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ティクナットハン「沈黙」と空虚の真意。

以前noteに書いた記事。

天国のクジラを描いていることで、あらためてこの本を読んでいます。
雑念まみれ、ノイズまみれの生活が、いかに続いていたかを思い知りました。

人は沈黙を恐れます。なぜなら、静けさの中で自分に向き合うことを恐れるからです。「本当はどう生きたいのか」を考えたくないから、世の中のさまざまな雑念に取り込まれ、食べ物、見聞きする五感、印象、意識、思念、さまざまなものにとらわれてしまいます。
どうでもいいメールをチェックして、ネット記事を読んだり、広告に目を奪われたり、人の言葉や仕草を気にしたり、外部のことに乗っ取られていく。例え素晴らしい音楽だって芸術だって、ちゃんと自分自身の静けさを保ちながら見ることができているのでしょうか。

昨日、朝の保育園の送りの後に、一人で座敷で桜を見ていました。とても静かでした。写真に撮ろうとする雑念も抑えながら、ただ味わい尽くそうと思いました。しかし、とめどもなく流れていく思念想念。なかなか難しい。その沈黙に意識を向け続けねば。

これもまた前置きです。
現在23:13。先程息子の寝かしつけが終わりました。園で昼寝をしたので、今夜も手こずりました。
19:00に教室から帰ってきて、クタクタで。ご飯は済ませていただけでした。すぐ風呂に入り、赤ちゃんを洗い、歯磨きをさせて、少し遊んで、寝室に連れいったのも21:00でしたが、途中トイレも二回行き、その都度全裸になる息子。一階から2階まで18キロを担いで往復。
最近は時間を決めて、絵本の時間、遊ぶ時間と分けていますが、22:30、二回目のトイレでママがいい!と言われてバドタッチ。だけどすぐ交代。それから30分でやっと就寝。眠たすぎて頭が痛くなってきました。
こちらも寝たと思った赤ちゃんも起き出して妻にバトンタッチ。
僕は一人、暗い寝室でこのnoteを書いています。これも立派な思念雑念です。

なぜ、書こうという衝動が起こるのか。なんだったら今からラーメンでも食べたいくらい。早く寝ればいいのに、抑えられないのはなぜ?

空虚だからです。静かになって自分と向き合えば、余計なことはせず寝るでしょう。

空虚。
子育てにおける、途方もない空虚感に、毎晩毎晩苛まれています。雑念、思念、感情が悲しくて、怒りなのか、虚しさなのか、諦めなのか、そんな嘆きの声が鳴り響く。
これが静まれば、息子や娘の「奇跡」にも目を向けられるのに。

展覧会も近いからでしょう。また仕事で芯から疲れているからでしょう。このどうしょうもない気持ちを埋めたいがために、このノートを記録している。そのことに、きちんと向き合わなければ。

この空虚感に向き合わなければ。
何かから逃げている。
こんな子供に育ててしまったのも、何かから逃げてきたせいでしょう。
自業自得を認めるのが恐ろしい。そして子育てに翻弄されて、僕の本当にやりたい人生を送れないことで、諦めることで安心してるのかもしれません。
怖いから。自分の人生を歩むのは怖いから、子育ての疲労困憊に逃げている。回復させずに思考の垂れ流しを甘んじてることで、「絵を描かせてもらえない」人生として、言い訳を準備している。
「こんなに大変だから、中途半端でも仕方がないんだ!」って、自分に嘘をついて傷つけている。
それはもう膿んでいるようです。それほど長く、雑音にまみれ、依存し、慣れてしまった。

宮崎駿は最も尊敬するクリエーターですが、彼のインタビューを聞いて、昔は感銘を受けていたのに、昨日は腹が立って仕方がなかったです。なぜなら彼は完全に育児放棄してアニメを作っていたから。
妻に全てを押し付けて、息子・吾郎をいないもののようにして、煩わしく、ただ自分だけのために仕事に没頭した。世界に称賛される彼に対して、妻の想いは辛辣だということを、息子は語っています。

「天才でもそれは許されない」と怒りが湧いてきました。育児放棄って何事かって。昭和の時代しか通じないだろって。
でも、宮崎駿は、確固たる信念があったのです。「子育てよりも大切なミッションがある」って。彼は、どうしたって良質なアニメを作り続け、鼻血を出し、苦しみのたうちまわりながら、絵を描き続けることを、彼の「神様」に約束したのです。だから、彼は正解なのです。

それを認められないんだなということを思い知りました。
仕事をやりたい。自分の人生を歩みたい。しかし怖いし空虚だ。なぜなら、雑念まみれで外部に依存し続けているから。瞑想の呼吸まで忘れてしまうくらい。もはや絵も半年描いていない。もう諦めた方が楽だって。

子育ての奇跡。僕の信じているそれは、きっと大きな偽物。そんな奇跡は、逃げ道でしかない。僕は根本的に真実から目を逸らしてる。

奇跡はもっとすぐそばにある。全てを超越した、その笑顔。心が静かであれば、それだけで人生が全てオセロのように変わるのだ。
100回に1回は体感しているその奇跡。あとの99回は、逃げている。とにかく、心を鎮めよ。この記事を書き終えたら、呼吸を整えよう。

戒めのために、ここに宣言します。
ただ、今夜は許して欲しい。きちんと向き合うために。

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