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何もない幸せ。

スペイン聖地巡礼69日目

聖地巡礼のことは改めて書くとして、夜寝る前に静かに思うことを、記録したいと思います。
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の旅を日本で行うことも、きっと大切な意味を持つのでしょう。
69日。総歩行距離633㎞。
その前は、歩行禅という業を始めて、11ヶ月で3,100㎞、日本横断満了。いろいろありましたが、根本的に思うことは「さまざまなものを手放してきた」ということに尽きるかもしれません。

時にはまだまだ翻弄されることもあり、丁寧に入息・出息を繰り返しながら、心の声を聞いていました。
油断すれば、すぐ身体が力み、心が高揚し、やがて大きな反動がきます。
落ち着いて、穏やかに、静かでいることを心がける。日々の実践あるのみでした。

画家として、または一人の人間の人生として、やりたいことはたくさんありました。そして、全うできない自分を嘆きました。いつだって、掴みどころのないものを追いかけて、心が空虚だったのたもしれません。
「無力感」を感じてきたからこそ、なんとかして、社会に役立てるすべを考え、時にそれは自分を抑えることにもなったのでしょう。
それはそれで、成るようになってきたのです。無駄なことは一つもなかったと、静かに思えてきます。

個性など、はなっからありませんでした。画家としての才能もほどほどでした。他の方のように自身に没頭も出来ず、賞レースにも無縁ですし、運良くメディアのお仕事をいただき、皆様に知っていただく機会もありました。とても幸運でした。
今までを振り返れば、身の回りの範囲の人のために、絵を描いたり教えたりすることが、自然な幸せだったように思います。村の寺子屋の先生のように。そうして自分をみつめていくことは、一番自然なことを発見する旅でもありました。

今、私の中に何があるのでしょう。

静かに内観してみれば、以前のような空虚や、無力、悲しみや、癒し、孤独や笑顔や、喜び、夢や希望、衝動、そんなものが、リアリティを持たなくなりました。それらは、私を突き動かすモチベーションにはならなくなりました。
光や影、気配も曖昧で、乳白色のぼんやりとした、温かな明るいものに包まれていて、目の前に見えるのは自分の手のひら、というような感じでしょうか。その手は、合掌をしているようです

これが「沈黙」の世界というならば。
目の前の瞬間、そこにある実感しかない、という沈黙ならば。悪いものではないなと感じます。

いろいろと終わっていったのだなと思います。かつての情熱的な恋愛を懐かしむように。歳をとったのか?枯れてしまったのか?

否。
この静けさと穏やかさは、以前にも増して感じているのです。
それを絵に出来れば、いいなぁと思います。それが良い絵なのか、人がどう思うのかは、全くわかりません。
その点は、申し訳ないなと感じています。期待に応えなければという、自分の一部の期待に叶えられないわけですから。それも無常。致し方ないのかもしれませんね。

何人もの自分がいて、それぞれに活躍の場が与えられていることは幸運です。精一杯、誠心誠意応えていくことが、魂への道だと考えています。
その上で、この状況も大切にしていきたいです。

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