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モネ最後の記録その1

9/11(月)
動物病院で血液検査を行った。どうも点滴をしても食欲も上がらない。1ヶ月後の検査としてはスパンが早いが、念のための検査だった。
結果は「生きていることが不思議」なくらいに、前回の数値よりも何十倍も上がって(急性腎不全)という診断が出た。人間だったら即救命病棟での手術。犬も静脈点滴などの処置もできるが、シニア犬、看取りと緩和ケアを勧められた。もってあと数日と言う。
もちろん具合は悪かった。先生も年内まで持つかもいう話をしていた矢先で、あと数日の余命宣告だ。僕は慌てた。慌てて、涙して、先生と話した結果、入院させず看取りの方向で決断した。
嘘みたいな話だった。自宅に帰って妻に報告しながら、冗談みたいだなと思った。しかし、モネはほとんど食べれなくなっていたし、この数週間でかなり痩せてしまった。
もっと点滴を増やすべきだったのか、薬など治療法を探し回るべきだったのか、それでも、1ヶ月前には、皮下点滴でよかったくらいなのだ。

万が一、のことを考えた。万が一、どうすればいいんだ。両親のことを考えた。あの時はどうしてた?そしてご近所の犬友さんに相談し、いろいろ看取りや今後のことを聞いた。

覚悟するには、情報が必要だった。本当に受け入れなればならないのか。親身にさせていただいた先生にも相談した。それでも結局、やれることは少なかった。

栄養補給のミルクが命綱だ。最初の1.2日は、モネが自ら舐めて飲んだ。しかしそれも飲む気にならなくなった。注射器で飲ませた。
チュールは比較的舐めた。4種類あるうちの1種類がハマった。しかしその後、かなりの水分を取る。そのためか、たまに吐いた。
腎不全の末期は、嘔吐と下痢という。なんとか吐かせないために、水を飲む量を調節し、少しずつ小分けに上げた。

それでも、「枯れたように逝かせた方が苦しくない」という話もある。みずから欲しないものを食べさせたり飲ませるのは、ギリギリの選択だ。でも、まだ舐める力はあるうちは、あげようと思った。

夜、一緒に寝ると、1.5時間おきに徘徊する。ゆっくりと夢遊病者のように。それは1ヶ月前からあった。のろのろと歩く。狭いところに頭を挟み、動けなくなる。認知症、水頭症などの兆候だ。しかしまだ吠えるまではない。
モネが起きれば僕も起きる。口を湿らせる。僕も朦朧としながら、怪我だけはしないように気をつける。そして歩き疲れた様子を見て、無理やり横にする。すると電池が切れたように呼吸をして、薄目で眠っている。モネはもう自分で座ることもできなかった。

余命宣告の三日たち、四日たち、ミルクがほんの少々、チュールも少し、しかし徘徊する力はある。僕は、五日目の週末に、父の故郷・宮崎で納骨の予定があった。この週末は越せないかもしれないと覚悟して、モネに一生懸命語りかけた。
苦しむようなら、待っていてくれというのは酷である。しかし、神さまのご加護があるならば、もう少しだけ、モネ自身の生命力を支えて上げてくれ・・。
移動中の飛行機でも、故郷のいとこ兄宅の神棚にも、父や先祖代々に、祈った。

ーーー
今、私は特別な体験をさせていただいてます。お父さん、やっと帰れたね、宮崎に。みんなに会えたね。本当によかった。そして、願わくば、モネを見守っていてください。ありのままに、お任せします。僕は、今、ここにいれることを忘れません。
ーーー
目の前には、僕の絵付けした父の骨壷があった。明日はお墓に入り、最後のお別れだ。いろんなことがあった。そしてこう思った。

命とは、なんで不思議なんだろう。

ティクナットハン禅師の言葉を思い出す。生まれることもなく、死ぬこともなく、今ここにあり続ける、命の輝きがある。見えなくても、見えても、こちら側でもあっち側でも、つながる絆がある。糸が見える。

