちは、そうやって別の吐口を見つけた。

ただ今になって思うけど、それは「集合意識」というやつだったのかもしれない。全体的に、当時の10代の子供たちが、その集合的な「不満」の影響を受けて、暴力的な表現に繋がった。

話を少し変えるけど、中高生くらいだと、学力や、大人からの評価とはまったく別の「スクールカースト」と呼ばれるヒエラルキーがあった。

要するに「イケてる」と「イケてない」男女としての評価であり、そのシステムが妙に効力を持っていた。

イケてる側は恋愛だのおしゃれだの遊びだの、青春を謳歌し、学校でも目立つ。

そこでヤンキーとまで行かずとも、特異性と奇抜性と堂々とした振る舞いができる少年少女、そして実際の不良として何らかの「暴力性」に優位だった者も、圧倒的に“スクールカースト”では上位に入りやすかった。

ちなみに皮肉なもので、スクールカーストは大人になって社会人になるとまんま「逆転」するから面白い。当時真面目に勉学に勤しみ、学歴社会を勝ち上がり、優良企業に就職した連中は、生涯年収とかその辺での評価をすると、圧倒的に差がつくケースが多い。

話を戻そう。

Z世代とか云々

スクールカーストだの、ヤンキーだの、反社会的だの書いたけど、これが僕の後の世代になると、少し違ってくる。平成生まれ、もしくは1990年代以降の生まれくらいだろうか。

Z世代とか云々言われるけど、その辺の明確な区分けはわからない。あくまでも平均的なもの。

学校という、教師や社会との軋轢やスクールカーストに対して、もちろん僕らがやったように「戦う」とか「屈服」する子供ももちろんいたけど、「不登校」という“選択肢”が増えた。

当時は引きこもるとか、不登校という選択肢の発想がなかったというのもあるけど、根っこにあるのは同じだと思う。

抑圧や、何らかのストレス。ただ「陰と陽」というか、陽がヤンキーになって外の世界で暴れて、陰が引きこもりや鬱になっていった。

全体的に、今の30代前半から、20代、10代と、どんどん「優しい子」が増えているという印象はある。僕らの時代のような暴力的な表現をする人はいなくもないけど、数はかなり少ない。

スクールカーストは依然としてあるところにはあると思う。しかし、インスタで自分の見た目を気にするとか、カーストの基準が昔とは随分と変わった印象がある。

「ルッキズム」なんて言葉が生まれたように、見た目の良し悪しの、なんらかの基準でのカーストがある。
(何を持って良し悪しとするかは、流行というもので決められてしまっている)

平和的になったとは思う。昔のような、直接的な暴力ではない。

でも、もちろんあくまでも階級なので、下にいて、自分が下にいることを恥じる子供たちは辛いし、いじめられたりしがち。優位な側は、その優位性を使ってマウントをするのだろうか。

とはいえ、全体的には「優しい子」が多いと思う。

その優しさは良いことなのか?という議論がある。つまり「優しい」のではなくて「弱いのでは?」という意見だ。

草食男子という言葉すらももはや死語に近いけど、確かに年々そういう傾向はある。むしろ女子の方が活動的で活発的な印象すらある。

それが「ヤンキー」から「引きこもり」に変わった理由の一つかもしれない。

だけど、どこかの「お祭り」で、男たちが荒々しく神輿担いだりしてるのをみると、なんだか嬉しくなる。

あとはまあ、褒められたもんじゃないし、多少、本人の自己アピール入ってるんだろうけど、BreakingDown(ブレイキングダウン)オーディションでの乱闘とか(笑)

そういうのを見ると「日本の男もまだまだ元気あるのぉ〜」と(何目線?)思ったりもするものの、全体的には男は弱ってる、もしくは日和ひよっってる?みたいな印象はある。

自分も含めて、かな…。

後半はお知らせの後。

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