見出し画像

竜宮城が色づく -青木繁の傑作絵画


 エキゾチックである、というのは、今現在から遠く離れていることが条件です。それは何も、外国である必要はありません。日本を題材にしたものでも、今、この場所から遠ざかることで、本当に異国のような雰囲気を出すことができます。
 
日本を題材にしたエキゾチックな絵画の中で、私の一押しの作品は、青木繁の『わだつみのいろこの宮』です。『海の幸』が教科書に載っているこの洋画家の、『古事記』を題材にした作品です。
 
初めて見た時、日本の神話画で、これほどまでに日本から遠く離れたような、エキゾチックな絵画があるのかと、驚きと喜びを感じたことを覚えています。
 


『わだつみのいろこの宮』
アーティゾン美術館蔵

 
 
青木繫は、1882年(明治15年)福岡県久留米市生まれ。同年同郷生まれの洋画家で、小学校も画塾も同じの親友に、後に画壇の重鎮となる洋画家、坂本繁二郎がいます。

青木繁


 
青木は、1900年に東京美術学校(現在の藝大)に入学。代表作『海の幸』は、1904年の卒業直後に描かれた力強い名作です。そして、若くして天才と認められていた彼が、1907年の勧業博覧会向けに、全ての野心を込めて描いた大作が、この『わだつみのいろこの宮』です(ちなみに前年には、恋人との間に長男が生まれています)。
 


 
 
『わだつみのいろこの宮』は、『古事記』のいわゆる『海幸彦と山幸彦』の物語に基づく絵画。兄の海幸彦に借りた釣針をなくして、海底の宮殿「いろこの宮」に降りた山幸彦が海神の娘、豊玉姫と出会う場面です。左側の女性が豊玉姫、右側がその侍女、上の人物が山幸彦です。
 
まず素晴らしいのが、大胆で美しい構図です。縦長の画面の上方の山幸彦の腕と組み合わさった脚で三角形を作り、安定感と、若干の窮屈感を出します。
 
前者の安定感により、後光の差す神々しさが顕れ、後者の窮屈感により、下半分の女性たちのすっと伸びた身体が強調されます。

この強調により、山幸彦が窮屈だった地上から、よりのびのびと過ごせる海底世界へ移動することが暗示されます。更に、二人の女性が門の柱のようになることで、この夢幻的な場の中に、鑑賞者を招く効果にもなっています。


『わだつみのいろこの宮』再掲


 
この構図に決まるにはかなり試行錯誤したらしく、海藻の上に座る山幸彦と横に二人で立っている女性のバージョンや、横を向いた山幸彦のバージョン等の鉛筆の下絵が遺されています。

そして、この質感。海中での人や海藻の見え方を研究したという本人の言葉通り、緑を基調として揺らめき、アクセントとして赤が映える海藻。そして、身体に纏わりつく、豊玉姫の国籍不明の衣装。これらが合わさって、どこか静かなそよ風が吹いているような、安らぎをも感じる海底世界になっています。
 




こうした美点が、無国籍且つ、強烈なエキゾチズムを醸し出す源になっています。これは、同時代の西洋絵画の徹底した研究を元に、周到に構築されたエキゾチズムです。実際、青木はこの作品について

バーン・ジョーンズのデコラティブ・コンポジション(装飾と構図)
シャヴァンヌの平板さ
ギュスターブ=モロー風の着色法

 
を、意識的に取り入れたと言っています。いずれも、象徴主義に属する、神秘的な絵画の画家です。以前シャヴァンヌについて、「究極のコスプレ絵画」と書きましたが、まさにどこかエキゾチックな景色や衣装を繋ぎ合わせて、無国籍な神秘さ、敬虔さを出す画家たちでもあります。


 そうした画家たちの神秘的で静寂なトーンを受け継ぐという意味において、技法だけでなく、精神の面においても『わだつみのいろこの宮』は真に象徴主義的な傑作なのです。

バーン・ジョーンズ
『マーリンの魅惑』
レディ・リーヴァー美術館
衣装・立ち姿等、この絵画に
かなり触発されたように見える


 
実のところ、私が最もエキゾチックに感じるのは、豊玉姫と侍女の、まっすぐに立ったその姿勢かも知れません。
 
明治・大正時代の女性を描いた絵画で、これほどまっすぐに立っている女性はいるでしょうか。座っていたり、しなを作ったり、少し腰をかがめている姿の絵が多い気がします。このしっかり伸びた身体の自由な感覚が、ここは、日本ではないどこかだ、という感覚を強烈に醸し出しているように思えるのです。
 
ここは、ある意味、童話の竜宮城なのですが、考えてみると、竜宮城の乙姫様の衣装は、どこか古代中国風のイメージの挿絵が多いようにも思えます。このぴったりと身体のラインが出る衣装の女性の異国感は、その姿勢と共に、新しい竜宮城の美を創り出したと言ってもいいかもしれません。

 



余談ですが、この絵は夏目漱石の小説『それから』にも出てきます。
 

出来得るならば、自分の頭だけでもいいから、緑のなかに漂わして安らかに眠りたい位である。いつかの展覧会に青木という人が海の底に立っている背の高い女を描いた。代助は多くの出品のうちで、あれだけが好い気持ちに出来ていると思った。つまり、自分もああいう沈んだ落ち付いた情調におりたかったからである。

 
主人公代助の落ち着く「緑」の象徴にこの絵が挙げられています。緑の補色である「赤」が、この小説でどのように使われていたかを考えれば、この絵は、まさに代助にとっての決して届くことのない、現実を超えた場所を見事に表しているのでしょう。




しかし、この野心作は、青木の運命を変えます。自信作だったものの、絶賛と酷評が交錯し、博覧会では、三等賞の末席。その結果に不満を持ち、画壇を批判し、東京を去り、地方を放浪するようになります。そして、結核により、若干28歳で死去。

青木繫『海の幸』
アーティゾン美術館蔵

 
一方、親友の坂本繫二郎は、傑作『大島の一部』によって、同じ三等賞でも首席を獲得。中央画壇に認められ、その後1969年に87歳で亡くなるまで、活躍をつづけました。二人の運命の分かれ道でした。





『わだつみのいろこの宮』は、天才が若さと野心を振り絞ってキャンバスにぶちまけた奇跡の作品でした。

同時に、あまりにも斬新で、同時代の作品から浮いているようにも思えます。それが、評価を難しくした原因でもあるのでしょう。しかしそれは、タイムレスな傑作でもあることを意味しています。
 
天才が、様々な異国の要素を繋ぎ合わせて色鮮やかに作り上げた竜宮城は、今も新鮮な眼で発見されるのを、海の奥底で待っているのでしょう。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


こちらでは、文学・音楽・絵画・映画といった芸術に関するエッセイや批評、創作を、日々更新しています。過去の記事は、各マガジンからご覧いただけます。

楽しんでいただけましたら、スキ及びフォローをしていただけますと幸いです。大変励みになります。




この記事が参加している募集

私のイチオシ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?