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探求文庫 #137 成長の法則

当たり前ですが、我々は成長をします。

体の生物的な成長は10代で終えますが、そこからは「個人的」な習熟度の成長があります。それは身体だけでなく、知能、思考、感覚、感受性、あらゆる感性、そしてもう少し深いレベルの「自己」や、照明はできないけど「魂」の成長もあるでしょう。

しかし、肉体の成長は植物の種を植えたら、適切な栄養素を与えれば育ち、花を咲かせ、実をつけるのと同じく、自分の意志や個人的な衝動とは関係なく「起こる」ことです。

しかし、ここで言う「成長」はあくまでも“個人的”なことので、成長すべくアプローチをした人は成長するし、何もしない人は成長しないですね。

「ありのままでいいんだよ」
「何もしなくていいんだよ」
「そのままでいいんだよ」

とおっしゃる方はいます。僕もそう伝えるし、そう歌う時もあります。しかし、あくまでも疲れてる人や、何かを過度にしてしまってる人、負荷がかかっている人へのメッセージであり、成長という点で見るのなら、なにもしなかったら、何もならないのです。

時々こういう話をすると、

「成長したらどうなるの?」

と、斜めに構えた皮肉っぽい意見も出てきます。

「どうせ死ぬんだし」

という、幼稚な思考の人もいれば、

「我々はどうせ無から生まれ、無に帰すのだから」

という、中途半端な悟りを得た人も似たようなことを言います。

幼稚で無知な人は仕方ないのですが、妙な悟り体験とかしてそういうことをヌカす人は、「じゃあ生きてる意味なくね?」と思ってしまわなくもないですが、まあ、それも一種の無知のなせる業です。

なぜなら、我々には「成長」と「変化」は命題であり、宇宙の仕組みなので贖えないのです。どうせ贖えないそういう波があるのなら、そこに踏みとどまって流れに抵抗するより、素直に波に乗った方が楽です。

で、成長の法則と書きましたが、今回の探求文庫で取り扱いたい成長は、ある段階まで進んでからの、さらなる成長です。

例えば、楽器練習で例えると、初期の段階は、自分一人で基本の押さえ方や弾き方の「型」をボディで覚え、「思考」でその理論や原理を学びます。

先生がいたとしても、どんな教材を使っても、自分でやるしかありませんが、とにかくコツコツ練習あるのみです。

個人である程度「型」を覚えると、必ず頭打ちになり、成長は止まります。そうなると今度は「仲間」が必要です。音楽なら「アンサンブル」をして、他のパートや音色と合わせて、ハーモニーを一緒に作ること。一人で演奏するのとはまったく違う難しさがあります。メンバーの個性もあるし、そこで相性もあるし、それぞれの癖がある。

というわけで、成長の法則その1。「個人」から「対人との共同創造」へとなるということです。

人格形成的な成長も同じです。初めはみんな個人的な悩みばかりです。自分のことをどうしよう、こうしようと思い悩みます。幼少期から思春期なんてそうですよね。もちろん、外部の関係性からの影響はありますが、出来事に対する「自分」をどうするかだし、自分の願望や欲求をどうするか、に絞られます。

ちなみに、いい歳になってもそんなことばかり言ってる大人も多いです。つまり、頭の中が思春期くらいで成長が止まってる証拠です。

で、対人関係。つまり、両親やパートナー、子供とか、職場の近しい人間とか、そういう人たちの「交流」と「コラボレーション」がテーマになってくるのです。

そうなると、自分の要求ばかり押し通すことはできません。対話が必要ですし、こちらもきちんと伝える力が必要で、伝える中で、自分自身の思考や感情に気づくことも必要です。

家族関係に悩む。職場の人間関係に悩む。あなたを困らせるその人は、はっきり言って「神様」と言ってもいいくらい、あなたを正し、成長させ、磨いてくれる存在です。その神様と呼べる人とどう関わるか?交流し、何を生み出すのか?が成長の鍵です。

しかし、さらにそこを進めていくとどうなるか?

もちろん人間関係はずっと続きます。一生続きます。しかし、ある段階を越えると、成長の法則その2が適用されます。

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