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夢を確かめに。

朝9:00。お世話になっている鍼灸の先生の治療とお話がとても印象に残って、その足で自転車を走らせて神社に向かった。
雨上がりの晴天で、風も心地よく気持ちいい。参道を軽やかに歩きながら、境内で手を合わせる。まるで後光のような日差しがあたる。
御神籤を引く。とても良いことが書かれてあった。

大吉はめずらしい

目上の人の引き立てて、家内仲良く暮らせる。目下を慈しむこと。
ああ、いい日だなと感じる。

社務所のベンチでくつろいでいると、ふと視界をチラチラ動くものを見つけた。よくよく観察したら、尺取り虫である。

空を浮かんでいるよう

社務所の屋根から糸を垂らし、ムニョムニョ動いている。登ろうとしているのか、降りようとしているのかわからない。
とても不思議な感じがして、そのまま(彼)の動向を観察し続けた。
尺取り虫は、先端に足がついているために、しゃくとり、な動きをする。その上下の先端の足が、手のひらのように開いては閉じ、身を包ませながら糸を吐いている。
ぐーパーぐーパーしながら、踊るように回転し、どうやら登ろうとしているようだ。しかし時々ガクンと落ち、屋根は遠ざかる。
それでもまた上下の手を手繰り寄せて掴み、登ろうとする。

これはなんだろう・・と目が離せない。(何かがある)と。
たまに目を離すと、どこにいるのかわからなくなる。落ちたのか!?と慌てて近寄ると、やっぱり同じ高さの場所にいて、踠いているのか踊っているのかわからない動きをしている。
場所を変えて観察すると、背景により色が変わっていくような気がする。生い茂る葉っぱの前では黄緑になり、幹の前では茶色、空の前では逆光の黒、という具合に。透明度が強いせいもあるのだろう。そしてとても小さい。

尺取り虫って、成虫になると何になるんだっけ?とか、なぜ糸を垂らしているのか?なんて疑問を調べてしまうのが勿体無いような気がした。この「現象」は知識で説明つくモノではない。もっと大切な神秘的なものが含まれている。

ティクナットハン禅師も言われた。「世界は奇跡に溢れています。それを雑念やその他の情報で隠してしまうのはもったいないことだ」と。

ただじっと見ていた。神社にきてすでに1時間近く経ち、大吉の喜びも、残り3日締め切りの制作のことも忘れていた。
思考はまとわりつく。この現象を説明しようとする。「蜘蛛の糸のカンダタのようだ」とか、「人生の必死さ」とか、「鳥に食べられたらどうしよう」とか、「屋根に登ったところで」とか。それらは浮かぶままにし、どんどん流していった。そうしてこの現象を見ている人間としての自分の価値観を手放していった。いろんなものが消えていくなかで、腑に落ちる感覚がようやっと訪れた。

「これが命そのものなんだな」と。

今この場所にはたくさんの命が溢れていた。木々もそうだし、神社を訪れる参拝者や神主さんや、池の鯉や花々に至るまで。それらは当たり前のように目の前に存在しているが、僕自身はそれを観察してる側としての分離を感じている。(世界と自分)つまり外界と内界は別のものだと、普段は感じるだろう。

しかし。
たった数センチ、しかも宙に浮いている尺取り虫を見つけて、なぜか目が離せないのは、そこに象徴を見出したからだと思った。全ての命にまつわる不思議が、目の前のこの現象に全て含まれているんだ、と。

それは「夢」と同じなのではないか。夢も、世界を知る象徴になり得る。自分を通した心を超えて、もっと全体的な意識に。だってあり得ないではないか・・。今日、この尺取り虫に出会うなんて。でもそれは起こっている。夢で見たことは夢でしかすぎないと割り切るならば、今朝の巫女さんに導かれるように、わざわざここまで来ないだろう。しかも先日、傷ついたカブトムシを助けたばかりだ。(夢でね笑)。

数年前の忘れられない記憶がある。
等々力渓谷を散策中に、川で溺れている紋白蝶を見つけて、目が離せなかったことがあった。もがいていても飛び立つほどの力がなく、川の流れに逆らえない。羽ばたくたびに弱々しい波紋が浮かぶ。僕は川下まで追いかけながら、泣いていた。中年のおじさんが泣いているのを不審に思う家族もいたことだろう。
どうしょうもない。靴を脱いで助けてあげようと思えと勇気も出ない。しかし、あとからこう気付いたのだ。「定めとは、かくも美しいものか」と。僕はその美しさに涙していたのだ。

世界には計り知れないほど「わからないもの」があるという。AI時代全盛期を迎えるこの時代に、絶対にわからないもの、の余地を見つける方が難しい。
しかし、その漠然とした余地にこそ、命が何億年も続いてきた秘密があるような気がしてならないのだ。そうして、それを僕は残りの人生を懸けて、抽象的なニュアンスとして表現したいなと思っている。

僕はアトリエに帰ってから、オーダーの桜の樹を描き続けた。不思議な感覚は今も残っている。とても静かで穏やかな心持ちだ。きっと朝から自室に籠って長時間制作していても得られない状態だろう。桜の樹を描いているようで、すでに別のものを描いている。

小さな命

最後に、小さな(彼)を描いた。今頃どうしているのだろうと思いながら、ちょっとした願望も相まって。

天も地もないあの虚空の空で、踊るように糸を手繰り寄せる姿。きっと彼には2度と会えないだろう。それでも命は何度も生まれ変わり、ドラマチックで美しい姿を見せてくれる。そして、誰にも気づかれないくらいの小さな声で、または小さな身体で、そっと秘密を教えてくれる。それを見逃さないようにしよう。そのためには、僕自身の心にも、いつも余白を残すことだ。

さて、言葉で表せるのはここまで(十分なくらいだ)。あとは、筆に乗せていこう。

ありがとう。尺取り虫。
そして、その形を借りた、命そのものに。ありがとう。

(おしまい)

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