9/18日曜。
午前中納骨を終える。神主さんの儀式に感銘を受ける。僕もこうして神職に使える道もあった。しかし父の影響で地元を離れ、画家になった。同じ道にいきながら、違う選択をする。お榊を降り供養することと、絵筆で色彩を表現することは、一緒なのだ。

僕は、この道でいくのだ。


9/18夜20:00。転がるような自宅にたどり着くと、モネは寝ていた。まだ生きている。しかしほとんどミルクは飲まない。スイカを食べたが、全部吐いたそうだ。もういよいよかもしれないと妻はいった。それでも「待っていてくれてありがとう・・」と僕は伝えた。優しく毛並みを撫でながら。

その夜、徘徊が激しくなった。きゃんキャンと鳴くようになった。ぐるぐる周り、吠える。どんどん不安になる。徘徊が安全にできるように、9ヶ月の娘のソフトサークルの中で歩かせるようにした。
30分仮眠、2時間付き添い、30分仮眠・・こんな生活が余命宣告から続いていた。宮崎にも帰っていたから、かなり朦朧としていたが、1秒でもモネの命をしっかりと見届けたかった。まだ生きている。まだ歩いている。
しかし、きゃん!と吠えているのか不安なのか緊張なのか、みていて辛すぎた。

せん妄というらしい。脱水症状による幻覚だそうだ。自分でも訳がわかっていない。麻薬が切れた患者のようなものだともいう。無意識で徘徊し、吠えるから苦しくないんだという。そうやって命の調整をしているとも。
モネが苦しくないんだったらと思い、少し安心した。大丈夫、最後まで一緒にいる。

9/19月曜日。
日中
何も食べれない。徘徊は夜の方が激しい。特にサークルにはいると、パニックになるようだ。目が届く範囲で自由にさせてあげる。 
下痢をする。なかなか出なくて苦しそうだ。おしっこはまだできる。よろよろしている。吐いた分、わたげのように軽くなる。この軽さが切なく、また天使の羽のような神聖さを感じる。背骨も浮き出て、肋も数えられるほどはっきりわかる。ゆっくりと撫でていく。
夜、
徘徊がひどくなって、悲鳴のように吠える。嘔吐もある。無理やり休ませるが、止まれないような感じだ。慌てた。もちろん水も舐めない。
ーーー
せん妄
病気や怪我の治療中に、深夜になると身体の痛みやつらさなどから、鳴く行動がみられるようになることもあります。
また、病気や投薬、手術などの影響で生じることがある“せん妄”という意識障害の状態になっている犬は、夜間になるとその症状が強まって夜鳴きをすることがあります。

このように、犬の夜鳴きの症状は、認知症以外のことがきっかけとなって、ある日突然始まることもあるのです。
ーーー
体力は確実に減っていく。命が削られていく。動けなかった飲まず食わずの犬が、異常なほど動いているのだ。どんどんどんどん、削られていく。最後の灯火が盛大に燃え上がるように。目に焦点があわない。

ある人はいった。「そうして身体と内臓のバランスを整えてるのかもしれません」。
身体はどこも問題ない。腎臓さえ悪くなければ、まだ2-3年は元気な肉体を、本能で酷使することで、最後の時計の針を合わせようとしてるのか。。

ぼくは、こう思った。

千日回峰行で限界まで修行をする僧侶のようではないか。なんて有難い、尊い姿なのだ、と。


思わず、手を合わせて拝んでいた。命、というものの凄まじさと、その尊厳を、ぼくに見せてくれている。こんな小さい体で、示してくれている。
なんて尊いのだ。この苦しみは、この最後の盛大な炎は、吠えながら、吐きながら、垂らしながら、倒れながら、歩きながら、最後の最後まで生きている、この姿。

そうして僕は、どうせ徘徊するなら、狭いサークルじゃなく、外の散歩道を歩けばいいと思った。
そして、リードをつけ、最後の散歩に出かけた。

23:00だった。

(続く)

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