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今を生きる

ゴミを出す時に、花をつけた庭の木々が揺れて、サラサラと散っているのをみた。
よく見ると、クマバチが花粉や蜜を集めていた。クマバチは温厚で、蜜を集めるオスには針がない。
僕はそっと見守っていた。
サラサラと、花が散っていく。

日常の一分一秒をマインドフルネスに生きる。今に集中し、呼吸に戻り、この一歩、この一言、このひと噛み、この一文字に、いまを感じる。

禅の修行のように、15分ごとに鐘を鳴らし、今に気づく。姿勢を整え深呼吸する。

6月にはいって心掛けている。個展前ということもあり、作品への向き合い方を変えてきた。
今週はとくに集中できている。そして、今まで生きてきた毎分毎秒がいかに流されてきたかを思い知る。

今日は教室だ。昨日の教室は、半分流され、半分今に意識した。そして身体にだいぶダメージが残った。

夢はさらにひどくなる。昨日前は、もう言いたくもない、年に一度あるかないかのひどい夢だった。
なぜそうなるかも、よく知っている。自分が変化するときは、最大の恐怖があるからだ。それが具現化して、今生きている以上のリアリティで押し寄せてくる。
これは、夢をあまり見ない人には、死ぬまで一生わからないだろう。それでいいと思う。それで救われているのだから。忘れるということで。

人間は、必ず恐怖と向き合わねばならない。それを受け入れられるかどうかは、目覚めてからの生活にかかっている。
僕は、受け入れた。それは「理解」したからだ。

禅師はいう。「波は波で無常だか、本質の水は同じである」。水を観よ。そして波を観よ。慈愛、慈悲の意味がここにある。

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