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何もない日

なかなか日記がつけられないなと思う今日この頃。
記録がない日は、5年後、10年後にとっては、思い出せない「何もない日」。
でも、そんな記録に残さなかった無数の日々の積み重ねで、今があるのかもしれません。

オーランジュリー美術館のモネの睡蓮の蓮作は、そんな無数の光の連続をなんとか書き留めようとする試みでした。
無限に繰り返される朝と夜。光の移り変わり。私たちが知らない合間に、光はどんどん変化して、消えていきます。その美しさを、人はどれだけ感じれるのでしょうね。
なかったことと同じの日常の中に、光を見出せるのかしら。

朝6時。息子は寝息の代わりに咳をしています。連休でお出かけしたからでしょうか。疲れが出てるのか、どこかでうつされたのか。目が覚めれば、何もなければいい。
夜中に3.4回起きる日々も、はや1か月。寝室をかえたほうがいいんだろうけど、できれば息子と一緒に寝たいもの。神経過敏な自分の体質が変わるなら。

先程、みた夢。
ある公園の休憩所で、息子と本を読んでいる。すると遠くで、子供の泣き声がして、外に出る。その子供をあやしていると、パパー!と息子が走ってくる。どうして離れちゃうの?と悲しい顔をして、また休憩所に一人で戻っていく。
それを追いかける。追いかける。

そして息子の咳で目が覚めました。
背中をトントンすると、少し咳が落ち着きます。右手でトントン、左手で印を結んで、お地蔵様のように少し微笑んで。

そうやって、夜から朝に変わる光と共に、消え去る息子との時間。かけがえのないものは、忘れて消えていくような、こんな瞬間にあるのかもしれません。

日々の何事もない日常に感謝して。家族が起きてくるまで、もう一眠り。

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