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【エッセイ#19】箱の中のドレス ―フォルチュニとデュシャンのこと

マリアノ=フォルチュニは、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したデザイナーです。彼が創ったドレスは、それまでにない独創的なものでした。
 
代表作は「デルフォス」というドレスです。肌に密着して緩やかな流線型を描く細いプリーツが、ボディラインを美しく際立たせる、軽やかなドレスです。ギリシア神話に出てきそうな名前の通り、どこかアルカイックで、どこまでも柔らかい曲線で、ほんのりとしたエロティシズムもあります。フォルチュニはヴェネツィアで製作しており、どこかさざ波をも思わせる美しいドレスです。
 


私は、プルーストの小説『失われた時を求めて』に出てくるドレスと知っていたので、是非一度現物を見たいと思い、展覧会に行ったことがあります。色とりどりのドレスや、フォルチュニの描いた絵などもあって、大変楽しめました。
 
しかし、その展覧会で一番強い印象を受けたのは、それらではなく、何の変哲もない一つの箱でした。15センチ四方の、片手で持てる小さな紙の箱。その中には、「デルフォス」が丸まって入っています。そう、「デルフォス」は、箱に入るくらい、小さく折り畳み可能なドレスなのです。



18世紀以降の近代では、長いこと、女性のドレスには、コルセットのように、体型を矯正したり、バッスルのように、スカートを膨らませたりする装置が必須でした。それが、20世紀に入って、ポール=ポワレや、ココ=シャネルらの活躍により、コルセットを使わない、より体型を生かして、身体に負担をかけないドレスが次々に出てきました。そこには勿論、女性の地位向上、社会進出によるものもあります。
 
「デルフォス」もそうした流れに沿ったドレスであるのは間違いありません。と、同時に、あまりにもシンプルで装飾がなく、ボディラインに沿う柔らかい素材でできているため、殆ど容積をとらないくらい畳めるのです。



この箱にショックを受けたのは、私の心の中で、どこか、ドレスというものは、例えばマリー=アントワネットのドレスのように、着るのも大掛かりで、派手で、高級で、場所をとるもの、というイメージがあったからかもしれません。

先のようなファッションの歴史を知っていても、華やかなドレスが、ここまで小さな箱に閉じ込められて入ってしまうことに、何か、価値観を転倒させられるような感覚がありました。
 
ちなみにこの、小さな箱に入る、というのは、保管だけでなく、輸送においても大変効果的なものでした。

フォルチュニの顧客は、ヨーロッパの富豪だけでなく、20世紀初頭に破竹の勢いで財力をつけ、それでいて、文化的にはヨーロッパに憧れているブルジョワの(ヘンリー=ジェイムズの小説によく出てくるような)アメリカ人も、多くいました。
 
輸送手段も鉄道・船と広がり、世界規模のマーケットも可能になってきた時代に、小さな箱に入るドレスは、大変評判になりました。箱の横には、名刺大の説明書もあり、洗濯する場合にはここに頼むように、というニューヨークのクリーニング店の住所まで書いてありました。

古代を思わせるドレスデザインが、うまくセールス方法にまで結びついて、マーケティングの参考にもなります。そうした点も含めて、これは、間違いなく現代のドレスです。


 
現代の美術で、箱、と言えば、マルセル=デュシャンを思い出します。ダダイストとして、便器にサインをしただけで美術展に出品し、「レディメイド」という概念を創り出した『泉』等スキャンダラスな作品でも名高い彼は、中期以降、『グリーン・ボックス』や、『ホワイト・ボックス』等、ボックス作品を次々製作しました。

デュシャン
『グリーン・ボックス』


これは、彼の代表作『大ガラス』(ガラスと機械が組み合わさった奇妙な装置。正式名称は『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』)の作品製作用メモ(指示に従えば本当に誰でも作れるそうです)や、その他自分の作った作品の複製、ミニチュア、写真をまとめた、小さな箱です。
 
新作を創る代わりに、こうした箱の製作に熱中したのは、一つの箱の中に、自分の芸術のエッセンスが閉じ込められて入っている、という状態に魅力を感じたからであるように思えます。

私が、箱の中にくるまわれたドレスに、ショックを受けたように、価値のある思考、あるいは作者の人生そのものである芸術がたった一つの箱に収まる、という状態が、人々の価値観を揺るがせることを、狙ったのもあるでしょう。
 
そして同時に、例えば、コインや切手の収集家のように、自分の最も愛するものが、箱に込められているという状態が、とてつもなくわくわくするということを知っていたのでしょう。フォルチュニとデュシャンの共通点は、そうした「作品以外に魅惑を付加するモノ」を、最大限、自分の芸術に生かしたことです。
 
今では、宝石、指輪、腕時計等、多くのブランドがこうした小さな箱を作って、日々、人々を魅了しています。そこには、中身だけでなく、箱そのものの美しさ、そして、「箱にくるまれた『美』」という概念が、一緒に込められているのでしょう。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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