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「手のひら小説」と「散文詩」

手のひら小説 (掌編の短い小説です)

『傘を差す人々』

 ガラス張りの店内からは、強い雨足の中を行き来する人々の様子が伺えた。カラフルな傘を差した人々は、足早に行き交うわけではなく、“急いでも何も良いことはないから、早くもなく、かと言って遅くもない速度で歩いています”、と言いたげな、やや無気力な足取りだと、マサキは勝手にそんな印象を持った。

 外を見たくて見たわけでも、目のやり場に困った先に視点を向けたわけではなく、ただ単に、外に目線を投げかけただけだったが、色とりどりの傘の往来は、マサキの心を少しだけ和ませくれた。自分はコンビニで買ったビニール傘を差して来たので、あの群れの中に入っても見栄えはしないだろうと思った。

 マサキの目の前には、さっきからずっと無口な女が、食後の紅茶に一口も口をつけず  ーー最初に印ばかりに口をつけたような気もするが、紅茶は最初からまったく目減りした気配はないーー  、スマートフォンを眺めながらうつむいている。

 別れ話が得意な男などいないし、別れ話が好きな女もいないだろう。気まずさと居心地の悪さ。しかし、二人の感じている気まずさは、まったく違う種類のものだと思う。

 彼女だってきっと、この別れ話を多少なりとも予期していたはずだ、とマサキは思っているが、実際のところ、彼女が自分との関係についてどう考えていたのかなんて、わからない。最初から最後まで、彼女の考えてることも、感じていることもわからない。

 いや、マサキはこの目の前の女の気持ちどころか、生来一度も“女の気持ち”とやらを理解できたことはない。若い頃は、それでも女性の気持ちを分かってあげたいと心を砕いたし、理解しようと頭をフル回転させた。しかしある時期から、そんなものを理解しようとしたり、寄り添ったりしようとする事を完全に放棄した。

 男と女は、同じ人間と言えど、きっと木星人と火星人以上に違う生き物なのだ。文化も風習も感覚も、あらゆるものが違う。ただたまたま、この地球という星に生まれ、運が良いのか悪いのか、何かの拍子に出会ってしまったのだ。

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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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