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「怒られづらい時代」の危険性

みなさんこんにちは!

キングダムを読んでて、その中に出てくる趙の国の王。
これがもう現代で言うところの最悪なんですが、それを権力で、欲の限りを尽くしてて、親子代々クソ野郎感があるのですが、

ふと、「じゃあこの人、どうしたら良かったんだろう」と思いました。

確かにクソ野郎なのですが、でも「そうしたいからしている」であり、
もうそうなっちゃった以上は、それをしない方が嘘になる。
と言うか多分、それを我慢するなんて、その人は、もうできない。

すごく素直で、欲に忠実。

理性も倫理観もないけど、欲には忠実。

じゃあ、そうなった以上は、
「そう言う人が生まれないようにしよう」とか、
「あー、こう言うふうに育っちゃったか」
と言う、反省を生かすか過去を後悔するか、しかできない。

じゃあ、これ、何が悪なんでしょうね?
と考えると、

今の世界だと、理性、倫理観を持ちつつ、たがため、他利が理想とされる。
なんでそれがいいと言われるのか?

その理由は、それが良いか悪いかと言うよりは、
「善である方が共感を生み、仲間ができ、持続的だから」
なんだろうな、と腹落ちしました。

だから多分趙国の王は、悪いかどうかより、

「持続しない」のだと思い、

それは「王としては悪」ということなんだと思いました。

悪には主語や前提が必要。
善悪は他人が決めることではなく、究極は自分で決めること。

法というものもあるけど、法も人が考えたこと。
抽象度が高ければ、理に近づきがちかもしれないけどその分インパクトが多く、
具体的であればあるほど時代錯誤になり得る。

そしてそれは、「法」だけでなく「秩序」「常識」「空気感」でも同じことが言えると思っています。

■今の世界の価値観で危険なところ「優しすぎ」

同時に現代で少し気になるのは
「褒めすぎ」「優しすぎ」「建前上、甘くなりやすい」な風潮。

パワハラとか、●●ハラという言葉が増え、

守られる人が増えた。

これはいいことでもあるけど、

逆に、現代の道徳観に反する人は
SNSでちゃんと公に公開処刑されるようになり、

しかもそれが今だろうと昔だろうと関係なく、

気持ちに火がついたらどんどん拡散する。

そうなると、度合いの問題はあれ、というか、

その度合いの判断が難しかったりもするから

「優しい方が得」「厳しい方が損」となり、

先輩や上司は

怒らない

指摘しない

ような世界になりつつある。

でも!それは回り回って後輩側にはすごく厳しくて、

資本主義とか現実は結構厳しくて、

「怒られないけど給料が減る」とか

「指摘されないけど、仕事は減る」とか

自分できづいたり、

「厳しく言ってください」

などと言っておかないと、

気を使われて、アドバイスをもらいづらい世界になってきている。

だからいい師匠を見つけて、

そして「厳しく言ってもいい」という共有をして

しっかり育ててもらえる、

そういう関係性を作ることって、

若手の人たちは意識した方が良い気がしています。

そしてこれはもはや若手どころか、

織田も、織田より年上の人も一緒で、

時折「良いところをよくなかったところ」

などは上も下も関係なくフィードバックをしっかりいただく、

これは特に、ジョブホップするような立場だからこそ、

強めに意識していこうと思います。

叱ってくれる人に感謝。

(直近でしかられていないけど)

みなさん今日も素敵な1日を!

アート、教育、探究、子育て、生き方。アーティストとして、スクール長として、本音しか書きません!